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何度でも立ち上がれる社会へ。早川周作氏の誰も置き去りにしない社会への挑戦

「崖っぷち、最高。」――そう朗らかに笑い飛ばす経営者がいる。沖縄を拠点にプロ卓球チーム「琉球アスティーダ」を率いる早川周作さんだ。学生時代からの起業、そして幾度となく直面してきた経営危機。

数々の逆境を越えてきた背景には、生まれ育った秋田の大自然のなかで培われた原体験、壮絶な苦難のなかで育まれた志がある。それでも早川さんは、過去を決して悲観的には語らない。『おもしろ楽しく、やりきり超MAX!』を掲げ、常に前を向いて歩んでいる。

今回は、早川さんの人生の軌跡をたどりながら、これからの時代に描きたい「弱い場所にこそ光を当てる」社会のあり方に迫る。

 

早川 周作さん

琉球アスティーダスポーツクラブ株式会社 代表取締役会長兼社長

秋田県秋田市生まれ。明治大学法学部在学中から学生起業家として複数の会社の経営に携わった後、元総理大臣の秘書として政治を学び、28歳で衆議院選挙に出馬。その後、経営者交流会を主催し、約90社の顧問・アドバイザーとしてベンチャー企業の成長を支援した。2018年2月、プロ卓球チーム「琉球アスティーダ」を運営する琉球アスティーダスポーツクラブ株式会社を設立し、代表取締役に就任。同チームは2021年にプロ卓球リーグ「Tリーグ」で優勝。同年3月には、プロスポーツチーム運営会社として国内で初めて株式上場も果たしている。明治大学MBAビジネススクール講師、琉球大学客員教授も務める。

https://ryukyuasteeda.jp

酒向 杏奈

Beauty Plus Mental 代表/Wellulu 編集部/元宝塚歌劇団・メンタルヘルストレーナー

宝塚歌劇団雪組にて「花帆 杏奈」の芸名で14年間、娘役として活動。常に美しさやパフォーマンスを比較される環境下で劣等感や体調不良を経験したことから、退団後に心理学やメンタルトレーニングを修得。『自己肯定ビューティー学』を構築し、女性の内面的な自己肯定感を育むサポートを開始する。これまでスポーツ選手やビジネスパーソン、ダンサー、俳優など、多岐にわたる分野で累計3,000人以上へのメンタルトレーニングや企業研修、講演、個人レッスンを担当。

現在は一児の母として、マレーシアおよびアメリカでの海外子育てを経験。多様な価値観に触れた背景を活かし、日本人の心の健康とウェルビーイング向上に注力した活動を展開している。

目次

秋田の大自然と、事故が教えてくれた命の尊さ

酒向:本日はよろしくお願いいたします。「Wellulu」では、みなさんの過去、現在、そして未来に向けたお話を伺いながら、その人らしいウェルビーイングを探求しています。

まずは早川さんの「過去」の原点から伺いたいのですが、秋田県のご出身なんですよね。どのような少年時代を過ごされたのですか?

早川:私は秋田市の新屋という、田舎の生まれです。冬は雪合戦やかまくら作りに明け暮れて、裏山に自分だけの基地を作っていました。木に登ったり、虫やヘビを追いかけたりと、とにかく大自然のなかでのびのび遊んでいましたね。

酒向:ヘビも捕まえていたのですか(笑)。

早川:そうなんですよ。網で捕まえて、そのまま家に持ち帰っちゃうんです。親戚に見せると「ああーっ、なんでそんなもの持ってくるの!」って、ヘビが苦手な人には本気で驚かれるんですけど(笑)。

酒向:それは驚きますよね(笑)。そんな活発でのびのび過ごされた少年時代のなかで、大きな出来事があったと伺いました。

早川:小学2年生のときですね。いつものように裏山で虫捕りをして遊んでいたら、母から「ご飯だよー」と呼ばれる声が聞こえました。お腹も空いていたので、大急ぎで走って帰ろうとして道路に出た瞬間、ちょうど走ってきた車にはねられてしまったんです。

山の上にあった障がい者施設を利用されていた方が運転されていて、手でブレーキをかけるタイプの車だったんですが、そのブレーキがあまり利かなかったようで、10mくらい飛ばされたと後になって聞きました。母も、私がはねられた瞬間をすぐそばで見ていて、その場で固まってしまったそうです。

酒向:10mも……!? お母さまも、目の前でその瞬間をご覧になっていたんですね。それは本当に、言葉を失うほどの出来事だったと思います。ご無事だったのは、不幸中の幸いでしたね。

早川:はい。たまたま後続の車に医師の方が乗っていたんですが、障がいのある方が運転をするということで、心配して様子を見ながらついてきてくれていたみたいです。おかげでその医師の方にその場ですぐに応急処置をしていただき、一命をとりとめました。「人の命を助けるってすごいことなんだな」と、そのときのことは今でも鮮明に覚えています。

酒向:その経験が、今の早川さんの原点にもつながっているんでしょうか。

早川:そうですね。「誰かの役に立ちたい」っていう思いは、あの出来事から静かに芽生えていった気がします。

偏差値30台からの逆転劇。人生を変えた恩師との出会い

酒向:秋田でのびのび過ごされた少年のころから時を進めて、思春期にはまた違う一面もあったそうですね。当時はどのような学生生活を送っていたんですか?

早川:中学を卒業する頃は、ちょっとやんちゃをしていましたね。髪を金や赤に染めてみたり、当時流行っていた短ラン(丈の短い学生服)を着てみたり。「ビー・バップ・ハイスクール」の世界観に、みんな影響を受けていた時代でした。

酒向:早川さんも、いわゆるヤンキーだったんですか(笑)。

早川:見た目だけは、それっぽくしてましたね(笑)。ただ、その分勉強はまったくしていなくて。結果、高校受験は全滅してしまったんです。正直に言うと、すべての学校からお断りされたような状態でした。

酒向:それは、かなりショックだったのではないでしょうか? 当時の早川さんは、それをどんなふうに受け止めていたんですか?

早川:正直、こたえましたね。近所からは「あいつは高校も行けない」って後ろ指を指されるし。そこからは父の建設業を手伝って、現場仕事をする毎日でした。それでも楽しそうに通学する同世代を見ていると、素直に羨ましくて。やっぱり「勉強しよう」と思い立ったんです。

酒向:そこで初めて、自発的に「勉強しよう」と思われて、高校浪人という道を選ばれたんですね。

早川:はい。最初に通った予備校は、似たような境遇のやんちゃな仲間ばかりが集まっていて、「ここにいたら、自分は変われないだろうな」と感じました。それで自分の意思で、近くにあった別の学習塾に移りました。そこで出会ったのが、恩師の佐藤先生でした。

酒向:自らの意思で自分の環境を変える姿勢には、私自身もすごく共感します。私も14歳のときにテレビで宝塚歌劇団のドキュメンタリーを見て衝撃を受けて、「自分の進みたい道はこれだ」と直感したんです。母子家庭だったこともあり母には猛反対されたんですが、自分の意思を押し切って16歳で宝塚音楽学校を受験し、運良く入学することができました。

早川:それはすごい決断ですね。

酒向:佐藤先生は、どのような方だったのですか?

早川:小太りで、目がまん丸い、ちょっとユニークな先生でした(笑)。でも、誰よりも真剣に私と向き合ってくれたんです。「お前は何をやりたいんだ」「絶対にお前はできる」と、まっすぐに言葉をかけてくれて。

最初は「こんな自分に向かって何を言っているんだろう、この人は」と思ったのですが、真正面から向き合ってくれる大人に、自然と心を動かされていました。気づいたら、夢中で塾に通うようになっていたのですよね。

酒向:胸がジーンとするエピソードですね。その恩師との出会いをきっかけに、どのような変化が生まれたのでしょうか?

早川:半年ほどで、偏差値が30台前半から60台後半まで一気に伸びました。それで改めて受験に挑み、無事に志望していた千葉県の高校に合格することができたんです。そこから高校時代は、寮生活を送ることになりました。

酒向:偏差値が30も!? それは素晴らしい飛躍ですね! 寮生活のなかで、特に印象に残っていることはありますか?

早川:当時は今と時代の空気も違って規律も厳しく、寮のなかでも理不尽なことが日常的にありました。自分がやっていないことで、頭ごなしに怒られたこともあります。

そのとき学んだことが、「立場や権力を持つと、何をしても許されてしまうのか」という強い違和感でした。そのときの気づきが、今の「弱い立場の人にこそ、光を当てたい」という志の原点になっている気がします。

逃げずに、寄り添う。困難を支え合った母との絆

酒向:大学受験を控えていた時期には、ご家庭にも大きな困難があったとお聞きしました。

早川:父が営んでいた建設会社の経営が立ち行かなくなり、ある日突然、父が蒸発してしまったんです。会社を畳んでしまうと、その後5、6年は金融機関から新たな融資を受けられなくなる仕組みがあります。だからこそ、事業に失敗して行き詰まった人は、家族の前から姿を消さざるを得なくなってしまうのでしょうね。

酒向:それは、当時の早川さんにとって、あまりにも大きな出来事だったのではないでしょうか。

早川:父がいなくなってしまうと、生活費も学費も、すべて母と二人で工面せざるを得なくなり、困り果てて、区役所に相談に行ったんです。しかし、あまり親身には対応してもらえず。奨学金を借りようとしても「保証人を立ててください」の一点張りで、手を差し伸べてはもらえなかったのです。困っているときほど頼れる場所が少なく、弱い立場に置かれた人間には、そう簡単に光が当たらない現実を身をもって痛感しました。

酒向:弱い立場に光が当たらなかったというその原体験が、今の早川さんの原点にもなっているのでしょうか。

早川:まさにその通りです。当時、弱い立場に置かれていたのは、ほかでもない私たち親子自身でした。あのとき、誰にも頼れず、自分たちだけで乗り越えるしかなかった体験があったからこそ、今は自分が、過去の自分たちのように苦しんでいる人の力になりたいと強く思うんです。それが、現在の活動を貫く原動力になっています。

酒向:行政の手も差し伸べられないなか、その後の生活はどのように成り立たせていたんですか?

早川:本当に過酷でした。新聞配達をしながら学費と生活費を工面し、なんとか大学に通い続けました。実は父の蒸発以前にも、小学生の頃から父がお酒を飲むと感情的になることがあり、母と二人で家を飛び出して身を寄せ合いながら過ごした時期が何度もあったのです。

酒向:幼少期から、想像を絶するような試練を重ねてこられたのですね。

早川:「自分が生きていても意味がないのではないか」と自暴自棄になりかけた時期もありました。しかし、どうしても「死んでもいいか」とまでは思えませんでした。そこには何より、母親の存在があったからです。

酒向:お母さまは、早川さんにとってどのような存在だったんですか? 私自身も母ひとりに育てられた背景があるため、母子の絆というテーマには、人一倍強い思い入れがあります。

早川:母とは、言葉を超えた不思議な信頼関係で結ばれていたように思います。「約束したことをきっと守ってくれる」とお互いに思い合える関係というか。私が大学に進学した後、母は住み込みで温泉旅館の仲居として働きながら生計を立ててくれていました。

私自身も日々の生活に追われてなかなか会えない時期が続いたのですが、起業した事業が軌道に乗り始めた3年後、ようやく母を迎えに行くことができたのです。玄関で母の顔を見た瞬間、当たり前だったはずの「一緒に暮らす」ということが、こんなにも尊いことだったんだと実感しました。あの瞬間の光景は、今も決して忘れることができません。

思い出のファミレスで気づかされた、お金と幸せの答え合わせ

酒向:幼少期からさまざまな苦難を乗り越えられてきた早川さんですが、起業家としての一歩は、いつごろ踏み出したのですか?

早川:大学在学中の21歳のときですね。それまでお世話になっていた法律事務所の関係で知り合った投資家の藤本さんという方から、「君は会社員には向いていない。5,000万円を託すから、不動産事業をやってみなさい」と声をかけていただいたのがきっかけでした。藤本さんは、数々の事業を成功させてきた実業家でした。

酒向:21歳で5,000万円を託されるというのは、大きな決断だったのではないでしょうか。

早川:そうですね。藤本さんには経営の基礎からすべてを教えていただきました。朝6時から夜10時までお客さまを回り続け、3年ほどで200人規模の会社へと成長させることができたのです。

酒向:それは素晴らしい実績ですね! 藤本さんとの関わりのなかで、特に印象に残っているエピソードはありますか?

早川:藤本さんが軽井沢に別荘をお持ちで、あるとき「よく頑張っているから」と労いも兼ねて、母と一緒に招待してくださったことがありました。当日、藤本さんが運転するベンツに乗せてもらい、「おいしいラーメン屋があるんだよ」と言ってお店に連れて行ってくれたのです。母と二人で「どんな高級な店なんだろう」と期待を膨らませていたら、着いた先はファミリーレストランのバーミヤンでした(笑)。

酒向:まさかのファミレスですね(笑)。

早川:母と目を合わせて、「ここ、見たことあるよね」って(笑)。でも、藤本さんは本気で「これがおいしいんだ」って言って、300円くらいのラーメンを指差すんです。その姿を見て、どれほどの資産家であろうと、お金をどう使うか、どんな価値観で生きるのかが本質なんだと教えられた気がしました。「不幸な大金持ちより、幸せな小金持ちのほうがいいんじゃないか」と学んだ瞬間でしたね。

酒向:メンタルトレーナーとしての経験からも、その感覚はよくわかります。物質的な豊かさと、心が満たされているかどうかは、必ずしも比例しませんよね。

早川:本当にその通りだと思います。

酒向:その価値観は、現在の経営にも活かされているのでしょうか?

早川:かなり支えになっていますね。琉球アスティーダが上場前後で積極的に投資を進めていたとき、コロナ禍も重なって、会社の資金繰りが急速に緊迫した時期がありました。月次5,000万円ほどあった手元資金が、750万円ほどまで落ち込んだこともあったんですよ。それでも、役員会で「現金が底をつきます」と報告を受けたとき、私はあえて「へえー、そうなんだ」と落ち着いて返しました(笑)。

酒向:かなり肝が据わっていらっしゃいますね(笑)。

早川:社内が動揺していた時期だったからこそ、あえて動じない姿勢を見せる必要があったのです。その夜、私から監査法人のトップに送ったメッセージを、2年ほど経ってから見せられたことがありました。「がけっぷちサイコウ」と送っていました(笑)。ただ、そのメッセージを見た監査法人の方は、「この人はどんな逆境でもやりきる人間だ」と確信してくださったそうです。

酒向:そうした経営者としての実体験は、投資家としての早川さんの眼差しにもつながっているのですか?

早川:つながっていると思います。今も出資を検討する起業家には、必ず「あなたの志は何ですか」「3年後、5年後、10年後どうありたいですか」と尋ねます。それに明確に答えられる人は、100人に一人いるかどうかです。逃げずにやり続けられる強い意思があるかを一番大切に見ています。

「おもしろ楽しく、やりきり超MAX!」。逆境を越えて描く未来の景色

酒向:早川さんは上場企業の代表で、選挙にも挑戦されたご経験もあるのに、偉ぶった雰囲気がまったくありませんよね。誰に対しても態度が変わらず、すごく自然体で接していらっしゃいます。

早川:明るく元気に接していると、相手も明るく元気に返してくれるんですよね。笑顔やポジティブなエネルギーは、周りに伝播していくものだと思うのです。

酒向:会社では、企業理念に『おもしろ楽しく、やりきり超MAX!』という言葉を掲げていらっしゃいますよね。

早川:上場企業の代表がそんな言葉を掲げているのは珍しいみたいで、よく周りにもからかわれます(笑)。20代前半の頃は、とにかく数字や結果だけを追い求める経営スタイルでした。でもそれだけだと、いくら利益が出ても正直あまり幸せを感じられなかったのですよね。

だから今は、生まれた場所も、生きてきた環境も違う相手を否定せず、それぞれが幸せだと思える環境を認め合えばいいのではないかと思うようになりました。それを会社の理念としても言葉にしているのです。

酒向:私も海外で生活をしていたとき、国や地域によって幸福の価値観がまったく異なることに驚いた経験があります。だからこそ、多様な幸せを尊重される早川さんのお考えには心から共感します。

早川:そう言っていただけると本当に嬉しいですね。

酒向:その未来を見据えるお考えの根っこには、やはりご自身の原体験があるのでしょうか。

早川:家業が傾いたときの経験も大きいです。今、強く思うのは、「失敗した人が、再挑戦できる社会をつくりたい」ということなのです。日本では一度事業に失敗すると、金融機関から融資を受けにくくなる構造があり、再挑戦のハードルが高すぎます。何度でもチャンスが与えられる、そんな世の中にしていきたいんです。

酒向:早川さんご自身も、20代の終わりに政治の道へ挑戦された時期がありましたよね。

早川:はい、衆議院選挙に立候補したことがあります。縁もゆかりもない土地から出馬して、5万票近くをいただきながらも次点で落選しました。結果は残念でしたが、5万人もの方が私に一票を託してくださった事実を思うと、「もっと日本を良くしたい」という志がより強くなりました。政治もビジネスも、自分にとっては「社会を良くする志」を実現するための手段に過ぎません。落選したからといって、そこで終わりだとはまったく思いませんでした。

酒向:現在の「未来に向けた取り組み」としては、具体的にどのような活動をされているのですか?

早川:投資家として90社近いベンチャー企業の顧問やアドバイザーを務めるほか、経営者仲間を地方へ呼び込むイベントも開催しています。2026年6月には、人口3,000人ほどの長野県・野沢温泉村に、経営者仲間を1,500人ほど集めました。上場企業の社長や役員クラスの方が350社以上、登壇してくださいましたが、登壇料はゼロ、交通費や宿泊費も自腹で駆けつけてくれたんです。

酒向:規模の大きさはもちろんですが、みなさんが自発的に志でつながり、地方へと温かいエネルギーや循環を生み出しているストーリーが本当に素敵です。

早川:ありがたいことに、集まってくださる方々の総時価総額でいうと20兆円規模になることもあります。普段は光が当たりにくい地方に人やお金の流れを作っていくことも、今の自分にできる大切な貢献だと思っています。

酒向:誰かに強制されるのではなく、自分らしいペースで、笑いながら前を向いていられること。これこそが、早川さんにとってのウェルビーイングなのかもしれないですね。

早川:私自身が機嫌よく笑っていられれば、それは自然と周りにも伝播していく。一人ひとりが自分らしく、機嫌よくいられること。それが巡り巡って、社会全体のウェルビーイングにもつながっていくのだと信じています。これから先も、事業や投資、そしてこうした場づくりを通して、光の当たりにくい場所に光を当て続けていきたいですね。

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