フレームを外すことからはじめる ―― AIの時代に、僕らはどこへ向かうのか
比叡山延暦寺の比叡山未来会議に出てから、仕事をしながら、ふと手が止まることがある。「あっ、僕はフレームの中におさまっている」と思ってしまうのである。きっと僕は、自分でも気づかないうちに、いくつもの「枠」の中にいるのだと思う。
そんなことを考えてしまうようになったのは、比叡山で開かれたSINIC理論研究会のパネルディスカッション「SINICの更新と実践」に参加してきた。長野県立大学の大室悦賀先生、株式会社SPACEの福本理恵さん、ヒューマンルネッサンス研究所の中間真一さん、ミラツクの西村勇哉さんのお話しがあったからだ。
ちなみに、大室先生は「株式会社ECOTONE」のECOTONEという言葉を最初に教えてくださった名付け親である。AIが社会をどう変えるかという大きな話のはずなのに、僕の心をいちばん動かしたのは、もっと足元の「フレーム」という言葉だった。これも大室先生からだ。

中間さんと西村さんの問答からはじまったこのセッション。SINIC実践において、同じAIという現象を前にして、それを「自動化」と捉えて世界がつまらなくなると感じる人と、「自律」と捉えて自由が広がると感じる人に、くっきり分かれているのだという。しかも今年は、その違いが住んでいる場所よりも、その人の内側の考え方の癖から生まれているらしいとのこと。
僕はこれを聞いて、同じ言葉を投げかけられてポジティブにとらえたり、ネガティブにとらえるのと同じように、あるテクノロジーや道具を渡されて、世界が縮んで見える人と、広がって見える人がいる、ということと通じると思った。
だとしたら、未来を決めているのは技術じゃなくて、僕らがどんなフレームで世界を眺めているか、なのかもしれない。AIを使っていると馬鹿になると思う人もいれば、AIで人間の可能性が拡がるという人もいる。
そんな中、大室先生が「フレームを外す」ということの投げかけをしてくださった。
「いまの社会は、AIも含めて、あらゆるものに過剰なクレームやフレームが入りすぎて、機能不全を起こし始めているんです」
教育の枠、組織の枠、価値観の枠。気づかないうちに僕らはそれに縛られて、自然な衝動も好奇心も抑え込んでしまっている。先生はそう指摘した。けれど、すぐにこうも続けた。
「人間は身体という制約を持っている。だからフレームを完全に外して生きることは、できないんですよ。ただ、瞬間的に外れる体験はできる。その一瞬だけ、常人には見えない世界が見えるんです。イノベーションって、理屈から生まれるんじゃない。身体的な衝動から生まれる。だから、好奇心の覚悟がいるんです」
「好奇心の覚悟」。フレームを外すことを「好奇心の覚悟」という表現を使っていて、僕らがいつも言っているコンフォートゾーンから抜け出す覚悟と同じように感じた。常識的には「バカだ」と思われるようなことを、それでもやってみる。その覚悟がなければ、枠の外には出られないのだと。
「遊び心を持って、意識的にフレームを一瞬外す。」ということだろうか?枠は捨てなくていい。ただ、出たり入ったりできればいいのだということだろう。枠に「入りっぱなし」が、いちばんこわい、と大室先生は、もうひとつ大事なことを話された。「枠に入ること自体が悪いんじゃない。入りっぱなしになることが問題なんだと。
会社、家庭、学校。その枠ごとに、出入りを自在にできる力がいる。枠を外す視点が重要だということか。大室先生は、もう一つフレームを外す上で、考え方を教えてくださった。
「二点だけ置くと、議論は対立で固まる。でも三点目を置くと、AとBの質そのものが変わって、スパイラルに動き出すんです。さらにその三点を外から見る四点目――操作する人の視点を置くと、もっと動く」
これは、子育てにも、夫婦の会話にも、たぶん全部に効く話だなと思った。僕は大学生の頃から、二項対立に争点を持ってこないために、第三の視点を入れると言っていた。友だちと喧嘩したときにも第三者が入る感じだ。人間はつい「正しいか、間違っているか」の二点で物事を見てしまう。でも、そこに三つ目を、四つ目を置けるかどうか。世界の見え方は、それだけで質を変えるのだと思う。
今回のお話しもいろいろな視座と視点に導いてくださるものだった。
未来はどんな社会にするべきか?
パネルディスカッションのあと、近くの方とグループに分かれてお互いの意見交換をする機会があった。そのときのお話しも良かった。
僕はECOTONEで普段考えるウェルビーイング共創社会の未来の話をさせて頂いた。
これからの社会では、国境や組織の境界がどんどん薄れていく。そのなかで、ひとりの人間が一つの肩書きや居場所に固定されるのではなく、家族といる自分、仕事している自分、趣味にハマっている自分、地域の中にいる自分と、いくつもの顔(分人)を持って、複数のコミュニティに自由に所属していく。そんな未来像だ。
そして、ここが大事なのだけれど、人のウェルビーイングは、所属するコミュニティの数や多様性と関係している。会社と家庭、その二つしか居場所がない人ほど、しんどくなりやすい。
これは、大室先生の「フレームの出入り」と、地続きの話だと僕は感じた。一つの枠に入りっぱなしの人生は、息苦しい。けれど、いくつもの分人として、いくつもの居場所を出たり入ったりできたら。会社でうまくいかない日も、地域のコミュニティの自分が支えてくれる。居場所が複数あるというのは、つまり、外せるフレームを複数持っているということなのだと思う。それはきっと、これからの僕らのウェルビーイングそのものだ。
そして、自由には、他者の自由を奪わない「自責」がいる、という言葉もグループの中で出てきた。分人として軽やかに動く未来は、わがままに散らばることじゃない。お互いをおもんぱかる和の心があってはじめて、ボーダレスは豊かさになる。Welluluが大切にしている、つながりの中のウェルビーイングに、僕はここでもう一度立ち返ることができた。
最後に、入山先生がこの比叡山未来会議の総括として、やさしくまとめてくださった。入山先生が言語化してくださって、僕の頭の中も再整理できた。
AIの時代に問われているのは、技術の使い方そのものよりも、人間がどう自律性を取り戻し、自然や身体性、遊びや創発を取り戻していくか、なのだと。そして、ビジネススクールにパッションの授業がないから、パッションの授業もあるべき、というようなお話しをしてくださった。

まずは、一つ枠を外してみる
フレームは、外せない。でも、出たり入ったりはできる。そして、いくつもの分人として、いくつもの居場所を持つことができる。比叡山で受け取ったのは、たぶんそういうことだった。
完璧に枠を捨てる必要なんてない。ただ、入りっぱなしになっていないか、ときどき自分に聞いてみる。それだけで、世界はもう少しだけ広がる気がする。
だから僕は、まず一つ、外してみようと思う。ただ自然の中を歩いてみる。そんなものでもいいかもしれない。もしかしたら、マインドフルネスってそういう時間かもしれない。「好奇心の覚悟」の塊が僕自身である。だから、行動できた。その小さな一歩から、面白い未来は始まる気がしている。ウェルビーイング共創社会に向けての一歩。まずは、そこからだ。
比叡山未来会議は、素敵な空気と学びのあるコミュニティである。どうもありがとうございます。
パネルディスカッション「SINIC の更新と実践」
大室 悦賀さん(⻑野県立大学 教授 ∕ 長野県立大学⼤学院 研究科⻑)
福本 理恵さん(株式会社 SPACE 代表取締役 CEO)
中間 真一さん(株式会社ヒューマンルネッサンス研究所 エグゼクティブ・フェロー)
西村 勇哉さん(NPO 法人ミラツク 代表理事)
総括コメント
入山 章栄さん(早稲田大学大学院経営管理研究科 / 早稲田大学ビジネススクール教授 )
堂上 研 株式会社ECOTONE代表取締役社長 Wellulu編集長
株式会社ECOTONE代表取締役社長
ウェルビーイングメディアWellulu編集長
情報経営イノベーション専門職(iU)大学教授
日本イノベーション協会 理事
私生活では、3人の子供の父。趣味は、スポーツとアート。