私たちが、日々の小さな関わりの中で感じる役割(ロール)の満足感(フルネス)を意味する「ロールフルネス」。金城学院大学の加藤大樹教授が取り組んだ研究によると、社会的ロールフルネスは、青年期の自尊感情やアイデンティティに影響を与えることが明らかになるとのこと。そこで今回、加藤教授が取り組んだ研究内容やその背景についてインタビューを実施し、「ロールフルネス」や社会的な役割と個性のバランス、自分らしさなどについてお話を伺った。
加藤 大樹さん
金城学院大学人間科学部 教授
本記事のリリース情報
多元心理学科 加藤大樹教授の取材記事が「Wellulu」に掲載
他者との関わりの中で生まれる自分の役割
日々の小さな関わりの中で感じる自分の役割への満足感「ロールフルネス」
── まず、今回の研究に取り組まれたきっかけを教えていただけますか?
加藤教授:私の専門は臨床心理学で、特にアートセラピーに焦点を当てています。アートセラピーとは、言葉では表現しにくい感情を、絵画や粘土、音楽などの芸術的手段を通じて表現する心理療法です。その中でレゴブロックを用いた研究に興味を持ち、個人やグループでの作品作りを通じて、自己表現や人間関係の学習について研究してきました。そして、研究を進める中で、グループセッションでの表現活動が社会性やソーシャルスキルの向上に結びつくことを発見し、グループ活動における「役割感」の重要性をさらに深く研究したいと思ったのがきっかけです。
──先生が取り組まれている「役割感」に関する研究とは、どういったものなのでしょうか?
加藤教授:これまでは、特定の役割、例えば職業や家庭内の役割、ジェンダーロールなどに焦点を当てた研究が主でした。しかし、これらの特定の役割を超えて、グループ活動における役割感、たとえば子供たちがブロックで何かを作る際の協力や感謝の表現などといった、日々の小さな関わりの中で感じる役割の満足感に焦点を当てています。この日々の関わりの中での役割の満足感を表すため、役割(ロール)と満足感(フルネス)を組み合わせた「ロールフルネス」という言葉で定義しています。
「社会的ロールフルネス」と「内的ロールフルネス」
──なるほど。ロールフルネスについて具体的に教えてください。
加藤教授:ロールフルネスには、「社会的ロールフルネス」と「内的ロールフルネス」の二つの要素があり、社会的ロールフルネスは、日常生活の中での人々との関わりを通じて感じる役割満足感を指します。一方、内的ロールフルネスは、自分自身の中で育つ役割感や自己認識に関連しています。役割は他者との関わりの中で生まれるため、調和や集団の中での役割が重視される日本文化において、社会構造や心理に深く根ざしています。
── 「役割感」はいつ頃から見られるのでしょうか?
加藤教授:KIDSセンター(大学が運営する子育て支援施設)でのブロックを使ったグループ活動で、親子や子供同士の関わりの中で既に見られています。例えば、親子が一緒に動物園を作る活動では、子供が指差しで意思を伝え、親がそれに応じるなど、小さな子供でも役割を持ち、行動しています。
10項目で診断!自分の役割への満足感「ロールフルネスチェック」
── ロールフルネスの程度はどのようにして計ることができますか?
加藤教授:外からは見えない心理的要素のため、アンケートを用いて人々の内面を数値化しています。社会的ロールフルネス5項目と内的ロールフルネス5項目から構成され、一般の方でも自己チェックとして使用できます。7項目版もありますが、これは研究者用で、統計学を用いてデータのまとまりを分析し、研究目的に適した項目を選定しています。
── 「社会的役割」と項目に記載されていますが、どのような視点で考えるとよいのでしょう?
加藤教授:社会的役割は、自分が所属する環境や立場に基づいて考えられます。例えば、学生なら学校での役割、会社員なら会社内の役割がそれにあたります。しかし、ロールフルネスは場面によって変わることがあり、例えば会社では低いが家庭内では高いというケースもあります。こういった点も踏まえて、ロールフルネスをチェックする際は、これらの異なる役割も統合的に捉えて判断するのが良いと思います。
ロールフルネスが青年期のアイデンティティ形成に影響する
── 今回の研究の方法について教えてください。
加藤教授:高校生を対象とし、ロールフルネスが自尊感情やアイデンティティの形成にどのような順番で、どのように影響するかを調査しました。最近の心理学で重視されている影響関係を紐解くため、構造方程式モデリングを用いて数学的に分析しました。
── 分析の結果どうだったのでしょうか?
加藤教授:影響関係について3種類の仮説を立てた上で検証した結果、社会的ロールフルネスが内的ロールフルネスに影響し、それが自尊感情を経てアイデンティティに影響するという結果になりました。その関係性を示した図が↓になります。数字が大きいほど影響が強いことを示しています。
また、社会的ロールフルネスは、自尊感情やアイデンティティに直接影響を与えることも分かりました。これは、社会的ロールフルネスの重要性を再認識する重要な発見です。
── この結果からどういった課題へのアプローチが見込めそうですか?
加藤教授:今回の研究を通じて、学校に行きたくないことや学校に馴染めないといった、学校適応や不登校の問題に対して、貢献できる可能性があります。学校内で、生徒たちが自分に適した役割を見つけられる環境を整えることで、そういった課題を解決できるかもしれません。
ただ、学級委員や部活の部長などの役割だけだと、子どもによってはストレスになる可能性もあります。役割のランクが高い・低いを気にしたり、役割を失う不安もあります。そのため、それぞれが自分に適した役割を見つけられる環境が大切です。
大人になると社会的役割が複雑化!いまの自分の役割で満足感を見つける
── なるほど。それは大人にも当てはまりそうですね…。
加藤教授:はい。大人のメンタルヘルスにとってもロールフルネスは重要だと考えています。従来の心理学では、アイデンティティは青年期に確立されるとされていましたが、現代では30代、40代でも、特に転職を考える際など、アイデンティティに関する疑問や葛藤が多く見られます。
── 大人のロールフルネスについてどうお考えですか?
加藤教授:大人になると、社会的役割が複雑化し、自己肯定感に影響を与える可能性があります。特に20代後半から30代にかけて、所属する組織内での役割やそれを望むかどうかといった葛藤もあるはずです。
しかし、部署や役割を超えて共通して満足が得られる部分もあります。現在の役割で満足感を見つけることは、ウェルビーイング(幸福感)の視点でも重要なことです。たとえ、仕事に不満があっても、現状での良い点を見つけることが大切です。転職やポジションのアップを目指すのも良いことですが、その過程での精神的な健康も重要です。
── 社会的な役割と個性のバランスについて、今後の課題はありますか?
加藤教授:日本社会では、特に集団に馴染むことが重視され、個性を発揮しづらい状況があります。大人になってから自分らしさを求められることは、育ちの中で自分らしさを感じることの重要性を示しています。そのため、心理教育の重要性を感じていて、学校でのストレスとアイデンティティに関する教育が大切だと考えています。
自分の役割への満足感「ロールフルネス」を高めるために
「挨拶」や「会話」を楽しむ、「感謝の気持ちを伝える」
── ロールフルネスを高めるためにはどうすれば良いですか?
加藤教授:ロールフルネスを高めるためには、日常で実践できる小さなことが重要です。「挨拶」や「会話」を楽しむこと、「感謝の気持ちを伝える」ことが大切です。これらは誰にでもできることで、相手に対してもポジティブな影響を与えます。例えば、ありがとうと言われることで、自分の役割が認識され、満足感が得られます。
当たり前のことですが、こういった小さなコミュニケーションを怠らないことが、人との関係を良くします。
── なるほど。感謝の気持ちを伝える際に、押さえておきたいポイントがあれば教えてください。
加藤教授:「ありがとう」と言う感謝の表現は非常に重要です。その際は、具体的に何に対して感謝しているかを伝えることもポイントかもしれません。役割と感謝は密接に関連していて、感謝を見える形で伝えることは、相手に対する敬意を示すことにもつながります。
私たちは日常生活でも、小さな役割を担っています。例えば、コンビニのお客さん、幼稚園の親など、これらの小さな役割が他人にとって大きな意味を持つことがあります。見過ごしがちですが、日々の役割を振り返ることで、自分の存在に意味を見出すことができます。
“自分の役割”に囚われすぎず、”自分らしさ”を発揮する
── 役割を持つ上で、注意すべきことがあれば教えください。
加藤教授:役割に囚われすぎず、自分らしさを発揮することも重要です。そのバランスは難しく、個性が消えるとアイデンティティが崩れ、自信を失うことにつながります。特に仕事の中で自分らしさを保つことは難しいですが、オフの時間や趣味の中で自分らしさを表現することも重要です。
たとえば私の場合、教員としての役割に囚われすぎると、本来の自分とは異なる自分になってしまい、授業が面白みのないものになったり、人間関係がうまくいかなくなることもあります。しかし、自分らしさを大切にすることで、学生たちも真剣に聞いてくれるようになり、自分自身も楽になりました。
── 日本人が意識しすぎな部分もあるのでしょうか?
加藤教授:その傾向はあるかと思います。良い面もありつつ、ストレスにもなります。たとえば、他の国での意識の度合いに目を向けることで、適切なバランスを見つけられるかもしれません。
私自身の経験による印象ですが、たとえば、オーストラリアでは、公共の場での自然な挨拶や会話が一般的で、自然にロールフルネスを実践しています。これは、日本のマニュアル的なおもてなしとは異なり、個人的なコミュニケーションが重視されていて、人々が自然にコミュニケーションを取る文化が関係していると考えられます。
── 今後の研究について教えてください。
加藤教授:現在は、記憶とロールフルネスの関係に興味を持ち研究しています。過去の出来事の捉え方や感じ方を変えることは可能で、これがロールフルネスとどう関係しているかを研究しています。デンマークのオーフス大学と協力し、日本とデンマークでのロールフルネスの違いや記憶の受け止め方の国際比較を行っていく計画です。
Wellulu編集後記:
誰もが一度は、自分の役割はなにか、アイデンティティや自尊感情について、迷い、模索し、葛藤したことがあるはずです。現在は、記憶とロールフルネス(役割充実感)の関係について研究を進めているとのことで、過去の出来事をどう捉え、どう感じるかを変えられるというのは、大変興味深く、同時に驚きも感じ、この先の研究結果にも期待が膨らみます。今回のインタビューを通じて、「挨拶」や「会話」を楽しむこと、「感謝の気持ちを伝える」こと、そして何よりも役割を越え、自分らしさを持つことの重要性を再認識できました。
名古屋大学大学院教育発達科学研究科博士課程後期課程修了。博士(心理学)。日本学術振興会特別研究員,名古屋大学学生相談総合センター特任助教,金城学院大学人間科学部講師,准教授を経て,2021年より現職。専門は臨床心理学。芸術療法や心理的アセスメントに関する基礎的研究に従事。近年は,私たちが生活の中で感じる役割満足感をあらわす「ロールフルネス」という新しい分野の研究に取り組んでいる。