超高齢化社会である日本において、社会課題の一つとなっている「認知症」。現在、認知症当事者やその家族のQOLを維持し、誰もが自分らしく暮らせる社会全体での支え合いは、今まさに向き合うべき大きなテーマだといえる。
こうした課題に対し、40年以上前から一貫して認知症領域への挑戦を続けてきたのが、日本の大手製薬企業であるエーザイ株式会社だ。「ヒューマン・ヘルスケア(hhc)」という企業理念のもと、世界中の人の健康とウェルビーイングへの貢献を目指す。
2026年5月には、持続的な成長を見据えた新たな「3カ年計画」が始動。「認知症に新しい答えを」という強い意志を掲げ、次世代のヘルスケアを開拓している。
今回は、エーザイ株式会社 代表執行役専務COO(兼)チーフグロースオフィサーの内藤景介さんと、「Wellulu」編集長・堂上研が対談。同社が歩んできた挑戦や、若きリーダーが描く経営の未来、そしてその志の原点に迫る。

内藤 景介さん
エーザイ株式会社 代表執行役専務 COO(兼)チーフグロースオフィサー

堂上 研
株式会社ECOTONE 代表取締役社長/Wellulu 編集長
1999年に博報堂へ入社後、新規事業開発におけるビジネスデザインディレクターや経団連タスクフォース委員、Better Co-Beingプロジェクトファウンダーなどを歴任。2023年、Wellulu立ち上げに伴い編集長に就任。2024年10月、株式会社ECOTONEを立ち上げる。
生活者に寄り添い、新薬へと挑むイノベーションの歴史

堂上:実は僕は、チョコラBBを結構飲んでいます。
内藤:ありがとうございます。弊社は元々「日本衛材」という、「チョコラBB」をはじめとするコンシューマーヘルス製品を扱う会社からスタートしています。社名の「エーザイ」も、「衛生材料=衛材」という言葉に由来しているんですよ。
堂上:社名自体にその歴史が刻まれているのですね。そこからどのようにして、現在の認知症やがん領域を中心とした医療用医薬品メーカーへと進化を遂げられたのでしょうか。
内藤:時代の歩みとともに自社開発へ本格的に取り組み、医療用医薬品の領域へと事業を拡大させていきました。現在のエーザイの強みである認知症領域やがん領域は、ここ数十年で本格化したものです。この挑戦によって患者さまへの貢献は、さらに生活者の皆様の領域へと拡大し、「幅」が一気に広がったと考えています。

堂上:「生活者や患者さまの困りごとに真摯に向き合い、そのペインを解消するために貢献の場を広げる」という姿勢ですね。エーザイがこうした画期的なイノベーションを生み出すプロセスは、やはり市場の声を汲み取ることから始まるのでしょうか?
内藤:歴史を振り返ると、もちろんマーケットイン(市場のニーズを汲み取り開発すること)の製品もありますが、プロダクトアウト(技術や発想を起点とすること)から誕生した製品も数多く存在します。
生活者や患者さまの声を集めた上で「我々の技術で何ができるか」を深く考え抜き、最終的には「この薬で救いたい!」という研究者の強いパッションが、画期的な新薬の創出へとつながってきました。
堂上:市場の課題感と、研究者の情熱や技術。その両面からのアプローチが歩み寄ることが、イノベーションを生み出す鍵なのですね。
内藤:イノベーションの本質は「挑戦の『数』と『質』」にあります。「数」とは、失敗や未解明な現象に直面しても打席に立ち続けること。「質」とは、本当に意味のある価値を社会へ届けるための本質的な問いを立てることです。
堂上:エーザイが生み出してきた治療薬も、まさに「挑戦の数と質」の結晶ですね。試行錯誤から多くの学びを得て挑戦を続けるカルチャーこそが、ウェルビーイングな組織の礎なのだと実感します!

薬が必要なくなる世界へ。エーザイが挑む『認知症エコシステム』
堂上:エーザイは認知症領域における世界のパイオニアでいらっしゃいますが、アルツハイマー型認知症の治療薬『レカネマブ』誕生の背景にも、何十年にもわたる途方もない試行錯誤の物語があったとお聞きしています。
内藤:そもそも、新薬を創出するということは極めて難度が高く、「意図した通りだけに作れる」ものではありません。最初は別の目的で研究していた化合物が、思いがけない有用な作用を示し、その発見を起点とした新薬が誕生することもあるのです。
堂上:さらに、発症のメカニズムそのものが完全には解明されていない複雑な病気ですよね。創薬の現場には、非常に高い壁が存在していたのではないでしょうか。
内藤:私たちは長年の間、「アミロイドβ」というたんぱく質が、アルツハイマー型認知症の発症に関係しているという仮説のもと、研究を重ねてきました。実際にその原因物質の効果を低下させる薬を開発して臨床試験を行いましたが、真の原因物質の除去力が弱く成功しなかったり、既に機能低下が進んだ患者さまは認知機能の十分な回復までには至らなかったりと、思ったような結果にはつながりませんでした。
堂上:原因物質を除去したにもかかわらず、望む結果にすぐには結びつかなかったのですね。そこからどのようにして、壁を突破していかれたのでしょうか。

内藤:社内では「アミロイドβの塊(凝集塊)は直接の原因ではなく、傷口を保護する『かさぶた』のような役割を果たしているのではないか」という新たな視点も生まれました。そして、実験と検証を繰り返す中で、私たちはアミロイドβが溜まりきってからではなく、軽度認知障害あるいは軽度の認知症の段階で治療を始めなければいけない。また、アミロイドβの中でも塊になる前の「プロトフィブリル」を標的として除去を狙うのが最も有効ではないかと、判断に至りました。
堂上:治療を開始する「タイミング」の発見こそが、大きな鍵だったのですね。
内藤:これに気づけたのは、当社の失敗データに加え、他社の失敗事例も含め分析し、仮説をアップデートし続けた結果でした。
堂上:壁にぶつかるたびに学び、次の一手へとつなげていく。試行錯誤の積み重ねが、イノベーションを引き寄せていったのですね! エーザイの『Human Capital Report 2026』では、「Fail First, Succeed Later!!(失敗が、次の成功をつくる)」を合言葉に、このような「リアルな失敗や壁」をありのままに開示していますよね。
内藤:目に見える成果そのものだけでなく、失敗から一つひとつを学び、次の新たな仮説へとつないできた人財と組織の底力こそが、エーザイのイノベーションを支える「人的資本」だと私は考えています。
『認知症エコシステム』で挑むヘルスケアの可能性

堂上:エーザイは製薬会社でありながら、例えば採用ホームページにおいても「薬が必要なくなる世界へ」というビジョンも掲げられています。この言葉は一見すると逆説的にも聞こえますが、どのような想いが込められているのでしょうか。
内藤:例えば、「依存性が低い薬を作る」ことの価値を考えてみるとわかりやすいかもしれません。製薬企業以外の一般的なビジネス構造では、「リピート性の高いもの」を作った方が事業として成立しやすい側面もあります。しかし、命に直接向き合う医療領域においては一切の妥協を排し、患者さまが「薬を必要としない状態」を目指して、真摯に取り組まなければならないと確信しています。
堂上:命に真摯に向き合う産業だからこその揺るぎない覚悟ですね。ただ、仮に「薬が必要なくなる未来」が訪れたとき、エーザイという企業はどのような姿を目指していくのでしょうか。
内藤:そうした未来においては、手段を薬だけに限定することなく、『ヘルスケア』というより広い視野のもと、新たな価値提供のあり方を追求していきたいと考えています。どのような技術やソリューションを持ち、社会へ貢献していくか。それ自体が、私たちの最前線における『挑戦』そのものなのです。

堂上:単に治療薬を届けることにとどまらず、患者さまの生活全体とQOL(生活の質)を守るための挑戦ということですね。
内藤:その通りです。例えば認知症領域は、がん領域などとは異なる特徴があります。それは、「ご本人が病気を自覚し、自発的に闘病していくこと」が難しいということです。患者さまのご家族も含めて、これからも早期発見と予防に向けた啓発活動へ取り組んでいく必要があります。
堂上:当事者の方を取り巻く、ご家族や周囲の理解とサポートが不可欠なのですね。
内藤:その一環として、私たちは治療薬の創出にとどまらず、他産業や自治体と連携した『認知症エコシステム』の構築に本気で取り組んでいます。例えば、ライフネット生命さまと共同開発した軽度認知障害(MCI)の早期発見・早期治療をサポートする認知症保険『be』の販売や、センサー技術を用いた高齢者向け見守りサービスを展開しているグループ会社「エコナビスタ株式会社」の事業などは、その代表例です。
薬だけでなく、多角的にソリューションをつなげていくことが、これからのヘルスケアビジネス、そして『認知症エコシステム』において極めて重要になると考えています。

堂上:このエーザイの多角的な挑戦を支えるすべての基盤が、企業理念である『ヒューマン・ヘルスケア(hhc)』の精神なのだと感じます。内藤さんは、人々のウェルビーイングへの貢献に直結するこの企業理念について、どのような想いを抱かれていますか?
内藤:『hhc(=患者さまと生活者の皆様の喜怒哀楽を第一義に考え、そのベネフィット向上に貢献し、世界のヘルスケアの多様なニーズを充足する)』という理念の真価は、「社員一人ひとりが、柔軟にのびのびと解釈できる」点にあると思っています。明確な定義に縛られることなく、自分の仕事に結びつけて自律的に理念を解釈できる。だからこそ、組織全体に一体感と共創が生まれるのです。
堂上:「hhc」のロゴも非常に印象的ですよね。とても温かみを感じるデザインだと感じます。
内藤:あのロゴは、近代看護の祖であるフローレンス・ナイチンゲールの直筆サインから、彼女が書いた「h」「h」「c」の文字を抜き出してデザインされているんです。
堂上:ナイチンゲールの直筆だったのですか! その手書きの温かみこそが、エーザイが患者さまやご家族に寄り添う姿勢を象徴しているのだと実感します。
エーザイの未来を形づくる『3カ年計画』への決意

堂上:ここで少し内藤さんご自身のお話も伺いたいのですが、日頃どのような瞬間にウェルビーイングを感じられますか?
内藤:実は、最近なかなか自分自身の時間を確保できず、ウェルビーイングな状態を上手く保てていないなと感じているんです。少し前までは写真を撮るのが好きで、のめり込んでいました。
堂上:写真のどのような部分に大きな魅力を感じていらっしゃったのですか?
内藤:写真は奥が深く、人と通じ合うための共通言語としても優れています。レンズごとの表現力や描写の違いを実感するにつれ、「この情景は、このレンズで切り取りたい」というこだわりがどんどん強くなっていきました。
堂上:最近は写真をお休みされているとのことですが、どのような理由からなのでしょうか?
内藤:探究するあまり機材へのこだわりが深まり、日常で気軽に持ち歩くには少々本格的になりすぎてしまったことですね(笑)。
堂上:なるほど(笑)。探究心ゆえのこだわりですね! 内藤さんは学生時代、熱中していたことはあったのですか?

内藤:学生時代、ボート競技に7年間打ち込んでいました。ボートは体力的にも過酷で、正直に言って、練習が楽しいと思える瞬間はほとんどありませんでした。
堂上:それほど過酷な環境で、7年間も愚直に続けられた原動力は何だったのですか?
内藤:「いつかこの苦しさの先にある面白さがわかる日がくるはずだ」と信じて、ひたすら漕ぎ続けたんです。そこで得た最大の学びは、「自分を客観的に捉える力」だったと感じています。どんな状況においても冷静に自身を見つめ直し、その上で自身をコントロールしながら目標を成し遂げていく意志が身につきました。
堂上:その原体験は、エーザイが挑み続ける創薬や、経営における高度な意思決定の力強い土台になっているのですね。最後に、エーザイの見据える未来について伺わせてください。2026年5月よりスタートした「3カ年計画」では、『レカネマブ』の持続的な成長などが掲げられています。この新たな計画に対する内藤さんの想いをお聞かせください。
内藤:私たちは10年、20年という長期的なスパンで持続的に成長していかなければなりません。しかし一方で、直近の3年間を振り返ってみても、世界を取り巻く変化のスピードは非常に加速度を増しています。
だからこそ、常にアップデートされた視点で「向こう3年間に何が起きるか」をリアルタイムで考え抜き、毎年計画を磨き直していく「3カ年計画」というアプローチを採りました。
堂上:激動の変化に対して、柔軟かつ迅速に対応していく姿勢ですね。この3年の目標を達成されたとき、エーザイはどのような企業へと進化を遂げているのでしょうか。
内藤:短期の成果を出し続けながら、次代を担う人財や非創薬領域への投資時間を確保します。10年、20年先も持続的に成長していくために、この3年で目指すべき重要な目標と位置づけています。
そして、エーザイが生み出す価値の本質を世の中に伝え、次の世代からも心から信頼される企業であり続けたいですね。
堂上:1本の『チョコラBB』から難病の根本にアプローチする治療薬、そして薬を必要としないウェルビーイングな世の中の実現まで、すべてが一つの温かいバトンとしてつながっているのだと実感しました。本日はありがとうございました!

2012年、慶應義塾大学文学部心理学専攻を卒業後、米国の製薬ベンチャー企業に入社。2013年10月、エーザイ株式会社に入社し、コーポレート事業統括部に配属。2017年、米国ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院を修了しMBAを取得、帰国後はコーポレートストラテジー部に所属。2018年4月、ディメンシア トータルインクルーシブエコシステム特命担当部長に就任し、認知症領域の事業構築に携わる。チーフデジタルオフィサー、チーフエコシステムオフィサー、チーフストラテジー&プランニングオフィサーなど要職を歴任。2024年6月、代表執行役専務COO(兼)チーフグロースオフィサーに就任し、現職。
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