僕の昔の夢は画家だった。
僕は、昔から絵を描くのが好きだった。まだ小学校に入る前には絵画教室に通わせてもらっていたし、小学校の教科書は落書きだらけだった。夏休みの宿題の読書感想画では、他の宿題よりも燃えていたのを覚えている。
僕が本当に「絵」に興味を持ったのは、高校1年のときのニュージーランドへの交換留学がきっかけだった。(1992年の話なので、30年前の話である)
選択科目で「ART」の授業をとった。はじめての「ART」の授業で、僕はドキドキしながら教室の端っこに座っていた。現地の男子校だったので、男ばかりの高校生が15~16人が美術室に腰かけている。
もじゃもじゃ髪の美術の先生が、生徒ひとりひとりに「画用紙」と「パステル」を配る。その後、プラム(すもも)が配られた。僕は、プラムのデッサンかな、と思った。
すると、そのときに「Eat it. Draw the taste.」と伝えられた。みんな、プラムを食べだした。そして、パステルで好きな絵を画用紙に描き出したのだ。僕は、日本の美術の授業でこんな経験は一度もなかったので、面食らった。
おそるおそるプラムを食べて、種のまわりの酸っぱさ、香り、色味、空気の色、空の色、教室の匂い、生徒ひとりひとりの表情、パステルをこする音、すべてが30年経った今も鮮明に覚えている。
僕は素敵な世界に飛び込んだような気がした。数学と物理が好きで自分は理系人間と思って過ごしていた僕は、この日を境に、アートの世界に引き込まれていった。僕はせっかくの留学の1年なのだから今しかできないことをしようと思って、選択科目を日本ではできないものに変えることにした。
選択科目は、「Art」「Graphics」「Design&Technology」「Architecture」。今考えたら、よくここまで絞ったな、と思う。毎日学校に行くのが楽しかった。1日中、絵を描いていた日もあった。僕は将来、画家になるか、デザイナー、建築家になるか、そう思いながら「絵」を描きまくった。
ここでの経験は、いつも新しいの連続だった。そして、当たり前と思っていたことが、違う国や違う文化からすると当たり前ではないことを実体験で感じることができた。僕は15歳での1年留学で、新しい自分に出会えたのだ。
新しいことをはじめるには勇気がいる。けれども、この頃から新しいことをすることがどんどん好きになった。博報堂に入社して、セレンディピティという言葉も教えていただき、このワクワクする感じはいつになっても大切だと思う。
大学と社会人になってからも絵を描き続けた。
大学に通いながら、別にデザインスクールにも通った。無料で美術のことを学ぶために、三鷹市にある「河合塾美術研究所」でバイトもした。僕はこっそり、デッサンや油絵の教室の授業にもぐりこませてもらったりした。
社会人になってからは、絵本の学校に通った。子どもが生まれたら自分が描いた絵本を読ませようと思っていた。全部で3つの絵本をつくった。そのときは、自分の中で最高の作品と思っていたけれど、今あらためて見たら、なんか説教くさかったり、なにかの影響を受けてて既視感があったり。。。けれども、その作品を創っているとき、絵を描いているときは楽しかった。
十数年前、今の家に引っ越したときに、僕は会社を辞めて起業しようと思った。そのときに描いた絵は、家の廊下にかざってある。そのときは、タイトルとか別につけていなかったが、最近、SNSでその写真をアップしたら、親父がコメントで褒めてくれた。
ウェルビーイングってこういうことだと改めて感じた。何か新しいことをはじめて、新しいことに出会うこともウェルビーイングだし、人と人の中に、自分が存在していて、認めてもらったり、声をかけてもらったりもウェルビーイングだ。
最近は、全然、絵を描いていない。もっと楽しいものを見つけたのだ。
僕の今の夢は、「ウェルビーイング産業を創造すること」だ。ひとりひとりのウェルビーイングは違う。その日その日でも、考え方や感じ方が変わる。自分と向き合い、他者と向き合い、自然と向き合う。自分の中で居心地のいい場所をみつける。それは意識を持てば、誰でもできる。そんなウェルビーイングな社会が生んでいきたい。
これからも、自分の内なる想い「アスピレーション」を外に発信していこうと思う。
堂上 研 Wellulu 編集部プロデューサー