多様な価値観が溢れている今の社会において、相手の目線にたってコミュニケーションできる「共感力」はウェルビーイングな関係性づくりのためにとても重要だ。しかし、私たちはつい自分の視点で相手を見つめ、一方通行なコミュニケーションに陥ってしまいがち。
今回の「Wellulu-Talk」では、そんな『視点』と『他者との対話』について、Welluluアドバイザーで慶應義塾大学医学部教授の宮田裕章教授と元博報堂プロダクツのプランナーで現在外資系コンサルティングファームとアーティストの二足のわらじで活動する田中裕子さんの対談をお届けする。
ミクロからマクロまで。やわらかな視点の切り替えを意識する
宮田:田中さんのこれまでのご経歴と現在のお仕事を教えてください。
田中:九州大学で画像設計学科・芸術工学を学んだ後、新卒でリクルートに入社。その後、博報堂でプランナーを担当し、現在は外資系コンサルティングファームに勤務しています。また、本業の傍ら、個人でアーティストとしても活動しています。
宮田:コンサルティングファームでは、具体的にどのような活動を行なっているのですか?
田中:例えば、ヘルスケア業界のクライアント様に対して、2030年の望ましい未来に対してどのようなアクションに取り組んでいくべきかの提言などです。未来の社会で中心となる、現在のZ世代やα世代の視点に立って未来を考えています。
宮田:今のZ世代やα世代の特徴をどのように感じますか?
田中:彼らの一つの特徴は「躊躇しない」ということ。仮にリスクを取る行動に出たとしても、リカバリーする方法をすぐ調べて対処できる。まずトライしてみて、ダメだなと思ったらシフトチェンジするスピードは早いですね。
一方で感じるのが、よくこの世代は「サステナビリティに興味がある」と言われがちなんですけど、「そうではない人」も結構多いということ。でも面白いのが、「サステナビリティに興味を持つべきだ」という社会の空気は守らないといけないと感じているので、役を演じるように“興味があるフリ”をしている側面があるのです。
宮田:私も彼らと接していて感じるのが、生まれながらにして多くの人とつながることが当たり前の世代だからか、社会の空気に対してとても鋭敏だということです。インターネットを通じて人とつながっているという感覚は得やすい一方で、コミュニティ内の同調圧力は増していると感じています。
田中:世界をミクロからマクロまでの視点で見ることが少し苦手なように感じますね。私の好きな映画のひとつにイームズ夫妻が制作した『Powers of Ten(パワーズ・オブ・テン)』という作品があるのですが、そこで描かれているような視点が必要ではないかと。
1977年公開の9分間のミニマルな映画なのですが、ピクニックをしているとある恋人の俯瞰映像に始まり、少しずつ視点が上空に上がって、その公園全体が画面に広がったかと思うと、アメリカ合衆国、地球、そしてはるか彼方の銀河系、メタな視点へ。すると次の瞬間ズームアップが始まり、遺伝子の原子核まで……マクロからミクロを行き来する作品です。
私自身は日ごろから一つの事象を、マクロにみたりミクロに見たり、横から中から、あるいは回転や変形させたり……と“囚われずやわらかい視点で捉える”のが好きなんですよね。
“郷に入て郷に従う”ことで、なりたい自分に接近する
宮田:いろいろな視点から世界を見るようになったのは、何か原体験が影響しているのですか?
田中:いくつかあるのですが、まずは幼少期の私の性格ですかね。私は小さいころ、とても大人しい子どもで、人と会話をするとき気を遣ってばかりいたんです。
宮田:繊細だったからいろいろなものが見えてしまっていたんですね。人から傷つけられることだけでなく、人を傷つけてしまうことにも臆病だったと。
田中:そうですね。あとは、新卒で入社したリクルート時代の体験が大きいと思います。私は『ホットペッパー』を扱う部署にいたのですが、そこでは飲食店さんが開店準備中の14~17時ごろに一斉に訪問営業へ行くんですね。
大学時代は誰とも喋らずに一人籠って作品づくりに没頭していたような人間が、毎日新しい環境に飛び込んで新しい人と出会うわけですから……初めは戸惑いました。でも、人と対話することから逃げちゃダメだって思ったんですよ。
宮田:大学で芸術を学んでいたときに周りにいた人とは、また違うような人のなかに飛び込んでいったわけですね。
田中:「たくさんの人に会う。そしてたくさんの人を受け入れる」、これを心がけていました。そのころから、相手の視点を意識するようになりましたね。
飲食店さんの視点に立ってみると、開店準備中に何度も訪問されたら気持ち良くはないですよね。最初は営業活動に必死でそんな当たり前のことも汲み取れていなかったのですが、次第に「この時間帯に行くと仕込みが終わって一息入れているだろうな」とか、「このお店は新店向けの場所を探しているから居抜き物件の情報を持っていくと喜んでくれるかもな」とか、見えてくるようになったのです。
ある時、魚市場に決裁者がいるお客様がいて、最初は「いらない広告プラン売り込みにきた」って煙たがられないように10秒だけ挨拶に立ち寄り、3分くらい話せるようになり。立ち話だったのが座っていいよと案内されるようになり、コミュニケーションを諦めずに少しづつ丁寧に重ねていくと、次第に関係性がウェルビーイングになっていったんです。
最終的には大体30日くらいかかりましたが、契約の印鑑を押してもらいました(笑)。これが、ビジネスにおける最初の成功体験です。
宮田:初めから視点を切り替えて物事を見るのが上手だったのかと思いきやそうではなかったのですね。
田中:まったく違いましたね(笑)。
宮田:視点を行き来する能力は、昔から繊細がゆえに人の感情が見えすぎる怖さがあったけれど、そこから逃げずに向き合うことで身に付いていった感じですか?
田中:一人で泣いていた時期もあるのですが、でも、自分で決めたことだから乗り越えなくちゃって。あと、人は自分ひとりで変わっていくのはなかなか難しいと思っていたから、当時はこうなりたいと思える人が大勢いる組織に自分を持ってきて、そのカルチャーにどっぷり浸かりきることでありたい自分に近づきたいという感覚で過ごしていました。
宮田:確かにそれは重要な考え方ですね。これまでの社会は「個で成長しよう!個で強くなろう!」みたいな価値観が根強かった部分があると思いますが、今必要とされている能力って、GoogleやChat-GPTなどのテクノロジーも含めた周りと連携しながら価値を高められる能力。
その点では、それぞれのコミュニティが持つ影響力に身を委ねるのも、新しい自分に出会うために求められるアクションといえそうですね。
社会にとって何がベターか見えづらいからこそ、データをもとにビジョンを探る
宮田:「今までとは異なる視点で世界を見る、そして発見する」というのは現在のコンテンポラリーアートの流れにすごく繋がっていますよね。田中さんがこの「視点」というテーマで影響を受けたアーティストはいますか?
田中:たくさんいます。例えば、ジョン・ケージ。『4分33秒』に出会い、「沈黙というのは音がない状態ではなく、“意図しない音が鳴っている”状態である」と対象物を新しい視点で捉えることで“よりその状態の本質を知る”ことはとても幸せなことだと気づきました。
私には8歳と6歳の息子がいるのですが、彼らの同級生のお友だちと一緒の目線でお話するのがすごく好きなんですね。今どんな音楽を聞いているのかとか、なんでいいと思うのか、逆になんで苦手だと思うのかを対話しながら新しい価値観を共有してもらうことで、「自分のバイアスをデトックスして本質に向かうこと」がより一層深まっていく感覚があるんです。
宮田:私も人と物事を一緒に作るうえで大事にしているのが、「その人が大事にしているものを一緒に大事にする」ということです。相手が大切に思っていることを自分も大切にすることで、ウェルビーイングな人間関係は深まっていきますよね。
その話でいうと、私はよく「Better Co-Being」という言葉を使うのですが、それぞれが置かれている状態は違ったとしても、同じ未来を一緒に見ながら我々がより良いと思う方向を目指していくことは可能なんじゃないかなと。だから、「ベター」という表現を使っているんです。目線をあわせながら、ともに歩んでいこうよって。
田中:「Co」ってとてもやさしい言葉ですよね。一緒にやっていこうねと。でも、ベターに向かっているかを判断するのは難しそう。
宮田:確かに難しいです。でも、難しいからといって動かずにいると、何も進展していきません。かつては、時の権力者がベターと言ったものはベター、あるいは経済が成長しさえすればベターみたいな価値観がありました。だけど今は、なにが社会にとってベターなのか、短絡的に言い切ることはできません。
だからこそ私の専門分野である科学にできることは、さまざまな視点からデータを用いて、より確からしい「ベター」を見つけていくことかなと思います。
戦争の対義語は対話。ウェルビーイングな未来のために対話を諦めてはいけない
宮田:先日参加した学会で聞かれたことなのですが、ウェルビーイングを語る我々として「今起きているウクライナ戦争をどう捉えますか?」と。さまざまな視点で物事を見ている田中さんはどう考えますか?
田中:やっぱり為政者が正しい判断を下せることの重要さを改めて感じましたし、そうですね……まず偉くなりたいと思うようになりました。正しい判断を下す側にまわりたいと。
宮田:この話がしたかったのは、先ほどの問いを受けて考えてみると、戦争の対義語は平和ではなく『対話』なのではないかと思うようになったためです。あのような人権を踏みにじるような行為が起きているのは、双方の対話が足りなかったからではないかなと。
そして、対話を行おうとするときに大事なのが、今の自分から見えている視点だけではなく、別の視点で世界を見ること。それは、目の前の人かもしれないし、その人の子どもたちなのかもしれないし。
田中:その話で思い出したのが、私が影響を受けた一枚の絵の話です。その絵は戦争をテーマにしていたのですが、全体がポップなテイストで描かれており、銃口からお花がポンって咲いているという絵なんですね。『retired weapons』というアートプロジェクトで。
それまで、私は生まれが長崎だったこともあり、戦争というと毎年夏に平和集会があって、語り部さんを通じて「戦争は凄惨なものであるので繰り返してはならない」というアプローチのコミュニケーションに触れ続けていました。
確かに戦争の実状はその通りなのですが、かたやそのお花の絵では「平和は素敵なことだね」というこれまでに私が触れてきた戦争がテーマの作品とは違ったポップで可愛らしいトーンで訴えてくる。同じ「戦争」というテーマなのですが視点を変えるとこうも感じ方が変わってくるのかと。
私たちの日常生活においても、それぞれの登場人物によるそれぞれの視点が強く影響しあっています。たとえば、組織内でリーダーシップを取っている人の様々な決定権を実はその奥さんが担っていたりだとか。
このいろんな視点や関係性を読み解こうとする「嗅覚」はとても大事だなと思っていて、「これがこうなったということは次はこう展開するのではないか」という将棋の手を読むようなモノの見方は、常に鍛えているかもしれないですね。
宮田:お話を聞いていて、諦めて放棄するのではなく、常に視点を切り替えて相手と対話を続ける姿勢が田中さんのクリエイションの源なのではと感じました。
個人の仕事では、共感できないものとは自分の意思で距離をとれるかもしれませんが、国という単位では絶対的につながっていくしかありません。
だからこそ、「私たちにとってどの方向に向かうのがウェルビーイングなのだろうか」と他人に対して共感力を高めながら対話をし続けることが、一見すると遠回りのようでいて、実は社会をより「Better」な方向へ導いてくれるんじゃないかと思いましたね。
田中:それぞれの人は誰もがはじめは違った視点で生きていますが、見つめるべき方向さえ同じにしていけば、いつかは対話によってウェルビーイングに分かりあえるのではないかなと、そう信じていたいですね。
宮田 裕章さん
慶應義塾大学医学部教授。Wellulu アドバイザー
田中 裕子さん
PwCコンサルティング シニアマネージャー。偏愛視点共有マガジンZOCCON編集長
2025日本国際博覧会テーマ事業プロデューサー
Co-Innovation University 学長候補
専門はデータサイエンス、科学方法論、Value Co-Creation
データサイエンスなどの科学を駆使して社会変革に挑戦し、現実をより良くするための貢献を軸に研究活動を行う。
医学領域以外も含む様々な実践に取り組むと同時に、世界経済フォーラムなどの様々なステークホルダーと連携して、新しい社会ビジョンを描く。宮田が共創する社会ビジョンの 1 つは、いのちを響き合わせて多様な社会を創り、その世界を共に体験する中で一人ひとりが輝くという“共鳴する社会”である。