心の中で生きている。
今日は、会社の先輩の13回忌として、思い出を語る会に参加した。僕の昔のチームの当時の部長の奥さまだ。奥さまは、同じ会社の別の部門の方だったので、直接お仕事をご一緒したことはなかった。
ただ、今の若い人たちからしたら信じられないかもしれないが、部署で慰安旅行があったり、花見があったりした。しかも、家族ぐるみで行ったりしたものだ。僕の所属していた部は、仕事の上ではとてもハードなところもたくさんあったが、すごく仲が良いチームだった。今考えると、朝の2時くらいまで働いて、そのまま残業飯といって飲みに行ったり、週末にもみんなで会っていたくらいだ。
これは部長の人柄が大きかったように感じる。部のメンバーを家族のように接してくれていた。そして、部の中に、こういった企画を率先してやってくれる人がいた。そして、部長の亡き奥さまの人柄が大きいように感じる。思い出の中で「向日葵」のような人と言われていた。
チームで仕事をするときに、必ずいて欲しい「太陽のような明るい人」。
僕にとって、亡き奥さまのイメージは、まさにそういう人だった。そして「気くばり」「思いやり」の人だった。自分よりも仕事や他者の幸せを願う。何にでも一生懸命取り組んでいるので、まわりをどんどん巻き込んでいく。自分がつらいときも、まわりに笑顔で接してくれていた。
彼女は、僕らの心の中で生きている。
亡くなってから12年経った今も、すぐそこにいて「お腹すいていない? パン買ってきたからみんな食べて。」と言ってきたように感じる時間を過ごした。
家族というコミュニティ。チームというコミュニティ。
ウェルビーイングの探求をしていたら、「分人コミュニティ」の中の居心地の良さというところにいきついた。
平野啓一郎さんの「私とは何かーー「個人」から「分人」へ」(講談社現代新書)の中で出てきた「分人」のことばをお借りして「分人コミュニティ」という造語をつくらせていただいた。自分の居心地の良いコミュニティを、自分の中で分人としてそれぞれのコミュニティに属していくイメージである。
家族という分人コミュニティが最小単位かもしれない。家族の中の分人は、僕であれば「いい親父でありたい」と思う気持ちで子どもたちと接しているし、妻や子どもたちのうれしいことはいっしょに喜び、悲しいことはいっしょに悲しむ。
学校にいるときは、学校の分人コミュニティだし、会社に入ると、その組織のチームという分人コミュニティが生まれる。それぞれが自分の中の分人として、そのコミュニティで自分と向き合い、他者と向き合う。
僕は、今の会社に入って、いいチームに配属してもらった。それこそ、家族のコミュニティのような近さと、仕事のチームのコミュニティにあるそれぞれの役割があった。今日、彼女の思い出を語る会で、同窓会のような感じで、懐かしい元チームメンバーと久しぶりにお会いして、居心地の良いコミュニティだったと、あらためて感じた。
小さなつながりの中でのコミュニティを、いくつ持っているかでウェルビーイングな生活が変わってくるように思う。
僕の小さなつながりの中の居心地よいコミュニティは・・・
・家族というコミュニティ
・子どものサッカーチームのコミュニティ
・大学のときの寮生活をしたときのコミュニティ
・会社の中でのチームのコミュニティ
・新規事業界隈のコミュニティ
・子どもの学校の同級生の親とのコミュニティ
と、挙げていったら意外と狭いところで生活していることに気が付いた。もっと居心地よいコミュニティを拡げたい。
今日は、思い出を語る会の13回忌の集いに行けて良かった。彼女の笑顔は、その人を中心に、自然と人が集まってくる。「そんな人になりたい。」そう思う日だった。
今日は、あらゆるところで祭りや花火大会が行われている。こういう場にもたくさんのコミュニティが笑顔で参加している。僕は、家でひとり飯。
富士山登山まであと2日。体重は、79.2㎏。
堂上 研 Wellulu 編集部プロデューサー