ホストファミリーが来日
1月に入ってから、僕が高校1年のときに留学したニュージーランドのホストファミリーから連絡が入った。
今、夏休みで、日本の白馬でスキーをしているので、東京に行ったとき会えるか?
僕は、もちろん喜んで!と返して、昨日ホストシスターの家族と渋谷で楽しい時間を過ごした。
僕がAFSという交換留学機関を通して、1年交換留学したのは1992年。早く海外に行きたいと思っていたので、南半球を第一志望にした。(1月末はじまり)
ホームステイさせて頂いた家には、4人の子どもがいる大家族だった。僕と同い年だった男の子、3歳下の女の子、留学した頃小学3年くらいの弟、4歳の妹。僕の英語の先生は、4歳の妹だった。
とても素敵な家族で、僕はホストファミリーにいつもたくさんの愛情を注いで頂いた。
31年前に、日本から来た留学生をボランティアで1年一緒に家族として迎えてくれる。大人になってあらためて感じるのだが、僕にそんな余裕はない。自分の子どもたちとの時間だけでもいっぱいだ。
僕はニュージーランドの交換留学を通して、たくさんの気づきと学びがあった。そして、ホストファミリーは30年以上経っても、僕らは交流できている。こんな素晴らしい出会いはない。
今回は、3歳下のホストシスターが、家族でスキーをしに来て会った。僕は14年前に、彼女の結婚式に参加するためにニュージーランドに家族で行った。日本で行われたラグビーワールドカップのあった2019年にも来日して、一緒にご飯を食べた。こういう交流もSNSが普及したおかげだ。
ニュージーランドは、コロナへの対策が素早かったことと、国民のウェルビーイングな生活に向けた政策が有名だったりするが、僕自身がウェルビーイングをベースに産業づくりをしたいと思った原点は、15歳のときのニュージーランドへの留学かもしれない。
好きの選択肢と時間の考え方
彼女は、僕と同じ3人の子どもがいて、何度も僕の子どもたちとも交流している。考えれば、異国のいとこに当たる感じだ。
今回は、僕の長女がカナダ留学中で、長男が中学受験の塾、次男がサッカーの試合で会えず、僕だけが会いにいった。本当はこういう機会に異国のいとこたちと会って欲しい。
僕は、カナダに留学中の娘に電話を繋いで、日本に遊びに来ているいとこたちと話してもらった。「いつか、ニュージーランドで会おうね」という話をしながら、こうやってすぐに繋がれるのも、僕の留学時代には考えられなかったことだ。
僕は、彼女たちに渋谷スカイから、東京を見てほしいと思って、渋谷スクランブルスクエアの45階にある渋谷スカイに案内した。
この日はあいにくの雨空で屋上には出られなかったが、東京の街を一望できる景色は圧巻だった。
そのあと、原宿に行きたいという話になり歩いて向かった。渋谷も原宿もたくさんの外国人観光客でいっぱいだ。円安の日本は、めちゃくちゃ魅力的にうつっているらしい。
彼女たちと、日本の教育とニュージーランドの教育について話をした。僕が留学で滞在したときもそうだったが、「好きの選択肢」と「時間の考え方」に大きな違いがあると思った。
「好きの選択肢」で言うと、授業などのクラスの選定やスポーツなど、自分の意志でたくさん体験できる環境にある。
例えば、僕が留学したときは、5つの教科を選べた。好きな「ART」などを中心に選んだ。そして、冬はサッカー、夏は水球などスポーツも普通に2-4個掛け持ちでやっていた。
日本では、サッカーをやっていたら、サッカーばっかりだし、勉強においても必須科目が多すぎて選べない。この辺は、もっとリベラルアーツ的視点で、あらゆるものに好奇心を持って体験できる環境が欲しいと思った。
夏休みとか、休みの使い方や、平日17:00以降の時間の使い方、考え方も、家族と一緒にいるという感じだ。
これも僕としては、カルチャーショックだったのだが、ホストファーザーが、毎晩18:00にはキッチンで料理を一緒にやって、家族でご飯を食べている。時間に何かしら「余白」をもって生活しているのだ。
これは、人間らしい生き方って、こういうことだなあ、と感じたのを覚えている。
僕は、ウェルビーイングの探究は「open」と「respcet」が重要だと思っている。ホストファミリーと久しぶりに会って、このウェルビーイングの原体験は、ニュージーランドの留学でつくられたように感じる。
もっといろいろなつながりの中で、ウェルビーイングな生活をしている人たちに会って、自分にとってのウェルビーイングがどうあるとワクワクするか考えていこう。そのためには、自分の足で出向いて、たくさんの人と出会い、語り、発見していく以外に方法はない。
堂上 研 Wellulu 編集部プロデューサー