息子の中学受験は、悩みの連続
先日、このwelluluブログで息子の中学受験について書いたら反響が大きかった。そして、welluluの読者アンケートをしていると、子どものウェルビーイングを取り扱って欲しいという声があった。
息子が塾でもらった資料にも、ウェルビーイングの言葉が堂々と書かれている。ウェルビーイングと言っとけば、なんか良い感じくらいの使われ方だな、と思いつつ。
子どもにとって、ウェルビーイングな状態はどんな状態だろうか? そして、中学受験ってそもそもどういうものか? そんなことをおうかがいしたいと思って、昨日は安浪京子さんにインタビューをさせて頂いた。
安浪さんは、株式会社アートオブエデュケーション代表取締役で、算数教育家、中学受験専門カウンセラー、コンサルタントをされている。まさに中学受験のプロフェッショナルから見えてくる子どものウェルビーイングを紐解きたかったのだ。
お会いするや否や、明るく気さくにお話しくださる。そして、声が大きくて姿勢がよい。ああ、こんな先生がいたら、学校が楽しくなるんだろうな、と思った。
僕は、自分の息子の中学受験における実際の状況をお話しさせて頂いてるうちに、インタビューというよりも、僕の受験生を持つひとりの親としての悩み相談となった。
実際の内容は、記事の中できちんと書く予定であるが、今回、お話しさせていただき嬉しかったことを綴っておきたい。僕は「受験」というものの認識を間違えて捉えていたんだ、ということに気づかせてもらった。
最初の話題はこんなところからはじまった。
「中学受験は、やらなくても良い」
いやいや、中学受験専門のコンサルの方が、やらなくても良いと言うのはどうか、と最初は思った。
サッカーが好きな子どもはサッカーを好きでやっているわけで、勉強が好きな子どもは勉強をもっとしたいと思って、勉強できる環境を目指す。それが受験だけは、嫌なものをやらざるを得ないのだ。嫌いなのにやる必要は無いということだ。確かに納得だ。
もう、最初から想像を超えて面白かった。
「子どもは、まだまだ経験を通して、好きなものが変わっていく」
確かに、今日はサッカー選手になると思っていても、中学生になったら、映画監督を目指すかもしれないし、高校生になったら、物理学にはまっていくかもしれない。
「期限があるから、やらなくてはいけなくなる。」
子どもが好きなことに熱中しているのを、とことん熱中できれば良いけれども、中学受験をすると、いつまでに何をしないといけないという期限があるから、大変になってしまう。
僕は息子が「自分で受験したい」と言ったので、じゃあ父親として応援する、と決めたのだ。けれども、安浪さんから、「応援ってなんですか?」と聞かれて、ドキッとした。
「塾に行くお金を出す」「がんばれーって言う」あれ、それくらいか??
もう少し捻り出して、家で勉強中、「一緒に横にいてあげる。」(と言っても本を読んだり、消音TVでスポーツを見たり。。。) なかなか応援もしていないことに気づく。
「ただ、横にいてあげるだけでも良いことですよ。」
そうおっしゃってくださって、僕はなんとなくホッとしつつ、終始笑顔の安浪さんに、子どもの受験相談をさせて頂いた。
僕の親としての悩みを聞いてもらうだけで、あっという間にインタビューの時間が終わった。
「子ども、ひとりひとり違うんだから、その子ひとりひとりに向き合い、その人にあった声がけをすること」
子どもにとって、周りの人たちに守られていることで、ウェルビーイングを感じるのだろう。
親がサポートできる子どもにとってのウェルビーイングの解は、「それぞれの子どもが熱中できるものを見つけていく」ことだろうと感じた。
僕は、インタビューを終えた夜、早速家族で、息子の受験に関しての家族会議をした。そして、「受験を楽しみながらやるもの」と切り替えることで、親も子も負担なく、進もうと言うことを話した。
僕はこうやって、安浪さんのインタビューを通して、ストレスから解放されることで、ウェルビーイングな状態につながった。
子どもにとってのウェルビーイングはまだまだ探求が続く。安浪さん、ありがとうございました。
まず、ちゃんと聴く。
エール株式会社の櫻井将さんの著書「まず、ちゃんと聴く。」(2023年: 日本能率協会マネジメントセンター)を読んだ。
聴くの概念をはじめて知った。これはwelluluでインタビューをするのも、組織をマネジメントするのも、家族との対話でも、「まず、ちゃんと聴く」技術が必要だと思った。
息子との会話の中に、親として常にwithジャッジメントが入ってしまっている。こうした方がうまくいくと思うよ、の価値観、バイアスが入り込んでしまっているのだ。
意外と難しいのが、withoutジャッジメントだ。相手の気持ちに寄り添い、どう返答するか、これは意識しないと、ついつい僕の考えに導いてしまう。圧倒的に、子どもよりも自分の考えが正しい前提で話してしまっているのだ。
今回の息子の受験も、僕は「まず、ちゃんと聴いている」つもりだったが、明らかに、「聞く」感じだった(聴いているふりをしていたのだ)。
相手の話を、まず、ちゃんと聴くときは、自分が自分のことを、まず、ちゃんと聴くところにある。
僕は「まず、ちゃんと聴く」ところから再出発しようと思う。そこにウェルビーイングなつながりが生まれているに違いない。
堂上 研 Wellulu 編集部プロデューサー