ウェルビーイング起業家として様々なビジネスをつくり続ける中島幸志さん。すべてのビジネスやコミュニティーの根幹には、「共感」が不可欠だという。どのように共感を捉え、実際に活用していくのか。
「共感」は、組織づくりにおいて、そしてウェルビーイングにおいて、どのような影響をもたらすのか? Wellulu編集部の堂上研が話を伺った。
中島 幸志さん
ウェルビーイング起業家/アントレプレナーシップ研究家
堂上 研さん
Wellulu編集部プロデューサー
1999年に博報堂へ入社後、新規事業開発におけるビジネスデザインディレクターや経団連タスクフォース委員、Better Co-Beingプロジェクトファウンダーなどを歴任。2023年、Wellulu立ち上げに伴い編集部プロデューサーに就任。
N対N(多対多)で共感の網目を増やしていく
堂上:中島さん、ウェルビーイング学会でお会いして、先日は中島さんの『共感起業大全』の本を読ませて頂き感動しました。共感という話、ウェルビーイング起業家の話、全て面白かったです。ウェルビーイング起業家の由来を教えてください。
中島:私は音楽で世界を変えたいという思いで、18歳で起業しました。音楽配信ベンチャーを創業し、当時世界最大手のIT企業から出資を受けたのですが、ITバブルの煽りを受けて会社を売却することに。アメリカのシリコンバレーのベンチャー企業の日本法人に買収され、シリコンバレーと日本を往復する日々の中で、ディスカバリーチャンネルで特集されていた発展途上国の映像を見て、自分の目で現状を確かめたいと思い地球一周の旅に出ました。
堂上:地球一周、最高ですね。地球一周の旅はいかがでしたか?
中島:約100日の旅の期間で様々な光景を目にしました。近代化された街のすぐ隣にスラム街がある構図。リビアの兵士たちが銃を抱えながら世の中の希望を語る姿。旅に出る前は、もう資本主義の中でビジネスはしたくないと思っていましたが、社会を良くするためには社会課題を解決する事業をビジネスで成功させる必要があると感じ、「ウェルビーイング起業家」として様々な起業にチャレンジしました。
堂上:良いですね。ウェルビーイング起業家の話に繋がったのは、そういう体験からなんですね。
中島:一般的に「ソーシャルビジネス」とか「社会起業家」という呼び方が世の中にあると思うんですけれど、どうしても違和感があったんです。社会の課題解決は当たり前ですし、企業はそもそも社会の公器であるということから考えると、わざわざ「社会」という対象を名で表す必要があるのかと。それに、僕が起業したり支援している事業は、社会により良い価値を生み出していくことを通じて結果的に社会課題解決が解決されるという価値創造型のモデル。だから、事業のビジョンや目的を表す「ウェルビーイング」という状態を目指す言葉の方がしっくりきました。
堂上:ウェルビーイングという言葉を知ったり、使いはじめたのはいつくらいでしょうか?
中島:前野先生の本もそうですし、SDGsの17の目標の3つ目にも「Good Health and Well-being」がありますので、それも知ったきっかけです。ウェルビーイングという言葉を自分の中で紐解いていくと、社会のすべての人がより良いという状態はどういうことであるかということ。
さらに踏み込むと、起業家のウェルビーイングってどうなんだと考えた時、起業家というのは常に成功か失敗かの瀬戸際の環境に晒されており、また日本では起業家は連帯保証制度など社会に守られていない側面もあって、起業家自身のメンタルヘルスがあまりケアされていない現実を経験してきました。だからこそ、社会のために一歩踏み出す起業家自身にも幸せになってもらいたい、起業家やその家族を含むすべての人がどうやったら幸せになれるかと考えた時に、ウェルビーイングという言葉がピッタリだと考えました。
堂上:Welluluを立ち上げた時に我々は、「一人ひとりにとってウェルビーイングな状態は異なっていて、みんながより良くなっていくために、それぞれのウェルビーイングに共感していくことができたらいいね」という話をしていました。だから今の中島さんのお話にも非常に共感します。著書『共感起業大全』にもそういったことが書かれていますよね。
中島:そうですね。「共感」と「起業」、その両方が非常にウェルビーイングに寄与してるんじゃないかなと思うんです。共感というのは心の動きですが、そこには感情という無意識な心の動きで、一喜一憂しています。感情は、人を幸せにすることもできれば、人を傷つけることもできるし、自分を追い込んでしまうこともあります。であればその感情というものを、どのように自分がコントローラブルなものにするかというのが大切だと考えています。
また起業とは、社会に貢献できる人生の選択。誰もが自身とみんなにとって素晴らしい選択ができること。この両方を合わせることが、ウェルビーイングに繋がると思っています。
堂上:なるほど。よくわかります。
中島:そのうえで、共感というのは価値観の共有から生まれるものなので、人が持っている価値をどのように自分の中で捉えていくことができるかが重要になります。たとえば、ある出来事をポジティブに捉えるかネガティブに捉えるかによって、共感したり反感に変わったりするものです。ですから、感情に意識を向けていき、より良い状態をつくり出す、つまりよりウェルビーイングに近づいていくことはできると考えています。
堂上:そうですね。ウェルビーイングは自分と向き合う瞬間からはじまりますね。
中島:加えて、「利己」と「利他」という部分が非常に大きいと思うんです。ウェルビーイングの研究でも利他的であることがウェルビーイングだといわれている。であれば、やはりそういう「共感」という自分以外の人との感情の共有とか、みんながどういう気持ちになれるのかなどに意識を向けていく利他的行動が、ウェルビーイングに有効的ではないかなと考え「共感」という言葉を大切にしています。
堂上:宮田裕章教授と「誰も残さず、みんながウェルビーイングになれるのか」というお話をした時に出てきたキーワードも「共感(エンパシー)」でした。相性の合わない人や価値観の合わない人がいても、そこに共感があると、共感というコミュニティが生まれ、ウェルビーイングに近づいていけるのではないかと。中島さんはどのようにして「共感」という言葉を結びつけていかれたのでしょうか?
中島:NPO法人コモンビートを創業して20年ほどになりますが、そこで普段出会うようなことがない人たちと一緒に作品を作る過程を通じて、価値観を共有するプロセスを共有する経験が大きいです。
共感には「認知的共感」と「情緒的共感」、つまり頭と心の共感があります。頭での共感はいわゆる「理解」ですね。でも理解するだけでなく、心から沸き起こるような共感もなければ、上手くいきません。どちらかの共感に偏ると、感情は時に暴走するので、「何でわかってくれないの」と相手を責めてしまいがちです。でもそれはウェルビーイングな状態ではない。頭と心の「共感」のバランスに意識を向けて相手を理解していくことで、周囲との関係性も上手くいくことが多くなるでしょう。
そもそも他人は、誰もが自分とは異なる存在。だからそれをみんなができれば、関わる人の影響から社会全体がウェルビーイングな状態になっていくことも不可能ではないと思います。
堂上:僕らは「ウェルビーイング共創産業」という言い方をさせてもらってるんですけども、一人のファーストペンギンがいても、フォロワーが来てくれないと事業って生まれない、という意味でも、共感は非常に重要だと思います。どのように人を巻き込んでいくのか、仲間をつくっていくのか、中島さんの経験からアドバイスをいただきたいです。
中島:物事を「1対N(多)」というつくり方をすると、どうしてもしんどいですよね。それにひとつのものや一人に対して全員が共感しているという状態は、かえって危ないと思います。ある意味で依存しているわけですから、集中して頼っていること自体が脆弱です。そうではなく、共感が共感を呼ぶ……、近くの仲間に共感していく輪が同心円状に広がっていくようなイメージです。
たとえば、僕と堂上さんに共感があって、堂上さんとその友人に共感があったとしても、その友人と僕は共感しているかどうかはわかりません。でもこれでいいのです。その人だから伝えられる価値観が共感という形で伝われば、その数だけ価値観が共有されていくことになります。価値観が共有されていれば、共感はまた違った形で幾度となく生まれてくるものです。
そして「ビジョン・ミッション・バリュー・パーパス」といった企業理念も、それぞれの人の価値観との重なりから生まれた「共感」で周囲に伝わることで、組織全体に価値観が共有されていきます。しかしこれをトップダウンで遵守させようとして、共感が得られていない現場はたくさんあります。
堂上:1対Nではなく、「N対N」の状態を作ることが、共感を広げていくポイントなのですね。それぞれの価値観や生き方はそれぞれ認め合っていて、でも最終的に組織として目指したいゴールは共有できているというイメージでしょうか。
中島:そうですね。これまでは自分の全てをコミットメントさせなければならない、価値観を受け入れ共感しなければならない、という風潮があったかもしれません。でも実際には、全てに共感する必要はないし、そもそもできないと思うんです。ですから、価値観は絶対だと考えるのではなく、むしろ価値観の集合体である「世界観」のように捉えると良いかもしれません。世界観の中にある、たとえば10個ある価値観のうちの何個かだけ強烈に共感できるものがあれば、それ以外に強い共感が生まれなくともそれほど大きな問題ではないかもしれない。それが個性ですし、時間が経てばいつか共感に繋がるかもしれない。そういった観点でも、ウェルビーイングには選択肢があることが大切だと思います。
堂上:働き方も生き方も、選択肢があるということですね。
中島:選択肢を持って良いという世界に変わることが、ウェルビーイングそのものだと思います。自分のやりたいことができれば、肩書きなど必要ありません。人はよく「自由」を求めますが、僕は「自由自在」、つまり自由に変化し選択できる人間でありたい。感情をコントローラブルにしていくという話も、選択肢の多さを増やしていくことに繋がります。
堂上:それは多様な価値観に興味を持つという話にも繋がっていきますね。
先着100名、多様な人々がフラットな関係性を築く
堂上:中島さんが創業されたNPO法人コモンビートについても教えてください。
中島:コモンビートは、学生や社会人を先着で100人集めて、100日でミュージカルを作るプログラムです。ほとんどの参加者がミュージカルは未経験ですが、1300名規模の会場で毎期3回ほど上演し、ほぼすべてが満席になります。日本全国、また韓国でも開催していて、20年間で観客動員数は23万人ほどになりました。
堂上:「表現する」ということはウェルビーイングにも繋がりますよね。どのようなきっかけでコモンビートが生まれたのでしょうか?
中島:地球一周の旅をしている時に、船内プログラムの一環でミュージカルがあったんです。それで日本に帰ってからもやりたいという話になって、最初は地球一周した人が参加条件で始まりました。
堂上:そこから始まっていったのですね。
中島:地球一周から帰ってきた時に日本で社会課題になっていたのは、ニートでした。でも僕は、大人が言うことを聞かない若者のことをニートと呼んでいるんじゃないかと感じたんです。また、海外の人から見ると日本人は表現力が乏しいといわれますが、僕の周囲にいるのは元気で表現力豊かな若者たちばかりでした。そういった彼らの姿を、大人として、大人に見せたい。そういう機会をつくりたいという思いから、コモンビートが始まりました。
堂上:どんどん輪が広がっていって、今は8,000人もの参加者がいるのですよね。それは中島さんにとっても財産ですよね。
中島:そうですね。もちろん今では僕も含めお互いに顔を合わせたことのない人も増えました。 でも、コモンビートの経験者という共通点だけで、1回目の参加者と最新の60回目の参加者が同じトーンや話題で話せる。それは歌やエンターテイメントが持つすごい力だと感じます。
堂上:僕も先日コモンビートの20周年のイベントを観に伺いましたが、最初は一人だけ部外者で気まずいかなと思ったんです。でもみなさん笑顔で話しかけてくださって、誰かを排除する空気がないので、どんどん居心地が良くなっていくことに驚きました。
中島:誰もがフラットで、リスペクトし合っているんです。参加者の中には、会社の役員もいれば、それこそニートのような若者もいる。それで、舞台上では若者の方が動きが良いものですから、会社の役員に対して「動きが悪い、ロボットみたいだから一緒に直そう」とか言うんですよね。
堂上:普段人から注意される機会もない役員にとっては新しい体験ですね。
中島:ひとつの目標に向かって一緒に向かう仲間。そうやって誰もがフラットに言い合える環境って、とっても素晴らしいですよね。
堂上:そういう環境を作るためには、ルールを設けたりオリエンテーションを行ったりしているのですか?
中島:心理的安全性を保つということは意識しますが、厳格なルールはほとんどありません。様々なアクティビティを通して、相手を理解し尊重する空気が生まれます。たとえば、「今日は来なきゃよかった」というネガティブな気持ちすらも、肯定する。誰もがワクワクする気持ちもあれば、不安な気持ちもあって、共存していることもあるわけですから。どう思っていても、それが「あなた」であるということ。どうあるべきかではなく、「あるがまま」であること。それを伝えていきます。
堂上:ルールがないからこそ、あの空気が生まれるんですね。
中島:やはり個性を発揮する場をつくるためには、ルールありきではダメですね。コモンビートの参加者には職業や年齢がバラバラなのはもちろん、視覚障がい者や聴覚障がい者の方も参加しています。18歳でも90歳でも、車椅子でも、国籍も性別も、バラバラだからみんなアウェイ。だから、お互いを理解しようと歩み寄りはじめるのです。
堂上:コミュニティの中にダイバーシティが入っているわけですね。
中島:多様性を保つためには、条件をつけないこと。僕らはいつも先着順なんです。やりたい気持ちが参加資格。それを受け入れる覚悟があるともいえますね。どんな人が来るかはわかりませんが、来てくれた人でつくる、ということにコミットしています。
堂上:すごいですよね。場を乱す人も来てしまうのではないか、とか考えてしまいませんか?
中島:もちろん僕らが大切にしたいことや目的が一致していることは前提ですが、捉え方や考え方の違いや表現方法は、誰もがそれぞれに違うものです。多様であるがゆえに、それぞれがお互いとの関係性の中で気づき、目的を達成するために自分がどうすべきか。過去と他人は変えられない中で、自己調整して工夫していけば良いと思います。
堂上:なるほど。これは全ての人間関係においていえることですよね。
線を引かない、曖昧な状態をつくる
中島:もうひとつ、コモンビートで意識しているのが、線を引かないということです。線を引くと、線の内と外が生まれますよね。国境でも、性別でも、世の中は分類されていて境界線だらけ。ミュージカルの作品でも描かれることですが、僕らはそのあたりを意図的に曖昧にしています。
曖昧にすることが心地の悪い人もいますが、そもそも社会はすべて曖昧なのですから、曖昧さに慣れると心地良くなります。ですから、自分自身さえもこれまでの肩書きをはずすなどして、曖昧でいて良いと思えると、どういう人でいなきゃいけないという意識から開放され、本当の自分を発揮しやすくなるんです。
堂上:僕らもウェルビーイングのコミュニティ論として、コミュニティという輪を作ると輪の内と外が生まれるという話をしています。輪を作るのではなく、森から海に移行するような「移行帯(エコトーン)」のような感じが良いのではないかと思っています。
中島:最近の学生がよく使う「界隈(かいわい)」という言葉もそれに近いですよね。なんとなく集まっている、線が明確でない状態です。
堂上:そうですね。とはいえ、社会では色々なことが起きていて、その中で孤独を味わったり、生きづらさを感じる人も多いと思います。そういった人たちに対して、無理に仲間に入れようとするのも違うのかなと思うのですが……。
中島:僕自身も、コモンビートの中ではステージに立ってワイワイするタイプではありません。旗からそれを見て、ウンウンと頷いていることのほうが好きです。きっとこれに共感してくれる人もいるはずです。エンタメ団体だからみんな派手で元気じゃないといけないわけじゃない。色々な人の居場所があるからこそ、コモンビートは組織として機能して強いのだと思います。
堂上:こうあるべきということを投げないということでしょうか。
中島:コモンビートの仲間を見ていると、どうやって生きているのか(暮らしているのか)わからないような不思議な人もたくさんいます。きっと僕もそう見られていることでしょうが、意外と、世の中はそういうことのほうが多い。組織は社会の縮図ですから、理解できない人とも協力しあって成り立っています。
生きづらさを無意識に感じるのは、教育や社会の影響もあって、まずはそれを取り払うという意識も大切だと思います。属性や色々なしがらみを取り払って自由になって、自由自在に変形できる。その感覚を自分で持てると楽になれると思います。
堂上:なるほど。どうしても共感できない相手と接しなければいけない場合は、どうしたら良いでしょう。
中島:たとえば、反感しか生まないような相手であっても、生涯このままなのか、明日変わるのか、10年後に変わるのか、それは僕にはわかりません。その人は夫婦喧嘩をした後かもしれないし、娘からお父さん嫌いと言われた後かもしれない。何かいつもとは違う感情がそこに生まれているかもしれないのです。
そんなとき、僕は「不可抗力」という考え方をいつも思い出すようにしています。外圧ではなく、自ら自然と変わる何かがきっとそこにある。僕はそれをいつも信じて探しています。
堂上:無理に変える必要はないということですよね。
中島:人は自分を変えず相手を変えようとする。どうしても「なんで自分の言うことを聞いてくれないんだ」と思ってしまいがちですが、それは一種の傲慢でもあって。そういうネガティブな感情をコントロールするということも、ウェルビーイングには欠かせないと思います。
堂上:その人も立場上、言わざるを得ない場合もありますしね。
中島:そういったことまで想像できると、自分も穏やかな気持ちで向き合えますよね。
堂上:最後に、中島さんにとってウェルビーイングを感じるのはどういった時でしょうか?
中島:僕は何にもない無の状態に平穏さを感じます。今この瞬間も戦争が起こっているような世の中にあって、心に波が立っていない状態というのはとても貴重な瞬間だと思います。たとえば毎朝ウォーキングをして、公園で鳥の鳴き声を聞いているような状態など。心がフラットで、ニュートラルで、自分自身の選択肢が無限にある状態を自覚すると、ウェルビーイングさを感じます。
堂上:何もないように見えて、選択肢が選べる状態なのですね。
中島:今の経済ではお金が不安だという人も多いですが、たとえば住むところを変えればコストを変えられます。そういう選択肢は誰にでもあるはず。選べるけれど選ばない、自覚していないことを自覚する、そういう選択肢に気づくことができれば、もっとウェルビーイングになっていけるのではないでしょうか。
堂上:そういった観点でも選択肢は大切ですね。非常に共感しました。本日はありがとうございました。
中島 幸志さんの著書はこちら
編集後記
中島さんと出会い、「こうじ」という名前を今回執筆するにあたり、「幸を志す」としたそうです。事業開発においても、「意志」が重要で、イノベーションの先には、ウェルビーイングがあると思っています。
ウェルビーイングな人を取材させて頂いて、毎回共通点が見えてくるのですが、それが「動いている人」。必ず、何かに向かって動き続けている人はウェルビーイングな人だと感じます。
そして、仕事を楽しみつつ、利他的です。中島さんは、前に出るタイプではないとおっしゃっていましたが、観察して俯瞰でものごとを捉えて、たくさんの共感をつくっています。
僕もいつか、ウェルビーイング産業を創れる人になりたいとあらためて思いました。素敵な時間をありがとうございました。
堂上
田畑で遊ぶ幼少期、音楽に明け暮れる学生時代を過ごし、18歳で起業。その後、音楽配信ベンチャーを創業し、当時世界最大手のIT企業から出資を受け日本初となるサービスを実現。その後、ITバブルの煽りを受け会社を売却し、人生のどん底を20代で経験する。
社会の価値観に疑問をもつなか、自分の目で世界の現状を確かめたいと思い地球一周の旅に出る。そこで見た経済のしわ寄せの現実を目の当たりにし、社会課題とビジネスの両立をテーマにビジネスで再挑戦することを決意し帰国。
NPO法人コモンビート、株式会社HASUNAなど、スタートアップからNPO法人まで約30社の起業や経営、500人を超える起業家を支援。
現在は、「感性で育まれるウェルビーイングな社会」に向け、自分ゴトで社会に取り組む人を増やす「アントレプレナーシップ」の研究と実践を行い、サスティナブル・ストーリー株式会社の代表として、起業家の支援、企業内起業家育成/人材開発、キャリア支援、プログラムの共同開発、地域通貨の運用など、ウェルビーイングに関わるビジネスの支援を行っている。著書『共感起業大全』(自由国民社)2023年10月30日発売。