谷川俊太郎さんの詩
優しい「ことば」に出会い、なんど救われただろうか。谷川さんの「詩」は、なんどもなんども、僕に「生きる力」をくださった。「人間は人生で3度だけ死にたくなる」ことがあると信じている頃の中学生の自分を思い出す。自分の命を絶ちたくなるくらい「生きる」ことをあきらめたくなることがある。そんなときに、谷川さんの詩に出会うと「死」より「生」に興味を持って、再び生きる勇気をもらう。そして、同時に「死」にも興味を持ってしまう。そんな繰り返す時間があった。
立ち止まる勇気をくれたのも谷川さんだ。がむしゃらに生きていることが格好良いと思っていた頃に、「空を眺める」時間の大切さを教えてくれた。空を眺めていると、空がなんでも包んでくれて、「気にしなくて良いよ」「生き急ぐなよ」と語りかけてくれる。そして、もう一度僕は大きな深呼吸をして、再び歩き出す。ゆっくり歩きだす。
自分と向き合う時間が欲しくなったときも、谷川さんの詩をひらいた。大学生のころ、僕は谷川さんに影響を受けて、毎日「詩」を書いていた。その「詩」は、いつも「自分と対話」していた。そして、「詩」を書くと、その「ことば」は僕をいつも癒してくれた。ある日、書き綴った自分の詩を束ねて、自分なりの「詩集」のようにしてタイトルをつけた。そのタイトルは、「私は私。」
30年ぶりに、そのときに書いた「詩集」を引っ張り出してきて読む。僕は、今も30年前も同じことを考えて生きている。「ウェルビーイング」というテーマでWelluluを立ち上げたが、カタカナが増えたくらいで、基本は「生きる」をずっと追いかけていることが分かる。「人間は、なぜ生きるのか?」そんな問いをずっと追いかけ続けている。
生きることは、自分と向き合うこと。
生きることは、誰かと話すこと。
生きることは、つながること。
生きることは、自然と一体となること。
生きることは、宇宙につながること。
そんな「生きる」を追いかけてきた。谷川さんには「感謝」しかない。「ありがとう」という言葉は、人を笑顔にする。日本の心「慮る」ことで、相手の立場にたって、生きていくと、たくさんの「ありがとう」が生まれる。谷川さん、たくさんの「ありがとう」をありがとうございます。
株式会社ECOTONE発足から1か月。
僕は、新会社発足から1か月、このブログを更新する余裕も持てずに、空を眺める時間も持てずに、周りの景色を見る時間も持てずに走り続けている。けれども、毎朝の「習慣」は続けている。まず、朝起きたら、神棚に手を合わせて「お礼」を伝え、家族の笑顔をお願いし、太陽の光を感じながら、深い深呼吸をする。4秒で吸って、4秒止めて、7秒で吐く。これを3回繰り返す。そして、ゆっくりと湯船に入って、もう一度深呼吸をする。
ウェルビーイング共創社会をつくる。そんなプラットフォームに、誰もが「何それ?」と尋ねてくる。そもそも、「ウェルビーイングってなんなの?」というところからはじめなくてはならない。最近、よく聞くようになったと言うが、まだまだ「何それ?」「それ、儲かるの?」「それ、食べられるの?」状態である。
様々な形の「生きる」をつながりの中で見出すことをやっているようなものだろう。谷川さんに「ウェルビーイング」というカタカナを日本語にしたら、どんな日本語を思いつきますか、とお尋ねしたかった。「健幸」でも、「幸共」でも違う。「生きる。」でいいんじゃないか?と言ってくれそうな気がした。そこに、「共に」という自然界の生物たちが「共に生きる状態」をウェルビーイングと呼びたくなった。
ECOTONE社は、「生きるをつなげる」ことで、新たな産業を創出していくことを考えている。それは、「働くは生きること」であり、「睡眠は生きること」であり、「死と向き合うこと」でもある。対話を通して、多様な生き方を感じながら、自分なりの生きることをビジネスにしていく集団になっていきたい。だからこそ、「Well-Working」「Well-Sleeping」「Well-Dying」などの社会を「Co-Creation」(共創)の中から生み出していきたい。
そして、僕らがこれから紡ぐ「ことば」が、ひとりでも多くの人を「ウェルビーイングな生活」に導く土壌になれば、こんなうれしいことはない。Welluluは、これからもたくさんの出会いを通して、「生きる」を紡いでいくことを、11月13日の谷川さんの命日に決意する。そして、この日は、11年前に命を落とした僕の高校のときの大親友だった男の誕生日でもある。昨日は、久しぶりに高校のときの友だちと会った。過去を振り返っても、何も生まれないのは分かっているが、「今を生きる」ためにも、過去に歩んだ「一歩」をもう一度思い起こしたい。
堂上 研 Wellulu 編集部プロデューサー