和文化研究家として活躍する齊木 由香さんは、日本に古代からある「思いやり」の精神を研究するとともに、その素晴らしさを後世へ伝えるためにさまざまなビジネスを展開している和のスペシャリスト。
今回のWellulu-Talkでは、「まさに“和の心”こそウェルビーイングそのもの」だと語る齊木さんとWellulu編集部の堂上研の対談をお届けする。
齊木 由香さん
和文化研究家
堂上 研さん
Wellulu編集部プロデューサー
1999年に博報堂へ入社後、新規事業開発におけるビジネスデザインディレクターや経団連タスクフォース委員、Better Co-Beingプロジェクトファウンダーなどを歴任。2023年、Wellulu立ち上げに伴い編集部プロデューサーに就任。
身近にあった「和の心」を後世に伝えていきたい
堂上:Welluluを通して、さまざまな方のウェルビーイングについてお話を伺うなか、僕自身も「ウェルビーイングとは何だろう」と改めて考えることが多くなりました。そこで、もしかすると日本人に深く根付いている精神そのものがウェルビーイングと深いつながりがあるのではと思い、和文化研究科の齊木さんにインタビューをしなくてはと思った次第です。
齊木:ありがとうございます。実は私もWelluluを拝見させていただくなかで、自分が行っている活動とすごく親和性が高いと思っていたので、お話できることを楽しみにしておりました!
堂上:和文化と一言にいっても、色々あるじゃないですか。着物だったり、所作だったり、日本語だったり……。齊木さんが主に研究されているのはどの分野ですか?
齊木:日本の精神性、いわゆる「和の心」というものです。たとえば、日本には古くから「礼儀作法」という言葉があります。礼儀が「こころ」で、作法が「かたち」なんですね。つまり礼儀作法は「こころ」を「かたち」で表したものになるんですが、和室でのちょっとした動作すべてのなかに相手を思いやる心が含まれているんです。そういう根本的な日本人の精神性を、今一度、世の中に伝えていきたいなと思って、今の活動を始めました。
堂上:齊木さんが和文化研究家として活動するきっかけは何だったのでしょうか?
齊木:私はもともと、代々酒蔵を営む家系に生まれ、敷地内に竹林や井戸、五右衛門風呂などがあってそこで農作物を作るような、いわゆる「武家屋敷」で育ったんです。小さい頃からとにかくたくさんの日本の文化に囲まれていたのが、今の私のルーツのひとつだと思います。
伝統は守りすぎずにアップデートすることも必要
堂上:実は僕、周囲の方から「堂上さんって日本人っぽくないですよね」と言われることが多いんです。きっと日本人の良さといわれている「謙遜」みたいなものがないからだと思うのですが……(笑)。齊木さんが考える、「和の心」とは何なのでしょうか?
齊木:英語でいうと「ハーモニー(調和)」ですね。もともと和の心は、どれだけ他者を「慮る(おもんぱかる)気持ち」があるかというところに根付いていると思います。日本人は農耕民族であった頃から、調和を大事に過ごしてきたんです。ひとつの村で大勢の人が暮らすなかで、個人のニーズではなく、全体のニーズを考えて行動する。そんな環境で育んできたものが日本の精神性だと思っています。
堂上:日本語って、ハイコンテクストで対話ができるので、「1」を伝えると「10」相手に伝わったり、主語がなくてもよしなに理解してもらえたりすることってあるじゃないですか。これってすごく日本ならではだと思うんですが、これも調和のひとつなんでしょうか。
齊木:まさにそうだと思います。それ以外にも、たとえば電車に乗る前、みなさん自然に列を作って並びますよね。それってもとを辿れば「他者との争いを起こさず豊かに生活したい」という日本人の精神性があるんです。そういう心を根底に持ち合わせているので、自然と行動に表れるんだと思います。
堂上:実は僕もウェルビーイングについて探求しているなかで、「ウェルビーイングって日本の“思いやる”文化そのものなのでは?」と感じていたんです。ただ、どうしても日本人って「おとなしい」とか「忍耐力が強い」って思われがちですよね。それは、ウェルビーイングではないと思うんですが……。
齊木:大切なのは、相手が心地よくなるように行動するけれど、自分も心地よい状態でいられること。農耕民族の頃からあったその原点のところは忘れてはならないと思っているので、堂上さんが仰っていた「忍耐力の強さ」や「謙遜しすぎる姿勢」は、ウェルビーイングではないと思っています。自分が飲み込んで我慢するのではなく、ある程度は自分の意見も主張する必要があるかな、と。
堂上:きちんと自分の意見を相手に伝えるのも自身のウェルビーイングに繋がるということですよね。自己犠牲の先の利他的な行動からは何も生まれない。
齊木:私も同じ解釈です。なので、古き良き伝統は残すべきものだとは思いつつ、「謙遜しすぎる精神」というのは、時代に合わせて少しずつ変化していかなければいけないというふうに強く思っています。
「いただきます」「こんにちは」の言葉の裏にある日本の精神
堂上:これは齊木さんにぜひお伺いしたいなと思っていたのですが、他者をおもんぱかる「和の心」を学ぶためには、何から始めるのがよいのでしょうか。
齊木:まずは食事の際に「いただきます」としっかり口に出して言うことだと思います。他国でも「Let’s eat!(さあ食べよう!)」というような言葉はあるものの、「(植物や動物の)命をいただきます」「(食事を作ってくれた方に対して)ありがとうございます」という意味の「いただきます」は日本独自の文化なんですよね。まさに和の心そのものだと思います。
堂上:今日からでもできることですね。
齊木:あとは、「こんにちは」「こんばんは」もそうです。この言葉の裏には、実は「今日は良いお天気ですね」「今日は調子はいかがですか」や「無事に1日過ごせて今晩は良い晩になりましたね」っていう意味が含まれていて。相手への気遣いがつまっている言葉なんです。
それから、日本には「八百万の神」という考え方があります。たとえばクリスマスはキリスト教、除夜の鐘は仏教、お正月は神道……というように、たった10日前後の短い期間の間にも、日本の寛容さや他者を受け入れる文化などが見えますよね。日常で使っている言葉の意味や触れている文化を知るだけでも、和の心の勉強になると思います。
堂上:確かに、普段の生活の中で使われている言葉でも、思い返してみると正しい意味を知らない……なんてことも多いですよね。
齊木:実は今「日本検定」というものを作ろうと思っているんです。「『いただきます』はなぜ言うのか」「『こんにちは・こんばんは』にはどんな意味があるのか」をはじめ、「神社ではなぜ1礼するのか」など日本の文化や伝統を3択のクイズで楽しく学べる検定です。
堂上:素敵ですね! ウェルビーイングな社会をつくる上で、ひとつのきっかけになると思います。サービス開始したらWelluluでもぜひ紹介させてください。
ウェルビーイングのために大切なのは「足るを知る」こと
堂上:いくら相手をおもんぱかろうとしても、実際に態度や行動に移すってすごく大変なことだと思うんですよね。相手と意見が食い違ってしまったり、「この人、苦手!」と思ったりすることもあります。和文化の視点から見て、そんなときにウェルビーイングな状態になるためにはどのような振る舞いや行動を心がけたらよいと思いますか?
齊木:まずは、「足るを知る」こと。これは古代中国の言葉なんですが、簡単に言うと「今自分が置かれている環境を知って受け入れる」という意味になります。今、現在の自分を受け入れ、「現状に満足」することが最も重要だと考えます。このことにより、他者に対して寛容になれると思っています。
その上で、「間を読む」事を心がけては如何でしょうか。相手が今どうしたいのか、また、今自分がどういう立場に置かれているかを考えることです。たとえば、チームでひとつのことを成し遂げる時、メンバーそれぞれが自分の持ち場を乱さないよう、それぞれの役割を理解しながら、かつお互いを引き立て合いながら振る舞う寛容さが大切だと思います。
堂上:「俺が、私が、」ってなりすぎないようにするってことですね。
齊木:はい。その上で、今の状況に感謝することから始めるのが大事かなと。でも、「足るを知る」「間を読む」って心に余裕がないとなかなかできないので、時には自分ひとりの時間を作ってゆっくりしたり、思い切って環境をリセットしたりすることも必要になりますよね。
心地よく生きるには謙遜と主張のバランスが重要
堂上:相手をおもんぱかるために「間を読む」。ものすごく大切なことだと思うんですが、「間」を考えすぎてしまう、つまり空気を読みすぎてしまうと、何も言えなくなってしまったり忖度してると思われてしまったり、良くないこともありますよね。僕はそんな状況に置かれると「自分に正直に生きていないな」と感じてしまうのですが、これは和文化のマイナス面なのでしょうか。
齊木:とてもよく分かりますし、和文化のアップデートしなければいけない部分だと思っています。不確実性の高い時代といわれている今、相手に合わせるばかりではなく、自分軸を持つこともとても大事ですよね。相手をおもんぱかる和の心を大切にするとはいえ、今を生きる私たちは、古典を守りつつも時代に合わせて変化していく必要はあるのではないかなと思います。
堂上:バランスが大事ってことですよね。
齊木:はい。たとえば、結婚式やお葬式など、格式高い場所では周りの人と足並みを揃えて自分を主張しすぎないことが大切だと私は思っています。「郷に入っては郷に従え」という言葉があるように、正式なルールやその土地ならではのしきたりなどがありますから。とはいえ、日常生活ではあまり意識しすぎず、柔軟に対応していけばいいんじゃないかと思うんです。
堂上:僕も、基本的には本人が良ければ自由でいいと思っているんです。よくいわれる「日本人らしさ」って自己犠牲感がものすごく強いんじゃないかなと。もちろん相手を傷つけたりリスペクトがない発言をしたりするのは避けるべきですが、周囲を気にしすぎるせいで自分を出せない状態よりも、自分を出した状態でなおかつ相手との「間」をしっかり見ているという状態がウェルビーイングには重要なのだと、今のお話を聞いて感じました。
齊木:大賛成です。謙遜しすぎてしまうのはノットウェルビーイングですよね。実は私も相手ばっかりに気を遣いすぎて自分がすり減ってしまった経験をしているので、自分がハッピーでいるため、ウェルビーイングでいるためには、相手との距離感を見ながらも自分が思っていることややりたいことを主張していくことが大事だとすごく感じていて。堂上さんが仰っていたことは、まさに私が提唱していきたいことそのものです。
堂上:そのような考え方を持つようになった原体験みたいなものはあるのでしょうか?
齊木:実は、私の祖母が、昔よく見かけられた、いわゆる「お見合いおばちゃん」で、思いやりの精神でこれまで100人くらい引き合わせてきたんですね。今って、忖度しすぎて厄介なことを起こさないようにしようという時代なので、なかなかそういう人がいないじゃないですか。それがものすごくもったいないなと思って。
堂上:ものすごくわかります。
齊木:人と人が繋がることによって成功することって絶対にありますもんね。私自身、人と人とが繋がっていくのをサポートできることが自分の幸せでもあると気づいたんです。
堂上:人がお好きなんですね。
齊木:はい。以前『トップの意思決定』 (イースト・プレス/2022年)という本を出させていただいたのですが、その時も自らインタビューしたい人をピックアップして、会社の代表電話に自分で電話して会いに行って……ということがありました。名だたる著名人ばかりで恐縮だったのですが……。
堂上:すごい行動力ですね。齊木さんの相手をおもんぱかる気持ちが伝わったからこそ、みなさん快く受け入れてくださったんでしょうね。
他者と心が通い合った瞬間がものすごく好き。
堂上:最後に、齊木さん個人にとってのウェルビーイングとは何かを教えていただけますか。
齊木:私がウェルビーイングを感じるのは、他者と心が通い合ったなと感じた瞬間です。たとえば、お食事屋さんに行くとするじゃないですか。すると、なんとなく今声かけちゃいけないなっていう瞬間があると思うんですよね。それを自分が理解できて、自分の気遣いが相手にも伝わった時です。
堂上:阿吽の呼吸みたいなことですかね。お店でもそうだし、友だちや仕事仲間との間でも当てはまりそうですね。
齊木:はい。言葉にこそしなくても、「今、心と心が通じてなんとなく私たち分かり合えたよね」って感じると、すごく幸せな気持ちになれるんです。実は今日の衣装も「新春」をテーマにしたものなんです。
堂上:とても素敵なお着物ですよね。
齊木:ありがとうございます。着物で季節や想いを伝えられるのも、和文化のよいところですよね。あとは、日本の風習や文化の中に、和の心を見つけられた時も幸せだなと感じます。日本にはご飯をおかわりするときに一口分だけお茶碗の中に残すことで「ご縁を繋ぐ」という意味があるんです。そういうことを知った時、ものすごくワクワクした気持ちになるというか。「あ〜やっぱり日本って素晴らしい」って思うんです。
堂上:分かります。僕もウェルビーイングの世界について色々知っていく中で、「恩送り」という言葉と出合ったんです。恩をくれた人に恩を返す「恩返し」ではなく、恩をいただいたら自分は違う人に恩を送っていく。そしてその恩をもらった人は、また違う人に恩を送っていく。これを知った時、日本の素晴らしい文化だなと思いました。
齊木:素敵な考え方ですね。
堂上:ウェルビーイングについて考えるっていうことはまさに、そういう人と人との関係を見つめ直す機会なんじゃないかなと思います。そういった意味では、和の心はまさにウェルビーイングそのものですね! 齊木さん、本日は貴重なお話をありがとうございました。
編集後記
今回、日本文化とウェルビーイングの探求から、齊木さんにお話しをおうかがいしたが、学びの連続だった。齊木さんの人柄だろうが、なんでもお話しを聴いてくださる雰囲気をお持ちで、自分自身がオープンになっても良いと思える雰囲気でWellulu talkを楽しめた。
和の心は、相手をおもんぱかるところにあるところ、まさに自己犠牲ではなく利他精神と共通することだろう。
齊木さんの著書『トップの意思決定』も読ませて頂いた。経営のトップが、齊木さんの前で楽しそうに話している光景が浮かび上がった。つまり「おもんぱかる」は、相手の心を開くことにもつながっているのだ。
齊木さんとは、共通の友だちがたくさんつながっていた。つながりの中で、和の心とウェルビーイングはまだまだ探求が続く。
齊木さん、ありがとうございました。ご紹介頂いた余慶さん、素敵なご縁を紡いでいただき、ありがとうございました。これからも、もっといろいろお話しさせてください。
堂上
酒蔵を営む家系に生まれ、幼少の頃より日本の伝統文化に触れながら育つ。2016年より日本の和の文化を後世に伝える和文化研究家としての活動を開始。個人として発信をしているほか、メディアへの出演やテレビCMやドラマの所作指導なども多数手掛けている。著書に日本を代表する15の企業のトップ層に自らがインタビューし、決断の裏にある彼らの信念を綴った『トップの意思決定』がある。
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