少しずつ言葉の認知度が上がり、日本企業の中でも経営やサービスに「ウェルビーイング」の考え方が導入され始めている。一人ひとり異なるウェルビーイングがある中で、これから先「誰も取り残さない」社会の実現に向けて、私たちには何ができるのだろうか。
Welluluアドバイザーで慶應義塾大学医学部教授の宮田裕章さんと、Wellulu編集部の堂上研による対談をお届けする。
宮田裕章さん
慶應技術大学医学部教授。Welluluアドバイザー
堂上 研さん
Wellulu編集部プロデューサー
1999年に博報堂へ入社後、新規事業開発におけるビジネスデザインディレクターや経団連タスクフォース委員、Better Co-Beingプロジェクトファウンダーなどを歴任。2023年、Wellulu立ち上げに伴い編集部プロデューサーに就任
“自分”と“他者”の共鳴でつなげていく未来の姿
堂上:ずばり聞きます。宮田さんにとって、ウェルビーイングな社会とはどのようなものだと思いますか?
宮田:僕が提唱している「Better Co-Being」な社会がまさにそうだと思います。堂上さんは最近あまり「Better Co-Being」と言わなくなったけど……。
堂上:いやいや、そんなことないですよ(笑)。ここで改めて、初めて聞く方のためにも、「Better Co-Being」とは何か教えてください。
宮田:まず人間は一人では生きていけず、他者や社会とつながっていますよね。人々が互いに共鳴し合いながら、社会全体のウェルビーイングを両立させることを「Better Co-Being」と名づけました。また、今この瞬間だけではなく、どのように未来へ向かっていくかということを考えていく、それを持ち寄ったうえでどう歩んでいくかということが大切です。社会というのは今だけではなく、将来世代も含みますから、そういう意味ではウェルビーイングとサステナビリティを両軸で考えることが重要だと思います。
堂上:一人ひとり異なるウェルビーイングがあることを、まずは理解することが大切ですね。
宮田:そうですね。多様な人たちとどう寄り添い合うのかというのも、ウェルビーイングな社会を実現する重要な視点だと思います。
デジタルによって可能になった、一人ひとりに寄り添うウェルビーイング
宮田:資本主義経済の中では成長を正義として、大量生産・大量消費を繰り返し、物を所有することが豊かさだと思われてきました。しかし現在では、一人ひとりが幸福であることがこれからの豊かさの在り方だという考えにシフトしています。また、データとAIの発達によって、幸せには決まった形はなく、多様な価値軸が可視化されるようになってきています。つまり、多様性に配慮しながら一人ひとりの幸せを実現することが可能になってきたということです。そこで僕は、“最大多様の最大幸福”の考え方が重要だと感じています。
堂上:“最大多様の最大幸福”は、「Better Co-Being」プロジェクトをどう進めるか話していた時のワードですね。もう少し詳しく教えてください。
宮田:これまでは、一人ひとりの幸福を最大化することで社会全体の幸福を最大化できるという“最大多数の最大幸福”の考え方が、ビジネスや行政の仕組みの基盤となっていました。今後はデータやAIを活用していくことで、多様性に配慮しながら一人ひとりの幸せを実現しやすくなります。
堂上:わかりやすい例などを挙げていただけますか?
宮田:そうですね。我々のプロジェクトのひとつである、ひとり親世帯のサポートを例に取りますね。
現在、日本のシングルマザー問題はかなり深刻で、シングルマザーの貧困率は先進国はおろか中進国でもワーストレベルにあります。多くの場合、離婚すると子どもの親権は女性が持ちますが、女性の約6割は非正規雇用者であり、収入が安定しない人が多い。にもかかわらず、子どもの世話に時間を取られて満足に働くことができず、さらに病気にかかったり、持病を抱えていたら、その苦しみは足し算ではなく、掛け算で増幅します。現在の福祉は残念ながら、相当追い詰められてからではないと支援が受けられません。
そこで、母子家庭のデータを使って、子どもの出生体重をデータベース化しておき、通常の成長曲線から外れた時に貧困や虐待の可能性を見つけ出すなど、深刻化する手前の段階で手を差し伸べることにより、負の連鎖を防ぐ可能性が上がります。
こうした一人ひとりに寄り添う支援は、以前はコストがかかりすぎて難しかったのですが、DXによってそれぞれの苦しさに応じた掛け算の支援が可能になる。それが、‟最大多様の最大幸福”につながります。
堂上:なるほど。データやAIの活用によって、一人ひとりが抱える負荷への対策がいち早く取れるようになってきているのですね。
言葉の認知から先のフェーズへ
宮田:SMBCが発表した2023年のヒット商品番付で、「ウェルビーイング」が生成AIや、2023年ワールド・ベースボール・クラシックに続いてランクインしました。ウェルビーイング学会の仲間と「ついにここまできたか!」と盛り上がったんです。
堂上:トレンドワードにランクインするほど広がってきているんですね! 宮田さんは今後日本で「ウェルビーイング」はどう展開していくと良いと思いますか。
宮田:ウェルビーイングの言葉の認知は広がっているけれども、本質が理解されず、誤解されていると感じます。こうした認知のずれを修正するのが次の課題だと思います。
堂上:ずれを解消していくために、どのようなことができるのでしょうか。
宮田:社業がウェルビーイングに取り組むには、2段階のフェーズがあることを知っておいた方が良いですよね。
まず、第一段階ではウェルビーイングを導入すること。すでにある福利厚生の制度をウェルビーイングと言い換えたところもあると思いますが、一定以上導入が進んだ社業は、次のフェーズに進むべきです。
第二段階が、ウェルビーイングの視点で事業に取り組むこと。他社と競争して単にお金儲けをしたり、競争の勝者が財を占有するのではなく、持っている財を共有して価値を高め合うという選択肢が経済の世界にも取り入れられるようになりました。「競争」ではなく、「共創」。より良い社会をつくるために何ができるのかといった視点が必要となる。それがウェルビーイングを高める上で重要なアプローチであり、より良い未来につながると思います。
堂上:ウェルビーイングに興味を持っている人は増えているけれども、その本質をどう理解していくか、またそういった人たちをどう巻き込んでいくのかが鍵になると感じています。
宮田:そうですね。経営陣の中にはこれまでがむしゃらに働いてきた世代が多く、「ウェルビーイングを追求しても激しい競争には勝てない」と感じている人もいる。でも、Z世代、α世代といわれる若い世代の価値観は違っていて、肌感覚としてウェルビーイングやサステナビリティの重要性を理解しています。彼/彼女らは、自分の貴重な時間を使って働くに値するビジネスをしているのか、ウェルビーイングにどれだけ取り組んでいるか、サステナビリティにどれほど貢献しているかといった視点で企業を冷静に判断しています。ひと昔前は「会社をすぐ辞める若者は根性がない」と低く評価されていたけれども、今は柔軟に仕事を変えていく人が多くなっています。そのため、経営陣がウェルビーイングの本質を理解しないと理想の人材を確保できません。
堂上:若い世代は売り手市場だから、会社が人を選ぶのではなくて、働く側が会社を選ぶようになった。実際のところ、経営陣の中でどれぐらい理解されているのでしょう?
宮田:近年、ウェルビーイングの考え方が社是やパーパスに盛り込まれている企業も増えてきたので、無視できない問題なのだと気づいている人は多いと思います。「次の担い手が来ない」と気づいて慌てて手を打っても遅い。成功している企業は、より良い未来をつくるため、ウェルビーイングやサステナビリティに貢献するという考えにすでにシフトしています。
“今”の心地良さだけではなく、違和感と向き合いながら学び続ける
堂上:Welluluの読者層は20代〜40代が約9割なんです。その多くの方が、就職や結婚、出産、子育てなどライフステージが変わる経験をしており、「自分はどう生きるべきか?」と生き方を模索している人もたくさんいらっしゃいます。そういった読者に向けてウェルビーイングな生活を送るために何を大事にしたら良いのかを伝えられたらと思うのですが、宮田さんがウェルビーイングな生活を送るために意識していることはありますか?
宮田:プロジェクトを達成するという観点で言うと、体調管理やモチベーション維持は意識していますね。体調が崩れたり、モチベーションが続かないと目的を達成しづらくなるので。ただ、自分自身のウェルビーイングをあまり目的としていないところはありますね。
以前、ピースの又吉さんと話した時(※)もお伝えしたのですが、今この瞬間の自分自身の心地良さだけを見ていると、未来のウェルビーイングにつながる可能性を狭めてしまう。短期的なウェルビーイングではなく、中・長期的な視点でウェルビーイングを捉えることも必要なんです。
SNSなどのデジタル技術の発達・普及によって、人のつながりは生まれやすくなりましたが、「滞在時間最大化アルゴリズム」によって分断が生まれやすくなってしまったといわれています。
※【又吉直樹氏×宮田教授対談:後編】「好き」を真ん中に。ピース・又吉流、ウェルビーイングな自分のつくりかた
堂上:SNSなどのサービスはユーザーを長く滞在させるために、その人にとって異質なものは見せず排除して、心地良いものだけで包んでいく。その結果、極端なコミュニティが増えやすくなった。
宮田:そうです。エコーチェンバー現象もそのひとつですよね。今の自分にとって心地良いもの=信じたい情報を信じ、自分の意見が絶対正しいと強固に思い込むことは、自分と異なる考えを排除して、断絶や不和を生みやすい。やはり、それが正しいかどうかということではなく、個の感じ方を表現しながら、他者の多様な表現を理解することが必要ですね。
「Better Co-Being」の説明でも触れましたが、新しい時代の豊かさは一人でつくるものではなく、人々が共創の中で生み出すものだと思っています。一人ひとりが違うウェルビーイングを追求し、同時にお互いの個性を活かし合える社会の実現が求められている時代において、今の自分に都合の良いものばかりを選択していると、多様なウェルビーイングとつながるチャンスを失ってしまう。たとえば、自分と異なる考えを耳にした瞬間は心地良くなかったとしても、違和感と向き合い、学び続けることが大切です。それが結果的に自分のウェルビーイングにつながってくると思います。
様々なつながりや幸せを感じながらコンフォートゾーンを広げていく
堂上:居心地の良いコミュニティは快適だけれども、そこに慣れすぎると、一歩外に出たとき、意見が合わないことにストレスを感じたり、疎外感に耐えられなかったり、外に出ることに強い恐怖心を持ちやすくなる。でも、いろんな人たちに出会うことで新しい発見や気づきがありますよね。個人的にはそういったことを楽しめるマインドがあるといいのかなと思ったのですが、どうでしょう?
宮田:そのどちらも必要で、要はバランスなのかもしれません。私自身、外に出て違和感を感じることばかりやっていたら疲れちゃいます。つまり、自分にとってのコンフォートゾーンをある程度確保しないと、新しいことに挑戦できないんです。
アタッチメント理論にも通じますが、人は幼少期における養育者など他者と過ごしながら、自分のコンフォートゾーンを築き、そこからチャレンジしたり、失敗しながら人間はさまざまな感覚を育んでいくといわれています。ある程度の安心感を確保しているから、未知のものに触れることができる。
堂上:その割合はどれぐらいなんでしょう? コンフォートゾーン:チャレンジ=8:2とか?
宮田:人によっても違うと思いますし、体調や周囲の環境によって柔軟に変えたら良いと思います。非常にストレスがかかる状態で疲れていたら、新しいものに挑戦する気力は湧かないでしょうし、元気な時は、どんどん未知のものにチャレンジできますよね。
堂上:普段の生活のバランスをどう保つかが大切ですね。
宮田:これはビジネスの話にもつながります。「両利きの経営」がまさにそうで、既存の主力事業が順調であっても、その後間違いなく、成熟期から衰退期に入っていくので、今いる場所で安心するのではなく、新規事業に向けた実験と行動を起こさないといけませんよね。
堂上:コンフォートゾーンから抜け出すことは、ノットウェルビーイングだという人もいると思うのですが、これも人によって違うのでしょうか? 僕は常に外に出てチャレンジしている状態がウェルビーイングだと感じるんですが。
宮田:人は快適で安定した状況に慣れると、現状を維持しようとする傾向があるといわれていますから、堂上さんタイプの人は少数派かもしれませんね。たとえば、今すごく厳しい状況にいるとしたら、安心できる場所にいるほうが、その人にとってはウェルビーイングな状況だと思います。
堂上:それも人によって違うということですよね。
宮田:でも、堂上さんがおっしゃりたいことはすごくよくわかります。大きな変革期を迎えている今、チャレンジをすることや多様性を尊重すること、違和感への気づきを大事にしないとより良い未来が描きにくい。変わらなくて良いと思っている人に「今いる場所が沈みますよ」と脅すつもりはないんだけれども、前提が変わっていくという中で、多様なつながりがつくれるかというのは、選択肢を広げることにもなりますね。
堂上:「自分ごと」として受け取り、変わるためにはどうしたらいいでしょうか?
宮田:今のこの瞬間の心地良さだけではなく、多様なつながりを見つけることは大事だと思います。さまざまな幸せを感じることが、その人のウェルビーイングを高めるといわれているからです。幸福の基準を多く持っている人は環境の変化に強かったり、ウェルビーイングの持続性が高くなりやすいといわれています。
船にたくさんの錨がある方が沈みにくいように、仕事だけでなく趣味や家庭などさまざまなことに関心を持ちながら幸せを感じていると、ウェルビーイングが激しく落ちるということはなりにくいでしょう。
「共感」から始まる「誰も取り残さない」社会への第一歩
堂上:日々一生懸命生きているけれど、どうしても今の自分を肯定できない人も少なくないですよね。「今のままのあなたでいいんだよ」と伝えられたらと思うんですが、宮田さんならどう答えますか?
宮田:もちろん、変化することだけがウェルビーイングではないですからね。生きていたら誰だって浮き沈みがあります。苦しいと思っている状況もちょっと視点を変えるだけで、感じ方が変わることもありますし、幸せや豊かさの定義はひとつではないと伝えたいですね。仕事でうまくいかなくても没頭できる趣味があるとか、療養中で心が塞いでいるけれども今日も1日を精一杯生きたとか。さまざまな場面でウェルビーイング、生きる輝きを見つけられると良いと思います。
堂上:僕は最近、引きこもりの子どもを抱える親御さんや、メンタルの問題を抱える方から相談を受けることがあります。その時、以前宮田さんが話していた「誰も取り残さない」という言葉が頭に引っかかっていて。みんながウェルビーイングな状態になるというのは、理想論に過ぎないのかと逡巡しています。
宮田:人々にとって何が良い状態なのかというのは簡単に定義できませんが、苦しい状況にある人々に思いを馳せる時に参考にしたい考え方があります。それが「正義論」を上梓したジョン・ロールズの言葉です。
堂上:どのような内容なのですか?
宮田:ジョン・ロールズは、資本主義経済の拡大によって、貧富の差が広がり、福祉についての議論が巻き起こった時代を生きた哲学者ですが、公平な社会、正義の制度を考える時に、「無知のベール」というフィクションを仮定しました。それは自分がどんな境遇でどんな才能を持って生まれてくるかはわからない状況で、制度を考えることです。恵まれた立場にいれば、自分が得するような制度を作る意識が働きますが、もし、自分が一番不利な立場に置かれたら、不利な人を助ける制度を作ろうとするはずで、そのための不平等は許容できるはずだ、と。
この世の中には、生まれた時から障がいを抱えて生きている人、貧困コミュニティの中でさまざまなチャンスが掴めず現実と向き合っている人、一度は成功を収めたけれども転落してしまった人、いろいろな立場のいろいろな苦しさがある。弱者を救済することは情けではなく、正義に基づいた行動なんだとジョン・ロールズは言っています。自分がもっと弱い立場に立たされていたらと考えたら、どのような行動を取るべきか、自然とわかると思います。
他者の立場に立つなんて無理だという人もいますが、デジタルの進化によって他者とつながりやすくなり、さまざまな立場の人を理解しやすくなった。自分と違う立場の人の苦しさを想像し、共感することによって、これまでとは違うコミュニティを形成できるかもしれない。異なる立場の人に寄り添うことが「誰も取り残さない」未来につながると思います。
宮田:「誰も取り残さない」なんて、かつては理想論でしかなかった。取り残すこと前提だったからです。でも、共感が生まれる社会が実現したら、誰も取り残さない社会を実現できる可能性は高まります。もちろん、つながりが生まれやすくなった分、分断の可能性も高まっているし、すべてがバラ色に向かっているわけではないんですが、だからこそ、多様な人たちのウェルビーイングに耳を澄ましてみることが大切だと思います。
そうすることで、自分の可能性を拓くことになる。人によって苦しさも楽しさも違うし、今この瞬間に存在する格差は埋まらないんだけれども、どのような未来にしたいか、そのために何ができるのかを考える。それによってお互いが一歩、歩み寄れる。他者が大事にしていることを同じように大事にする。そういうところから始めてみてはどうでしょうか。
堂上:宮田さんのお話を伺っていると、一人ひとりの生き方や豊かさは違うということを前提に、お互いに寄り添い合うことが大切なんだと改めて感じました。ウェルビーイングの次のステージを見据えて今を生きる。「共創」の先の「共感」がある。そんな未来を一緒につくっていきたいですね。「Better Co-Being」な共創社会をぜひ一緒につくっていきましょう。今日は素敵なお話をありがとうございました。
2003年東京大学大学院医学系研究科健康科学・看護学専攻修士課程修了。同分野保健学博士
2025日本国際博覧会テーマ事業プロデューサー
Co-Innovation University(仮称) 学長候補
専門はデータサイエンス、科学方法論、Value Co-Creation
データサイエンスなどの科学を駆使して社会変革に挑戦し、現実をより良くするための貢献を軸に研究活動を行う。
医学領域以外も含む様々な実践に取り組むと同時に、世界経済フォーラムなどの様々なステークホルダーと連携して、新しい社会ビジョンを描く。宮田が共創する社会ビジョンの 1 つは、いのちを響き合わせて多様な社会を創り、その世界を共に体験する中で一人ひとりが輝くという“共鳴する社会”である。