
博報堂のWEBマガジン・センタードットで連載中の「生活者一人ひとりのウェルビーイングを実現させる――『ウェルビーイング産業の夜明け』」。「ウェルビーイングの未来」について、業界の最先端を走る有識者たちと語り合う企画だ。
最終回のテーマは「リベラルアーツとウェルビーイング」。一見、無関係に思えるこの2つ、実は本質的には同じものだという。一般的にリベラルアーツは「教養」と言い換えられるため、私たちはそれを知識のことだと思い込みがちだ。
しかしもともとは人が自由を得るために古代から蓄積されてきた人類の英知なのである。リベラルアーツとウェルビーイングの深い繋がりについて、博報堂執行役員のお二人に堂上研が聞いた。

岩﨑 拓さん
株式会社博報堂 執行役員

宮澤 正憲さん
株式会社博報堂 執行役員
株式会社博報堂に入社後、多様な業種のマーケティング・ブランディングの企画立案業務に従事。2001年に米国ノースウエスタン大学ケロッグ経営大学院(MBA)卒業後、ブランド及びイノベーションの企画・コンサルティングを行う次世代型専門組織「博報堂ブランド・イノベーションデザイン」を立ち上げ、経営戦略、新規事業開発、商品開発、空間開発、組織人材開発、地域活性、社会課題解決など多彩なビジネス領域において実務コンサルテーションを行う。東京大学教養学部 特任教授。主な著書に『東大教養学部「考える力」の教室』『「応援したくなる企業」の時代』など多数。

堂上 研さん
Wellulu 編集部プロデューサー
1999年に博報堂へ入社後、新規事業開発におけるビジネスデザインディレクターや経団連タスクフォース委員、Better Co-Beingプロジェクトファウンダーなどを歴任。2023年、Wellulu立ち上げに伴い編集部プロデューサーに就任。
リベラルアーツとウェルビーイングの深いつながり
堂上:今回は博報堂の執行役員であるお二人をお迎えして、リベラルアーツについてお話ししたいと思います。お二人とも博報堂の役員にしてリベラルアーツの研究者であり、先生としても活躍されていますが、それぞれ自己紹介からお願いします。
宮澤:私は博報堂に入社してブランドや、イノベーションのコンサルティングに携わってきましたが、ブランドを追いかけていく仕事とは企業にとってのウェルビーイングに近づくことだと思っています。会社のほかに東京大学教養学部にも籍を置いていて、リベラルアーツをベースにビジネスイノベーションを起こすためのコミュニティを立ち上げたりしています。ということでウェルビーイングとリベラルアーツは私の仕事の中で、真ん中に位置しているといった状況です。
岩﨑:宮澤さんと同じく、私も入社以来、長くブランディングに関するコンサルティングを手がけてきました。一方で「ブランドデザイン」や「博報堂買物研究所」を立ち上げるなど、比較的会社の中で新しいテーマにも取り組んでいます。会社の先輩の影響で30年ほど前からリベラルアーツに関心を持ち、色々と学んできました。同時に経済学者で一橋大学名誉教授の中谷巌さんが主宰されているリベラルアーツを基軸とした幹部育成講座「不識塾」の講師も務めています。その内容をもとに社内で「リベラルアーツ活用力道場」という研修をはじめ、現在は20~30人のメンバーを抱えて運営しています。
堂上:僕も参加させていただきましたが、おかげでリベラルアーツはウェルビーイングに繋がっていることを教えてもらいました。早速なのですが、お二人はどんな時にウェルビーイングを感じられますか?
宮澤:私にとってウェルビーイングな瞬間というと、限りなく自由になった状態で新しいことにチャレンジできることです。私は旅行が大好きなんですが、行き先は毎回必ず変えています。飲み会も大好きなんですけど、決まった人と行くのではなく新しい人と出会える場に参加します。新しい人と触れた時に、自分が何かちょっと成長する感じがする。それでウェルビーイングな状態になります。
堂上:新しいもの、コト、人との出会いがリベラルアーツに繋がっているのですね。では岩﨑さんのウェルビーイングとは何でしょうか。
岩﨑:博報堂で働きながらも色々な機会に、リベラルアーツについて、自分なりに語ったり伝えたりしてきたわけです。それを聞いてくれた人の中から、リベラルアーツが幸福に繋がることに気づいてくれる人がいたり、それを生活や生き方のベースにして幸福度が上がっていく姿を見られるのが、私にとってはウェルビーイングな瞬間ですね。
堂上:もはや学校の先生の領域ですね。教えることを楽しんでいるし、また他者の成長を喜んでいる様子が普段から伝わってきます。
岩﨑:人生はさまざまなことが起きます。困ったことや大変なこともありますよね。でもリベラルアーツという素養を持っていると、乗り越えられたり、お互いに助け合ったりできる場面もあるので、やはりリベラルアーツを持つことが大事だと経験的に思います。だから子どもたちにもリベラルアーツ的思考が広がっていけば嬉しいし、それによって自分の幸福度も上がっている感じがします。
宮澤:リベラルアーツは一般的に「教養」と言い換えられるので、知識のことだと思われているかもしれませんが、実は知識だけではリベラルアーツの状態にはなりません。得た知識をいかに組み合わせて、新しいものを作ったり行動したり、ほかに影響を与えたりとか、アクションに結びつけることが前提になっています。つまり教養という言葉の中には知識として学ぶということと、それをどう組み合わせて行動に結びつけるかという2つの意味が含まれているわけです。
たとえば学問でいうと、哲学と化学、ビジネスと社会学を組み合わせたらどうなるだろうかとやってみるということです。組み合わせるネタは、自分が知っている範囲だけでなく、知らない世界のものも含めていけるので、そうすると組み合わせる相手は無限に出てきますよね。その組み合わせによって、自分の限界を越えたところの新しいものを見つける、その行為を私は「リベラルアーツ的態度」と呼んでいます。
堂上:ウェルビーイングも新しい人との出会いは重要な要素で、出会いによって新しい発見があった時、その状態になりやすいという点で共通していますね。ということは「リベラルアーツ的態度」は、人がウェルビーイングになるための一歩を踏み出すきっかけになるということですね。
宮澤:まさしくそうです。新しい人と会ってみようとか、新しい知識を勉強してみようとか、興味がなかったことに手を出してみようとか、違う国にいってみようとか、組み合わせは色々ありますが、それをすることで結果としてウェルビーイング度が上がるという相関関係にあると思います。
ウェルビーイングは限られた人だけのものなのか?
堂上:僕はウェルビーイングを追いかけていく中で、リベラルアーツにたどり着いたのですが、この2つの関係についてお二人はどう考えられますか。
宮澤:リベラルアーツにはさまざまな定義がありますが、もともとの語源は、ローマ時代の奴隷が解放され自由になるために身につけた技芸にあるんですね(平凡社「大学事典」より)。人が自由に人間らしく生きるためのもの、というのがリベラルアーツの本来の姿で、それは現代においても同じです。ですからより幸福度の高い状態をめざすウェルビーイングと繋がっているし、重なる部分は多いと思います。
堂上:ただ我々がウェルビーイングに関する話題を発信する中で、「ウェルビーイングという発想ができるのは結局、富裕層だけなんじゃないの?」といった意見も聞かれるんです。自分事として一歩を踏み出してもらうには、どういうきっかけを作ればいいんだろうかと考えているのですが、みなさんはどう思われますか。
岩﨑:話を伺ってまず思ったのは、組織と人が「サイロ化」していく、という問題です。個性とか価値観が多様化するのではなく、それぞれが壁を作って突破できなくなってしまっている、そんな状況かもしれない。それは物事の見方にも当てはまることなんです。富裕層という時に、実はステレオタイプで見たり、固定した見方になったりしていないかということです。
経済政策学者のポール・タッカー氏は、そうした思い込みや固定化された見方を乗り越えるために必要なこととして、2つを挙げています(※)。1つは「好奇心」。他者や物事に「何をしているんだろう」と関心を持つことですね。そしてもう1つは「寛容さ」です。人は弱いので、他者が自分と違う意見を言っていると、つい否定的な反応をしてしまいますが、少し周りを見渡して、たしかにそういうやり方もあるよねと、受け入れてみる。これが宮澤さんがいう「リベラルアーツ的態度」だと思います。
※『サイロ・エフェクト 高度専門化社会の罠 』(ジリアン テット(著),Gillian Tett(原名), 土方 奈美(翻訳)/文藝春秋)
堂上:ウェルビーイングにも通じる姿勢ですね。
宮澤:私もこの問題には関心があって、お金持ちと生活保護を受けている人とでは、幸せの度合いに差があるのかどうか、随分前に調査したことがあるんです。結論から言うと両者には差がありませんでした。お金が全然ないのに豊かな幸せを感じている人もいるし、その反対にあり余るほどのお金を持っていても、まったく幸せを感じていない人もいました。最終的にお金持ちかどうかは、幸せとあまり関係がないという結論に至りました。
さらにその調査分析でわかったのは、お金持ちで幸せを感じていない人のほとんどが、人との関係が希薄ということでした。反対にお金がないけれど幸せな人に共通していたのは、ボランティアをしていることでした。
堂上:ボランティアですか。
宮澤:たとえば炊き出しのお手伝いなどを通じて、社会と繋がっているんですね。それが楽しいという人が多かった。その結果から、人の幸福度は「アスピレーション&コネクション」で決まるのでは、と私は考えています。
アスピレーションとは「やりたいこと/志/内発的動機付け」、コネクションは「人や社会との繋がり」ですね。つまり、自ら何かをしたいと思うことと、色々な人と繋がってそれを解決するという、この2つが両立することが幸せに繋がる。実はお金持ちか貧乏かという問題ではなかったのです。
子どもの教育を「学校」の枠だけで考えない
堂上:非常に興味深い結論ですね。今、「内発的動機付け」ということが言われましたが、これは鍛えることができるのでしょうか。もしできるなら、子どもたちが好奇心を発揮できるような教育によって、ウェルビーイングを感じられる子どもを増やせるのではないかと思うのですが。
岩﨑:それに関しては高度成長期の後半くらいから議論されていて、クリエイティビティや自分らしさを大切にする教育が導入されてきました。ただ、劇的には変わっていないことから、問題設定として教育は社会の中のサブシステムのひとつと捉えたほうがいいというのが私の考え方です。
子どもたちは学校だけでなく、親や友人、メディアなどからも色々なことを学びますよね。教育だけにフォーカスするのではなく、全体で見ていくことがリベラルアーツ的な捉え方かと思います。
堂上:教育とは学校が行うことという固定観念をアンラーニングして、広い視野で教育を見直すことが大事ですね。
宮澤:教育の課題を突きつめると、どれだけ多様な価値観を提供できるか、だと思います。僕はウェルビーイングにしてもリベラルアーツにしても、本質は一人ひとりの「好き」だとおもえる力だと思っています。「私はこれが好き」と言えて、それぞれが違う「好き」を持っている状態が望ましいのではないでしょうか。
学びは学校教育だけで提供するものではなく、外にも「好き」をサポートしてくれるクラブがあったり、地域活動があったり、仲間があったりすれば、学ぶことはできます。一人ひとりが学校以外にも、私の「好き」が学べる、体験できる、という環境を持てるようにすることが、これからの教育のあり方とも言えますね。
「好き」という感情が示す方向へ
岩﨑:「好き」という感情は、非常に大事です。進化生物学では、感情とは環境適合のために必要な行動をとらせるための機能だということがわかっています。人間は感情がないと面倒なことはしませんから。何かを恐れたり、好きになったり、悲しくなるから、行動するんですね。それは必ずしも好きなことだけやっていればいいということではなく、バランスだと思います。
ただ「好き」という感情は、生命にとってのポジティブな方向性を指し示していることは間違いない。だから人が「好き」という感情を基準に生きることは、すごく大事なことだし、日本ではそれができる社会になってきたようにも見えます。
宮澤:実際のところ、多趣味の人のほうが幸福度が高いというデータもありますからね。これまで日本ではひとつのことを極めなさいという教えが強いのですが、いくつもの「好き」を満たすような人が実は幸せなのです。その視点から考えると、学校もクラブをひとつに絞らないとか、学校もひとつじゃなくていいとか、そういうところは変えていけるんじゃないでしょうか。
堂上:大人も子どもも、これからコミュニティとその数というものが重要になってくるということですよね。
宮澤:コミュニティの数と幸福度の関係といったテーマで研究(※)もなされていて、それが実際に証明されています。帰属するコミュニティの数がいくつなら最適かという問題はありますが、ひとつの場所でうまくいかなかったとしても、別の場所ではうまくいくといったことが、生きる上でのリスクヘッジになる。必ずしも数が多い方が良いわけではないのですが、複数持つ方が良いということはあると思います。
※「地域しあわせラボ リサーチレポート第2号」(株式会社博報堂/2014年)
岩﨑:もともと日本人は自分がひとつの人格であるという自覚が少ない民族です。一神教では神様がいて自分がいて、その契約から明らかな自分がいるし、明確な他者がいる。だから自分のアイデンティティが確立されているわけです。しかし日本人はアイデンティティがひとつではないし、神様もいっぱいいて、生活の中にさまざまな関係性を持っています。
小説家の平野啓一郎さんが「分人」ということをおっしゃっていますが、個人と個人の関係性に立脚した仕組みができてくるのもよいのではないでしょうか。
堂上:僕も生活者自身がさまざまなコミュニティに所属して、色々な分人を持つ中で、よい居場所を見つけていくことが重要な気がしています。ひとつしか所属する居場所がなければ、ノットウェルビーイングになってしまうんじゃないかと思うんですね。だからさまざまな分人を自分の中で持つためにも、いくつかのコミュニティに所属するということがウェルビーイングに繋がるのではないでしょうか。
岩﨑:そういうイメージもいいですね。経済学には富の分配論がありますが、今はこれが上手く機能しなくなってきている。では健全な社会を維持するために何がキーになるかといえば「承認」です。自分が尊厳を持って生きていることを認めてくれる人がどれくらいいるかが重要で、分人の話はそれに近いのではないでしょうか。
自分の存在を承認してもらえる帰属集団が複数あることでバランスが取れ、生きていくうえでの精神のリスクヘッジにもなるので、さまざまな場所で自分の違う一面を発揮するということも今後、当たり前になるでしょう。会社もそのひとつ、という位置づけになっていくのだろうと思います。
リベラルアーツの学びの先にあるもの
岩﨑:日本は戦争で社会が壊されてしまい、戦後は田舎から東京へ働きに出てきた人の生活を、企業が丸ごと背負ったんですね。だから会社が働く場所であり、“家族”であり、“地域社会”だったわけです。宴会から旅行、運動会も開催していましたよね。しかし企業は少し役割をリリースしても良いと思います。もちろん家族を求める人に対しては、多様なコミュニティを提供するということはあってもいいけれど。
ただ近頃では、若手社員で宴会や旅行をしたがる人が増えているみたいですね。運動会を復活させる会社も出てきているらしいので、代替わりしてきたのかもしれません。といっても、昔のようなスタイルではなくて、フラットなスタイルにしたり、参加を強要しなかったり変わってはいるようです。
宮澤:先ほどお話ししたアスピレーション&コネクションでいうと、若年世代はどちらの力も下降傾向があるんです。その意味で言うと、彼らは宴会や運動会そのものが嫌というより、そこに付随する人間関係などが嫌なのだと思います。訓練されてないし、コロナ禍でそもそもやったことがない。
堂上:経験がなくて、食わず嫌いになっているんですね。
宮澤:はい。その一方で、情報過多の時代だから事前に調べて、やっぱりやめとこうとなっているだけだと思います。ところが一部の人が行ってみると、けっこう楽しいぞという人も出てきている。実際若い人だって、上司や先輩と飲みたい人や、もっと自分のことを知ってもらいたいと思っている人もいるはずなんですよ。
ところが彼らの内発的動機付けの芽を情報が消してしまって、出会いや交流を深める場に行かないからコネクションもできないまま。本来はどちらかを否定する必要はないし、肯定する必要もないし、好きな人はやればいいというのが、ウェルビーイングに繋がる発想だと私は思うんです。
岩﨑:セレンディピティ(※)を大切にするという感覚が大事ですね。頭の中で設計して動くのではなく、想定しなかったことでも仕事をアサインされたらやってみる。すると意外に面白いなと思ったり、多彩な人と知り合ったりするわけです。その組み合わせの面白さを楽しむことがリベラルアーツ的態度であり、ウェルビーイングに繋がる考え方だと思います。
※求めずして思わぬ発見をする能力。思いがけないものの発見。運よく発見したもの。偶然の発見。(goo辞書より)
堂上:お二人のお話を伺って、僕はウェルビーイングって実はそんなに難しいことじゃなく、「自分の『好き』ってなんだろう」というところから始められたら良いと感じます。そのために知識をさまざまに組み合わせつつ、経験を増やしていくことが大事なんだとわかりました。
岩﨑:リベラルアーツを学んでいくと、生きることが楽しいとか、美しいとか、面白いとか、そういう方向に向かうようになるのは間違いないです。
宮澤:当たり前のことですが、だれだって世の中をポジティブに生きたほうが幸せですよね。そのポジティブ力を上げていくうえでリベラルアーツは非常に有効です。
堂上:本日はお二人のお話から有益な気づきと多くの学びをいただきました。どうもありがとうございました。
センタードット・マガジンでは、広告業とリベラルアーツの関係、マーケティングは今後どのような変遷をたどっていくかをウェルビーイングの視点で語り合います。ぜひご覧ください。
連載【生活者一人ひとりのウェルビーイングを実現させる――「ウェルビーイング産業の夜明け」】Vol.8 生き方も働き方もポジティブにするリベラルアーツ
株式会社博報堂に入社後、ブランディングを中心に多種多様なコンサルティング業務に従事。博報堂ブランドデザイン、買物研究所の設立にも携わる。経済学者で一橋大学名誉教授の中谷巌氏が主宰する幹部育成の講座「不識塾」の講師を務めるほか、2021年から社内において「リベラルアーツ活用力道場」を主宰。慶應義塾大学メディアコミュニケーション研究所非常勤講師。論文「金融機関のブランド戦略の今後」(金融財政事情誌)。著書『超図解新しいマーケティング入門』(共著)他。