物事を理解する際、大きな役割を果たす脳の「認知機能」。IQ(知能指数)にも関連するとされ、情報をより早く、的確に処理するためには、この機能を高める必要がある。また、相手の感情を理解したりコミュニケーションするといった社会性にも関わってくる。
このように認知機能は非常に重要であるにもかかわらず、実は大人になってから改善するのは難しいという。人の認知機能は、0〜3歳までの経験によって神経回路の「何を使い、何を使わないのか」という刈り込みが行われ、12才頃までには個々の脳の使い方も決まってくるというのだ。
今回は認知神経科学研究者の玉川大学脳科学研究所の松田哲教授に、脳が認知するときの脳の仕組みと、その機能の高め方について伺った。
松田 哲也さん
玉川大学脳科学研究所 教授
本記事のリリース情報
メディアでの紹介 2023年度【玉川学園】
人によって認知機能が大きく異なるのはなぜ?
── はじめに、松田先生が今回の研究をしようと思ったきっかけを教えてください。
松田先生:私は以前、うつ病や自閉症といった精神疾患の認知機能に関する研究していました。例えば、幼少期に虐待やネグレクトされた経験があると、実際に脳の一部が萎縮するといった変化が生じることが分かっていますが、その経験がすべての人に同じ影響を与えるわけではありません。
大人になってからうつになったり、人間関係が上手くいかなくなる人もいれば、まったくそういったことが現れない人もいるのです。こういった「物事の捉え方」「個性」に差が出てくるのは、どんな理由からなのか興味がありました。脳の認知機能の成長の仕組みを調べることで、それらのメカニズムについても少しずつ明らかになるだろうと考えました。
小さい頃から運動することで、認知機能を高められる
──今研究のテーマでもある「認知機能」は、どのような方法で調べることができるのでしょうか?
松田先生:今回は214名の若年成人〜高齢者を対象に、まず質問紙を用いて幼少期の運動経験がどのくらいかを伺ったうえで、画面に表示される数字などの情報をその場で正しく判断できるかを調べる「Go/No-Go課題」を行いました。
幼少期の運動経験と後年の認知機能の関連性を調査しているわけです。その結果、幼少期に運動をたくさんしている人ほど、認知機能が高く判断ミスが少ないという結果がえられました。
さらに、MRI脳画像データを解析し、脳内のネットワークの構造や結合に関する詳細な情報をえたところ、幼少期に運動した人はネットワーク構造がじつはシンプルにつながっているということが判明しています。
── 脳の神経ネットワークは、たくさんいろいろなところと複雑につながってればつながっているほどいいのかと勝手に思っていました!幼少期に必要なところを残して、使わないところは削ぎ落とすことが重要なんですね。
松田先生:そうなんですよ。じつは脳のネットワークはたくさんつながっていればいい訳ではなくて「使うところ」だけを残して、成長にともなって残ったところが適切にネットワークを構築することが、認知機能やIQを高めることにつながります。この、神経を適切に絞り込むことを「刈り込み」といいます。
ある程度使う神経がしぼられると、脳の各領域間の結合があちらこちらじゃなくて、チャンク(塊)を形成していきます。幼少期〜中学生までに運動をしっかりしていると、チャンク形成がスムーズで、右脳と左脳がうまく連携するようになるんです。
わかりやすい例として、一流の野球選手を調査した際、自分に向かってきたボールを打つ・投げるといった動作をするときに、脳は複雑な神経回路を使って処理するよりも、「必要な神経回路だけを用いて処理した方が早く判断する」ことができます。
このように人間は、最適化された神経ネットワークを使うことで思考の時間を短縮している可能性があるのです。だから「刈り込み」が重要なんですね。
とくに、この神経の刈り込みは0才〜3才までの経験により使われる神経ネットワークがはっきりすることで、剪定される神経経路が決定されます。その時期に身体を動かすことが認知機能にも良い影響を与えると考えられます。そして中学生くらいまでにチャンクの形成が固まっていくので、それまでにいろんな経験をしていくことが重要になります。
大人も定期的に運動すると、認知機能の維持ができる
── 子どものうちから、認知機能をしっかり育てるために親はどんなことを意識したらいいのでしょうか?
松田先生:昔の子どもはスマートフォンやテレビゲームも今ほど豊富にないので、野球をやったり2時間走り回ったりとか、よく動くことが多かったのですが、今の子どもたちにはそういう機会が減っていっていますよね。その分、ご両親が意識して、いろんな経験をさせてあげることが重要です。
「運動する」というと、スポーツに目が行きがちですが、小さいうちはものを移動させるとかそういう経験でもいいわけです。要は自分の
身体を自由に動かす経験が、脳にとっていい刺激になっていると思うので。実際にスポーツができるようになったときも、いきなり1つのジャンルに絞ったり、激しい運動をさせるのではなく、中程度のものを幅広くチャレンジさせることが重要です。
あとは、これから詳しく調査していくつもりですが、子どものうちからスポーツをいろいろ経験することで「社会性」にも影響があるのではと思っています。チームスポーツで協調性が養われることは想像ができますが、対戦で相手がどういうことをしてくるか、戦術的に考えることで、相手の気持ちを考えるなどコミュニケーション能力にも影響してくるんじゃないかと思います。
協調性やコミュニケーション能力などの社会性を育むのにも、スポーツは効果的だと考えられます。
── なるほど、1つのことにこだわるよりも、最初は幅広くすることが大切なのですね。ちなみに、大人になってから認知機能を上げる方法はまったくないのでしょうか?
松田先生:まったくないわけではないですが、幼少期や学童期よりは難しい、というのは事実だと思いますね。実際、子供の頃っていろいろなことをスポンジのように吸収できるでしょう? 大人になってからの方が何を学ぶにも時間がかかるんですよね。
ただ、「週3回以上30分以上の適切な運動をすると、認知機能の低下を有意に防ぐことができる」といった研究結果もあり、大人も運動することで機能を高めたり維持したりすることは可能ですが、長期間その運動の効果を維持されることが難しいという結果があります。
こちらも激しい運動をしたり、一度にまとめてするよりも、中程度の運動を定期的にしていくことがポイントになります。
認知機能の調査を通じてウェルビーイングにつなげたい
── 本日はありがとうございました。最後に研究で新たにわかったことや、松田先生が研究を進めていることがありましたら教えてください。
松田先生:今後の展望として、「人の考え方や個性」がどのように形成されていくかを、脳科学から明らかにしていきたいと思っています。
人の物事の認知は、脳の記憶、つまり経験をベースに学習された記憶を使って行われています。たとえば、相手に今まで食べたことのない料理の感想を伝えるとき、「オレンジにレモンを加えたすっぱさ」とか、記憶に当てはめて説明したりしますよね? 自分の持っている経験と照らし合わせて、現実の物事を認識したり、伝えたりしているわけです。そこで、自分の記憶にないものは解釈に使うことができません。さまざまな経験により木の年輪のように、生まれてから継続的に蓄積される記憶が、その人の認知機能をつくりあげていくのです。
詳しいメカニズムがわかれば、高齢になっても認知機能を高く維持する方法や、精神疾患などで困っている方を、助けることもできるかもしれません。年齢があがっても認知機能を維持することができれば、QOL(Quality of life=生活の質)を高めることもできるはずです。この研究はまさにウェルビーイングにつながる部分だと思っています。
Wellulu編集後記:
人の脳が物事を認識したり、処理したりする仕組みはとても興味深いものですね。神経はあればあるほどいいのではなく、適切に絞り込まれることで認知機能が上がるというのは意外なお話でした。
認知機能の発達・維持には「適切な運動」が非常に重要なこともわかってきました。子どもといっしょに身体を動かすなど、大人も健康的な生活を心がけたいですね。