超高齢化社会が進み、「人生100年時代」と言われて久しい昨今。
しかし、実際に重要なのは寿命として表される数字ではなく生活であり、健康寿命=元気に自立して制限なく過ごせる時間をいかにして伸ばすかだ。そのためには、脳の老化を防ぐことが重要だと考えられる。
老化については個体差が大きいが、脳の神経細胞の機能が大きく関わることは間違いない。脳の神経細胞は糖をエネルギー源として機能していることはわかっていたが、今回、東京都立大学の安藤香奈絵准教授らのグループが加齢による脳の糖代謝の変化と老化の関係性について研究を行い、脳のアンチエイジングと健康寿命の延伸のための新たな気づきを得た。
安藤 香奈絵さん
東京都立大学理学部生命科学科 准教授
健康寿命を伸ばす糖質制限が脳の老化につながる?
──今回の研究に取り組んだ経緯を教えてください。
安藤准教授:私はずっと脳の老化、特にアルツハイマー病などで知られる神経変性疾患の研究をしてきました。神経編成疾患のなかには歳を重ねるとかかりやすくなるものがあるのですが、やはり高齢化社会においては、そういうものが避けては通れない問題となってくるわけです。一方で高齢化社会というのは、決してネガティブな側面ばかりではありません。人が長く生きられるようになった証ですから、本来は素晴らしいことのはずなんですよね。
──はい。ただし、自分ひとりの力と意思で日常生活を送れる状態であってこそ、です。
安藤准教授:そうです。自由に元気に活動できる身体状態にあって、初めて素晴らしいと言うことがでます。いわゆる「ネンネンコロリ」ではなく「ピンピンコロリ」を目指すために、分子レベルで研究を進めることで、脳の老化を抑える、あるいは少しでも遅らせることができないかという取り組みをしてきている一環として今回の研究に取り組みました。
糖質を制限することで脳のエネルギー不足が起きる
──ということは、前段となる研究などがあったわけですか。
安藤准教授:脳の神経細胞は、糖の分解によって作られる「ATP」というエネルギーを必要とします。この「ATP」は生体のエネルギー通貨とも呼ばれていて、脳以外の機能にも使われています。
脳が十分な機能を果たすためにも、豊富な量が必要だと言われています。
ところが、血糖値を下げる食事制限だったり摂取カロリーを抑えることで、寿命が伸びることも知られています。脳の老化、そして寿命における糖の役割について相反する知見があり、そこにある矛盾に対する説明がなかったため、今回ショウジョウバエを用いて実験を行いました。
──そもそもの確認ですが、脳が機能するためには十分な糖が必要なのですね?
安藤准教授:はい。脳のエネルギー源は、糖に依存しています。そのうえで、例えばアルツハイマー病を発症すると糖の代謝が落ち込むというのもわかっています。代謝が落ち込む以前に、発症すると脳への血流が下がるので、そもそも糖がまわらず欠乏状態になっているのではないかと考えていました。
アルツハイマー病やパーキンソン病…、脳のエネルギー不足による影響
エネルギーの欠乏状態で脳機能が低下
──エネルギーの欠乏状態が続いたら、脳はどうなるのでしょう。
安藤准教授:脳の機能が低下します。実は、脳の神経細胞は体のほかの細胞とは少し違う性質を持っています。例えば、わかりやすいところで言うと、皮膚の細胞は傷つけられても回復しますよね。そもそも傷つかなくても自然と生まれ変わるシステムです。ところが、脳の細胞は生まれてから一生を終えるまで、ずっと同じなのです。入れ替わることはありません。
体内の司令塔・脳の神経細胞の老化は「生きる」を揺るがす
──脳の神経細胞が死んでしまうと、どのようなことが起こりますか?
安藤准教授:神経細胞とは、私たちが世界を認知し、何かを見て、状況を捉えて記憶して、判断をして、話をするなど、そういったすべての感覚、運動すべてを担っているものです。そのため、それらが姿を消すということは、一つひとつ順を追ってできなくなっていくことになります。通常の生活を送るうえで多少減るくらいであれば、大したことはありません。しかしアルツハイマー病やパーキンソン病などを発症した場合、自覚症状が出る頃には、神経細胞の機能がだいぶ低下してまっている状態です。始まりは「思い出せない」から始まって、最終的には動けなくなってしまうのです。
──わかるようなわからないような……。なんとなく、ピンとこないのですが……。
安藤准教授:脳の神経細胞は、まさに体内の司令塔です。あらゆる箇所に必要なシグナルを出して「生きる」を支えています。呼吸するのも、心臓を動かすのも、すべては神経細胞の働きによるものです。ただ、そういったところの機能が停止するのは本当に最後の最後。その手前で何か働きを挙げるとしたら、体温調節がわかりやすいでしょうか。私たちの体温は、常に36〜37度くらいに保たれています。暑いからエアコンをつけるという動作についても、「暑い」と感じるのも、「エアコンをつける」という決定をするのも、「エアコンのリモコンを見つける」「ボタンをおす」という動きを筋肉に伝えるのも神経細胞の働きです。また、血流や心拍数の調節、発汗など、無意識に体温を調節する仕組みがありますが、それらも神経細胞によってコントロールされているのです。なので、暑さ寒さなどの環境の変化に体が対応できなくなると、やはり命の危険にさらされるわけですよね。
──神経細胞が衰え始める、いわゆる老化現象は、平均的に何歳頃から起こると言われているのでしょうか。
安藤准教授:非常に個体差が大きいというのが、老化研究の難しいところです。一説では、脳のピークは身体機能なども含めて25歳と言われていますが、果たしてそれが老化の始まりなのかと言われると、どうなのでしょうね。先ほどもお伝えしたとおり、脳の神経細胞は新規で作られることはありません。その代わり、神経細胞同士で手をつないでコネクションを作っていくことは可能です。ですが、神経細胞そのものは経年により歳は重ねていくので……。やはり、そのあたりの働きは個体差としか言えないと思います。
──いくつになっても元気な方もいれば、衰えるペースが早い方もいるということですね。
安藤准教授:寿命がバラバラなのと同じで、アルツハイマー病やパーキンソン病などの神経変性疾患のリスク、または進行度合いもまた人によってバラバラです。この辺りは、やはり老化研究の難しいところです。
脳内への糖の取り込みが、健康寿命を伸ばす
──先ほどのお話にも出ましたが、今回の研究以前に「血糖値を下げる食事制限だったり摂取カロリーを抑えると寿命が伸びる」という結果が出ている、とのことでした。
安藤准教授:食事のあと、体内でどのようなことが起こるかというと、食べたものを分解して細胞内で使える状態のエネルギー(ATP)に変換をしています。変換を担っているのがミトコンドリアと呼ばれる細胞内小器官ですが、その過程において酸化ストレスが発生します。酸化ストレスは、どの細胞に対してもいい影響は及ぼしません。無いに越したことはないので、摂取カロリーを抑えると酸化ストレスの発生量を抑えることができる=寿命が伸びるという説が有力視されています。ただ、例えば神経細胞のようにたくさんのATPを常に必要とする細胞では、必要なエネルギー量が確保できない可能性は無視できません。
──では、改めて今回の研究方法と内容について教えてください。
安藤准教授:ショウジョウバエを用いて、実験を行いました。寿命が約2ヶ月と短く、エイジングの研究が進めやすいからです。よくあんなに小さなショウジョウバエに脳があるのですか?といった質問も受けるのですが、あります。記憶などの解析にもよく用いられるくらい、脳神経研究に馴染みのある存在です。はじめに、脳の神経細胞内における年齢に応じたATP量の増減を見ていきました。結果は、歳をとるほどATP量は減っていました。それをうけて、ATP量の減量を抑えたら脳の衰えは防げるのかということで、糖の取り込みを上げてみることにしました。
糖の取り込み不足を改善することで脳の衰えを防止
──脳の神経細胞内に対して、どのようにして糖の取り込みを上げるのですか?
安藤准教授:脳の神経細胞に糖を送り届ける専用のトランスポーター(タンパク質)が存在します。そのトランスポーターの数を増やすことで、取り込み量を上げることができます。その結果、取り込み量をあげればATP量は減りませんでした。つまり、加齢とともにATP量が減るのは糖の取り込みが足りないからだということがわかったわけですね。
──ATP量が減らないショウジョウバエの状態は、変化が見られたのでしょうか。
安藤准教授:やはり元気でしたね。動き回るパワーが続きましたし、寿命も少し伸びました。そして、ここからさらにカロリー制限もプラスしたらどうだろう?ということで実践したところ、さらに元気になって、寿命も伸びたのです。
──カロリー制限をかける際には糖の取り込みをしやすい状態を作ることが理想的、と言えますか?
安藤准教授:そうですね。カロリー制限をすることによって脳以外の細胞、筋肉や内臓や脂肪組織が元気になって長生きにつながる、一方で脳はその状態だけだとエネルギー不足に陥るので、糖の取り込みを上げることによって相乗的な効果が得られるのではと考えています。
──そのほか、研究を通してわかったことはありますか?
安藤准教授:糖の取り込みを上げたら、自然とミトコンドリアの機能も高まったことでしょうか。加齢とともに、糖を取り込む力だけでなくATP産生力も衰えます。ATP産生には解糖系と呼ばれるルートと有酸素系と呼ばれるルートの2つがあり、ミトコンドリアが働くのが有酸素系です。有酸素系は解糖系の18倍の効率で安定的にATPを産生することができるのですが、そもそも解糖系がダウンすると、つられて有酸素系の動きも悪くなるのです。ショウジョウバエの実験により、加齢とともに解糖系の機能が下がることがわかりましたが、糖の取り込みを上げたら自然と機能が回復していたので、結局は糖を取り込もうとすることが大事だということがわかりました。
脳の老化を防止するには、まず自分の体を大切にすることから
──これらの結果を踏まえて、私たちが日常生活を送るうえでどのようなことに留意したら、脳の老化を防ぐことができるのでしょうか。
安藤准教授:脳は全身のエイジングをコントロールする立場ではありますが、脳もまた体の一部です。脳以外の体の状態が悪くなれば、脳の状態もまた悪くなるという認識をまずはもっていただければと思います。
バランスの良い食事は、脳の老化を防止して健康寿命を伸ばす
──脳のためにも糖の取り込みが必要とのことですが、脳の老化防止や健康寿命のための食事のアドバイスをお願いします。
安藤准教授:脳の健康は体のほかの部位の健康に依存している。それを前提としたうえで留意すべきことは、バランスの良い食事と運動に尽きると思います。糖の取り込みが大事とお伝えしていますが、それは決して砂糖をたくさん食べましょう!という意味ではありませんので、そこも注意していただければいいかもしれませんね。
──糖質制限ダイエットの流行などもありますが、極端な制限をかけないことも大事かもしれませんね。
安藤准教授:何においても極端な制限というのは、避けたほうが良いかと思います。どのような手法にせよ、自分の体を大切にすることが脳の健康につながると覚えておいていただけるといいでしょうね。あと少し系統が違いますが、脳を打たない(衝撃を与えない)ように心がけることも、大切です。
──では、最後に安藤准教授がこれから着手していきたい研究についてお聞かせください。
安藤准教授:今回の研究では、エイジングの観点から糖の取り込みによる変化を見ましたが、同じことを神経変性疾患を発症した状態でも同様の結果が得られるかどうかを調べています。今のアルツハイマー病に対するアプローチは症状を緩和するための対症療法が主流です。根本的に治す治療法につなげられれば、という想いをもって取り組んで行ければと思っているところです。
──安藤准教授、本日はありがとうございました。
Wellulu編集後期
今回は、東京都立大学の安藤香奈絵准教授にお話を伺いました。
脳の神経細胞は生まれ変わらないこと、エネルギー源は糖であること、加齢によって糖の取り込みが悪くなるが、取り込み方を改善することで寿命までもが伸びることなど、さまざまなことを知ることができました。
もちろん、すべてのお話から大きな学びを得ましたが「脳の健康は体のほかの部位の健康に依存している」という言葉が強く印象に残っています。バランスの取れた食事と運動を意識することがダイエットや体づくりだけでなく、脳の老化予防、健康寿命の獲得につながるということを知っているだけでも日々のウェルビーイングな暮らしに対するモチベーションが上がりそうです。
本記事のリリース情報
加齢による脳の糖代謝の変化と老化の関係性に関する自身の研究に基づき、脳のアンチエイジングと健康寿命の延伸について、安藤香奈絵准教授(Neuroscience)のインタビュー記事が掲載(WEB)。
1996年東京大学薬学部卒業、同大学院薬学系研究科修了、博士(薬学)。米国コールドスプリングハーバー研究所を経て、2006年からトマスジェファーソン大学神経学科助教授、2014年から東京都立大学理学部生命科学科准教授。薬学部でのアルツハイマー病研究から始まり、脳老化の分子生物学を広く研究している。