芸術とは、私たちの心に生きる力を与えてくれるもの。また、ある音楽や芸術・美術作品においては「癒やしの◯◯」といった形で用いられることも。「癒やす」という言葉の意味をあらためて引いてみると、「病気や傷をなおす、苦しみをやわらげる」などと書いてある。「治癒」という言葉に「癒」という字が入っているように、治すことと癒やすことは同義であり、密接な関係にあるといえるだろう。
今回『Wellulu』がインタビューするのは、医師として長きにわたり医療現場で活躍しながらも、音楽や美術・芸術に造詣が深く、幅広い分野で活動を展開する稲葉俊郎さん。〈山形ビエンナーレ〉の芸術監督を務めた稲葉さんが考える芸術祭という新しい場の在り方、さらには医療と芸術の可能性について話を伺った。
稲葉 俊郎さん
医師、医学博士、作家
幼少期の原体験が、医療の世界と医師の道を志すきっかけに
―稲葉さんは医療現場での仕事に長く携わられていますが、いわゆる「医師」という肩書きを超えて幅広く活動をされています。これまでの経歴と現在の活動についてお聞かせください。
稲葉:医師として病院で働き始めたのが2004年なので、医療現場には20年関わっていることになりますね。直近では軽井沢病院の院長を務めていましたが、その前は東大附属病院の循環器内科の臨床医として、カテーテル治療や先天性心疾患を専門としていました。そのほかにも在宅医療や山岳医療に携わりながら、西洋医学だけではない視点でさまざまな分野との接点を探りながら活動してきました。2024年5月からは慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科(SDM)の特任教授に就任し、そのほかにもウェルビーイングの場の研究と実践を中心とした活動をしています。
―そもそも、医師になられたきっかけや理由にはどんなことがあるのでしょうか?
稲葉:子どもの頃に重い病気を経験したということは大きいでしょうね。断片的にしか覚えていないんですけど、子どもの頃は体が弱かったこともあり、3歳から5歳ぐらいまでは長期入院も多かったんです。そういったことが原体験にはなっていると思います。私の場合、最終的には病院の医師や看護師さんのおかげで病気自体は治ったと思うのですが、当時から治療するということよりも、治るという現象のほうに興味を持っていました。人間の体には本来「治る力」というものが備わっています。そこを探求したくて医療の世界や医師としての道を選んだのだろうと思います。
自身が目指す「医師像」となった、医師であり美術や芸術を愛する父や家族の存在
―芸術というものにふれたのは、あるいは意識したのはいつですか?
稲葉:私の家族には絵を描いたり書道をしたりするような人たちも多く、幼い頃から芸術が身近にある環境でした。79歳になる父は、現役の医師をしながらずっと絵を描いています。だからみんな出世したいというよりも、自分の好きなことを探求している人たちばかりなんですね。仕事と暮らしと芸術、それぞれを両立させているといいますか。
―医療と芸術の世界は、幼少期から身近なものとして存在していたのですね。稲葉さんの現在の活動とも重なるところがあります。
稲葉:近い部分はあると思います。父も祖父も医師として地域に貢献していたんだけれど、病院という現場やシステムの世界だけで生きるのではなく、自分自身がやりたいことを同時にやる人たちでもあったので。私はそういうのが生き方として良いなと思っているし、それこそウェルビーイングというか、健全で幸せな人生なんじゃないかなと思っているんです。いわゆる一般的なイメージのお医者さんではないかもしれないけど、私にとっての「医師像」は父や祖父がベースになっています。
―今のお話の中で「ウェルビーイング」という言葉が出ましたが、この言葉が注目されている社会的背景や流れについてはどのようにお考えでしょうか。
稲葉:注目されるようになった一番大きなポイントとしては、これまで日本の社会が「場」というものを重要視するあまり「個人」をないがしろにし過ぎていたという点です。要するに、会社でも家族でも地域でも何でもそうですが、すべて場の原理で動いていたことによって、一人ひとりの幸せが失われてしまっていた。それは社会の秩序を保つためであり、組織やシステムのうえに成り立っているからではあるんだけれど、自分や自分の身近な大切な人たちにとっての幸福を犠牲にしてまで優先する必要があるのか? ということに、多くの人たちがようやく気づいたということですね。そのタイミングと「ウェルビーイング」という言葉が上手く合致したのだと思います。
すぐれた芸術は医療である。自然治癒力を発揮させる「場」とは
―続いて、芸術監督を務められた〈山形ビエンナーレ〉への参画の経緯や背景について教えていただけますか。
稲葉:まず、山形ビエンナーレとは山形市内にある東北芸術工科大学が主催する芸術祭です。「震災後の東北においてアートとデザインで何ができるか?」というコンセプトのもと、2014年にスタートしました。大学が主催する芸術祭というのはひじょうに珍しい例だと思います。私自身もこれまで各地の芸術祭に参加してきましたが、そこに行くことで心身ともに元気になれるというか、これって「治る」場に近いなあと感じることが多くありました。要するに医者が「治す」のではなく、人間本来が持っている自然治癒力が発揮されるような場ということですね。
また、世界中にはいろんな芸術祭や美術祭がありますが、私としては、もっと生活や医学に寄り添ったお祭りがあってもいいんじゃないかと考えるようになりました。ちょうどそのころ、〈MIMOCA(丸亀市猪熊弦一郎現代美術館)〉のシンポジウムに出席する機会があり、同席していた東北芸術工科大学学長の中山ダイスケさんからお誘いを受け、2020年に芸術監督を拝命することになったんです。
芸術祭を通じて自身の心と身体と向き合い、「いのち」の全体性を考える
―2020年のメインテーマが「山のかたち、いのちの形」、2022年が「いのちの混沌を超え、いのちをつなぐ」、3回目となる2024年が「いのちをうたう」。いずれも「いのち」という言葉がありますが、そこに込められた想いはなんでしょうか。
稲葉:まず、漢字ではない「いのち」としている理由は、命を個人の所有物ではないと考えているからです。多くの人が、自分の命は自分のものだと当たり前のように思っている。そうすると、自分の命なら何をしたっていいだろうという考えに走ってしまうことがある。私は逆なんです。まずは「いのち」という存在があり、いのちが「わたし」を作っているのだと。それから命には、生きている間の時間(=寿命)といった意味合いもありますが、地球開闢から海ができて、生き物たちが生まれ人間が誕生して、先祖となる人たちがいて……といったように、これまでの流れがあったうえで存在しているのが、私たち一人ひとりの「いのち」だと思っているんですね。
―新型コロナウイルスの影響により、2020年はオンラインで開催されたと伺っています。あらゆる場所では自粛が求められ、一時は文化芸術活動にも「不要不急」という言葉が向けられました。稲葉さんはコロナ禍という出来事をどのように捉えていますか?
稲葉:感染者が増えていた時期は、朝から晩までコロナの診療があり、私自身も現場もたいへん疲弊していました。システムの中だけで動くことに対する疑問や違和感もありましたが、医療者として何ができるかを考えるうえで重要な機会でもありました。
社会現象でも人生でもなんでもそうですけど、私は無駄なことって何ひとつ起きないと思っているんです。一番大事なのは自分がどれだけのことを学び取れるか。一見マイナスに見える出来事というのは、社会レベルでも個人レベルでも起きるものです。そういう意味ではコロナ禍という現象も、そこから何を学び取って次に進むかを、一人ひとりが考えるきっかけだったのではないかと思っています。
―あるインタビューで「ウイルスの立場で世界を見ている」とおっしゃっていたのが印象的でした。コロナをそのような視点で捉えることは、物事を考えるうえでの気づきにもなりました。
稲葉:コロナのことを知りたいと思って調べたり考えたりするうちに、ウイルスと人間の関係と人間と地球の関係が実は一緒だということに辿り着いたんですよね。ウイルスの10の7乗が人間で、人間の10の7乗が地球のサイズ。要するに、ウイルスから見た人間と、人間から見た地球がちょうど同じ縮尺になるんですよ。そのとき思ったのは、私たちがウイルスを排除しようとする行為は、地球の立場で人類を考えたときと同じなのではないかということでした。自分の立場だけで物事を考えていては、私たち人類は地球という場所にいられなくなってしまうんじゃないかと。そこでようやく地球というものの存在をちゃんと意識できたというか。
そもそも、幼少期から「相手の身になって考えましょう」って学びますよね。これってすごく本質を突いていると思うんです。必ずしも人間関係だけではなくて、ウイルスでも地球でもそうですけど、それぞれの立場で考えたり視点を変えたりすることで、世の中は全然違って見えるわけなんですよね。結局のところ、人間が考えていることなんて浅はかだし、自分の知識や経験の中でしか考えられないと思うんですよ。そのことを謙虚に認めることさえできれば、お互い少しはわかり合えるんじゃないでしょうか。それが社会生活を送るうえで普遍的な原理なんじゃないかという気がしています。
自己治療としての表現や創作活動は、芸術の機能であり可能性
―2024年のビエンナーレでは、山形市内の温泉地である蔵王を舞台に設定されています。そこには、どのような意図があるのでしょうか。
稲葉:いくつかきっかけはあるのですが、地球のうえに人間が生きているということを実感できる場所で芸術祭を開催したいと思っていたので、温泉地という構想はもともとありました。温泉というのは地球の息吹を感じられる場所であり、エネルギーがとめどなく湧き出している場所。私たちはその恩恵を受けながら生活し、地球そのものとアクセスしている状態といえます。
蔵王を舞台にしたいと思ったのは、芸術祭に関わるディレクターたちと一緒に山へ登った時に、冬の蔵王のシンボルの「樹氷(じゅひょう)」を形づくるアオモリトドマツの枯れ果てた姿を見たことです。虫による食害が問題視されているとのことでしたが、幻想的な樹氷とは大きなギャップがありました。その悲しい現実を知った時、まるで地球が悲しみの歌を歌っているように感じられたんですね。ある種のメッセージのようにも受け取れたというか。メインテーマの「いのちをうたう」という言葉はそこで浮かんできたんです。
―歌にまつわる人でいうと、参加アーティストにも音楽家や歌人がいますが、今回の山形ビエンナーレのメインビジュアルには日本を代表する山形出身の歌人・斎藤茂吉が起用されています。
稲葉:彼は精神科医であり歌人ですから、芸術文化に親しみながら医療現場に長く携わってきた身としては、ある意味でとても近い部分を感じます。しかしながら、茂吉さんが専門とする分野の時代背景としては、今のように薬や治療方法も多くは存在せず、いわゆる学問的な世界だったと思うんです。ゆえに、茂吉さんの中には葛藤のようなものがあったはず。これは推察になりますが、彼は自己治療的な目的で歌を詠んでいた面もあるのではないかと私は思っているんですね。
―芸術におけるひとつのアプローチとして、自己治療としての表現や創作活動もあるということですね。
稲葉:生きづらさや悲しみから生まれる感情を作品に昇華するというのは、芸術の一番優れた機能です。楽しんで作品を制作することも素晴らしいけれど、人生そればかりではないですから。かといって悲しんでいるだけでもいられない。それらを表現のエネルギーに転換できることこそが芸術であり、生きる力なんです。日本における芸術文化のベーシックな部分にも通じるものがあると思います。要するに、いつの時代も誰もがより良く生きたい、良い社会に向かっていきたいという思いはあるわけですよ。
ウェルビーイングな滞在型の観光スタイル、「湯治」のすすめ
―冒頭で、ウェルビーイングの概念に関する稲葉さんのお考えをお聞きしましたが、地域という単位でウェルビーイングと向き合う時に、これからどのような可能性があると考えられるでしょうか。
稲葉:観光というものを考える時、ほとんどが収益型の視点で成り立っているのが現状だと感じます。個人的には、そういった時代は終わりを迎えつつあり、次のフェーズに向かっていくような気がしています。たとえば温泉地でいうと「湯治」のような、ウェルビーイング型の滞在や観光のようなものが今後は増えていくのではないでしょうか。
―なるほど。収益型の観光から、いわゆる「湯治」型の観光へ、ですか。
稲葉:ええ。豊かさというのは、単にお金があることや経済的な規模だけを指すものではないですから。日本の伝統的な美意識に「侘び寂び」という言葉があるように、華やかではなくとも質素なものにこそ趣があるとする考え方や、時間の経過によって表れる美しさを感じる心がありますよね。地域のウェルビーイングというものを考えるときに、収益型の観光だけではなく、自然や温泉の力を感じられて地域の魅力を発見できるような、そこに行くことでリフレッシュできて元気になれるような体験ができると良いですよね。そのためには暮らすようにゆっくり滞在することが大切で、湯治というスタイルはそこにぴったりハマるんじゃないかと思っているんです。
―贅沢に過ごすだけではない、新たな観光スタイルの提案といいますか。地域資源を活用しながら滞在することで地域への理解も深まり、より良い関係性が生まれていきそうですね。
稲葉:そうですね。もちろん訪れる人だけではなくて、住んでいる人たちも健康であってほしいと願っています。そういう意味でも、温泉地の可能性は今後も探っていきたいですね。病院に行ったり薬を飲んだりする前に、温泉に浸かったり湯治をしたりするほうがよっぽど体調が良くなる場合もありますから。心や体に不調を感じた時の医療の選択肢が、病院という場だけではないということも伝えていけたらと思っています。
ウェルビーイングな観光スタイルは心身ともにすこやかになれるだけでなく、人間らしさや本質的な豊かさにも気づかせてくれそうですね。芸術と医療の融合と可能性に始まり、貴重なお話をありがとうございました。
山形ビエンナーレ2024 in 蔵王 公式サイト
取材撮影地:ZAO stand MY
1979年熊本生まれ。医師、医学博士、作家。慶應義塾大学大学院 システムデザイン・マネジメント研究科(SDM)特任教授。「いのちを呼びさます場」として、湯治、芸術、音楽、物語、対話などが融合したwell-beingの場の研究と実践に関わる。西洋医学だけではなく伝統医療、補完代替医療、民間医療も広く修め、医療と芸術、福祉など、他分野と橋を架ける活動に従事している。『いのちを呼びさますもの—ひとのこころとからだ』(アノニマ・スタジオ)、『ころころするからだ—この世界で生きていくために考える「いのち」のコト』(春秋社)、『ことばのくすり—感性を磨き、不安を和らげる33篇 』(大和書房)など著書多数。
https://www.toshiroinaba.com/