国内外で注目されている「ウェルビーイングな暮らし」。ウェルビーイングや持続可能な社会をテーマにした研究は、世界各国で取り組まれている。
そんな中、九州大学都市研究センターの馬奈木俊介センター長/主幹教授率いる研究グループは、ウェルビーイング(人々の幸福感や生活の質)に焦点を当てた新しい研究を行った。
従来の研究が主に個人の属性に注目していたのに対し、この研究では土地の属性がどのようにウェルビーイングに影響を与えるかを調査した。全国30万人以上のウェルビーイング調査とJAXAの衛星画像データを用いて、世界で初めて土地利用の状況がウェルビーイングに関連していることを明らかにした。
馬奈木 俊介さん
九州大学工学研究院 教授
収入と幸福度の関係:一定水準を超えると幸福度は鈍化する
━━先生が今回の研究に取り組まれた背景について教えてください。
馬奈木先生:私は元々、経済学と都市工学において持続可能な社会の実現に興味を持っていました。特に、家族やコミュニティ、職場などがどのように社会全体の持続可能性に影響するかについて研究しています。環境問題や地域の課題にも取り組んでいましたが、個人の健康や幸福が社会全体の持続可能性に密接に関連していることに気づいて、その方向に研究を進めることになりました。
そこから、実感としての豊かさを測定する「新国富指標」というデータを用いて国際的に分析し、個人の健康や幸せに焦点を当てたウェルビーイングを研究しています。
━━国際的に研究しているとのことですが、日本と海外でウェルビーイングの感じ方に共通点や違いはあるのでしょうか?
馬奈木先生:国内と海外のウェルビーイングに関しては、収入が増加すると幸福度も向上するという共通点があります。しかし、収入が一定の水準を超えると、幸福度の上昇が鈍化する傾向が確認されています。
職業と幸福度の関係:日本は仕事の満足度が低い?
馬奈木先生:一方で、日本と海外の違いとしては、日本では仕事に対する満足度が低く、労働環境の改善が求められています。特に、日本の女性の労働環境が海外に比べて不利な状況にあるとされており、これが社会全体の持続可能性にも影響を与えています。
これらの調査結果は、持続可能な社会を形成するうえで、個人レベルでの幸福度や健康がいかに重要か、そしてそれがどのように大きな社会的課題と連動しているかを明らかにする手がかりになっています。
アンケート調査とデータ分析で個人の幸福度を調査
━━先生の研究ではアンケート調査とデータ分析を組み合わせておこなわれたと思いますが、なぜ2つの方法を使用するのですか?
馬奈木先生:アンケート調査は、感情や価値観、人々の認識といった個人の内面にアクセスする最良の手段ですが、調査対象者の主観に依存して視点が狭くなることがあります。その一方、データ分析は高度なスキルと設備が必要になりますが、客観的な情報をもとに分析することができます。この2つの方法を組み合わせることで、人々の精神的健康や社会的条件などに対する深い理解が可能となるんです。
━━例として、これまで研究されてきたことについて教えていただけますか?
馬奈木先生:温泉地域での健康効果、アルコール摂取による個々の反応、企業内でのストレス管理などの研究に取り組みました。
温泉地域におけるデータ分析では観光や地域医療に対する新しい方針を生む可能性があり、アルコール摂取に関するデータは健康リスクを減らすための個別のガイドライン作成や、業界における商品開発につながります。また、企業でストレスチェックのデータを活用することで、効果的な人事政策や働き方改革を検討することもできます。
こうした成果を通じて、個人の健康や生活スタイル、地域の活性化に関する新たな知見が得られることが明らかになりました。
地域と幸福度の関係:自然環境が与えるウェルビーイング
━━今回の研究では、JAXAの衛星データを使用したとのことですが、具体的にはどのような研究をされたのでしょうか?
馬奈木先生:JAXAの衛星画像データと国内外から収集したウェルビーイングに関する各種データを組み合わせて膨大なデータベースを作成しました。このデータベースは人々の幸福度と住んでいる場所や環境との関係性を明らかにするために有用なものです。幸福度が地域にどのように影響しているか、ポジティブな影響かネガティブな影響かといった情報を収集できます。
さらに、地域ごとの細かいデータを取得することで各地域の特性も明確になります。これは地域社会の発展や都市計画において有用です。例えば、特定の地域で建物を増やすべきか、緑を増やすべきか、余っている土地をどう活用すべきかといった地域別の戦略を考えるヒントになります。
例としてですが、日本全国の各地域を細かく区分し、そのデータを色分けした地図で可視化しました。この地図は、川や湖などの自然環境が与えるウェルビーイングの影響や効果を示しています。
関西地方では水辺の価値が高く、特に赤色で示されたデータがそれを強調しています。水辺の価値とは、河川をはじめとする水環境がもたらす利益を指しており、その利用方法は多岐にわたります。川でのバーベキューやレクリエーションなど、多様な利用が可能であり、これが地域の価値を高める可能性を示しています。
━━この研究の成果は、具体的にどのように活用される予定なのでしょうか?
馬奈木先生:都市計画や環境整備において有効だと考えています。地域ごとのウェルビーイングの状況を明確に色分けした地図を用いることで、どの地域にどのような投資が最も効果的か、そのコストと効果を正確に評価することができます。
例えば、北海道や東北地方の一部では、ウェルビーイング効果が高いけれど需要が限られているため、独自の戦略が必要です。都市部や水辺が多い地域では、効果と必要な投資とのバランスを慎重に考慮する必要があります。このようにデータベースに基づいた科学的根拠を提供して、関係者によるより合理的な意思決定を支援する手段として活用されると考えています。
━━都市開発や地方創生に関わる方以外にも、これらの研究データを活用することはできるのでしょうか?
馬奈木先生:個人のウェルビーイングを考える際に、「絶対に便利な場所がいい」とか「とにかく自然の多い場所に住む」など、極端な判断で行動するのではなく、自身の状況や好みに合った選択肢をよく検討することが重要です。住居の選択や移動先の決定において、実際はさまざまな要素が絡み合っているので、客観的な数字やデータを参考にすることで自分にとって重要な要素を見極めるのに役立ちます。
特に、地域にある価値を数字で示すことができれば、個人が自身に合った選択をしやすくなるだけでなく、街の活性化や環境の保護なども促進され持続可能な社会への一歩となるでしょう。
今後はまちづくりにおいても地域らしさを重視し、地域ごとの特性を活かすことが求められています。成功事例を無理に複製するのではなく、地域の強みや価値を分析し、そこに特化した取り組みを進めることで、より多様な街が形成されて住民の満足度や幸福感が向上すると考えています。
将来の世代にも継承される持続可能なまちづくりへ
━━最後に、今後の研究について教えていただけますか?
馬奈木先生:現在、私たちは個人データと地域データを組み合わせて、持続可能な都市開発にどのように貢献できるかを研究しています。特に焦点を当てているのは環境と健康に関連する要素です。今後は具体的なプロジェクトを実施し、その成果を基に関連企業や行政と連携して持続可能な開発を推進する予定です。
━━ 非常に興味深い研究ですね。
馬奈木先生:これらの研究の成果によって、将来の世代にも継承される持続可能な社会にもつながると考えています。具体的には、建設や不動産関連の企業と協力しながら、短期的な利益ではなく、長期的な持続可能性と地域の魅力を向上させる取り組みを進めています。また、国際的な活動も展開しており、国連の持続可能な開発目標(SDGs)に沿った報告やプロジェクトも進めています。
━━馬奈木先生、本日はありがとうございました。
Wellulu編集後記:
今回、馬奈木先生に取材をするまで、ウェルビーイングを客観的に判断することは難しいと思っていました。しかし、多様なデータを紐解く視点があればウェルビーイングの指標を示せることに驚きました。
また新しく住む場所を決める引っ越しのときなど、客観的に判断できる材料として地域に属した多様なデータがあればとても参考になると感じました。今後こういった研究がどんどん進んでいくことで、私たちの暮らしとも密接に紐づいて、自分らしいウェルビーイングを見つけるヒントになるんだろうな。
九州大学主幹教授、都市研究センター長、総長補佐。経済産業研究所ファカルティフェロー、農林水産政策研究所客員研究員を兼任。第16回日本学術振興会賞受賞。第25期日本学術会議会員。国連「新国富報告書」代表、国連・SDGs報告2023評議員、国連・持続可能性のための新しい資本円卓会議委員、経産省産業構造審議会臨時委員、環境省中央環境審議会臨時委員、日本学術会議「サステナブル投資による産業界のインパクト」代表などを歴任。