いつもの100倍の時間をかけて食べる。
金曜日の夜、僕はgivで出会ったももえさんにお誘いを頂いて、食べる瞑想ZenEatingの体験に行かせて頂いた。
清澄庭園 涼亭(りょうてい)の日本庭園の厳粛な場所にはじめて行った。
清澄白河駅で降りてすぐ、庭園の中を会場の料亭まで歩く。まわりはもう真っ暗で雨が少しぱらついている。
築114年という料亭に少し早く着くと、日本庭園と池を見渡すことができる縁側で、ふぅーとため息をついた。
今日の朝は、朝からの打ち合わせ用の資料をつくるために、4:30に起きたので少し疲れが残っている。
ももえさんによるZenEatingの体験がはじまった。まず、背伸びをしたり、自分の身体と対話するところからはじまった。最近、自力整体もできていなかったので、久しぶりに身体を伸ばしたりした。肺の大きさを感じるように、肋骨に手を入れる。ゆっくり深呼吸をする。
次に、目を閉じて瞑想になった。「眉間にこわばりがあったら、ぎゅーっと目を閉じてください。口から息をはいて自然と鼻から吸ってください。」素敵な心地よい声でリードいただける。
途中、目を閉じている先に、ご飯が配られるのを音で感じる。僕の前に来てくださったときに、ゴマの香りを感じた。こうやって目を閉じているだけで、違う感覚を肌で感じる。
目を開けると、目の前に「ゴマおにぎり、ごぼうとにんじんのきんぴら、ほうれん草の胡麻和え、梅干し」があった。
手を合わせて、いただきます。と言ったあと、すぐに食べたい気持ちをおさえて、「香りをかいで、自分が食べたいものをひと口食べてみてください。でも、最初は噛まないでください。」
僕は、ほうれん草の胡麻和えを、舌の上に載せたまま、目を瞑った。こんな体験ははじめてだ。僕の日常は、早食い大食いなので、1-2回くらい噛んで飲み込む。この時間、僕は、ほうれん草の食感と胡麻の香りを身体全体で感じた。
ゆっくり噛む。噛んだときのキュッキュッという音も感じる。もう一度目を閉じて、ゆっくり噛む。ほうれん草ってこんなに甘かったのか、と驚きを感じつつ、ゆっくりゆっくり噛む。鼻には胡麻の香りがすーっと入ってくる。
やっと噛んで飲み込んで良いとなった。イメージだが、いつもの100倍の時間をかけている感覚だ。お茶も、喉の奥まですーっと入ってくるのを感じる。お茶も、生産者の顔まで思い浮かんだ
生産者のイメージを思い浮かべる。この食材の大地からの生命を感じる。つくってくれた料理人の顔を思い浮かべる。そんなゆっくり食べる時間を味わう。そして、いつものスピードで食べてとなった。それは今日が特別の日ではなく、日常から感じて欲しいとのことだ。
想像してみてください。お米が通ってきた旅路を。種から根っこがピョコンと出て、芽がピョコンと出る。
根っこが地面にグングン伸び、芽と茎と葉が太陽の方に遠慮なく伸びていく。
土と空気と太陽と雨、大いなる自然が育てた稲の様子が思い浮かぶかもしれない。作ってくれた人や運んでくれた人の支えもあっただろうか。
まるで、僕が大地から芽吹いた稲で、米一粒になった気分だ。
僕は日常、いかに食を「ながら」で食べてしまっているか気付かされた。スマホを見ながら、誰かとお話ししながら、キーボードをうちながら。ひとつひとつの食材やお皿も含めて、食への感謝と共に五感で感じながら食べる非日常は素晴らしい時間だ。
ZenEatingは、とてもクリエイティブな時間だ。僕は、いつの間にか疲れがなくなって、身体との対話を楽しんだ。
そして、隣の方と何が発見があったか話し合った。この対話もマインドフルな「聴き方」を教えてくださった。「限定しない質問」「間を歓迎」「話の途中で結論や相手の意図を用意しない」確かに聴き方もウェルビーイングには影響がある。
ZenEatingは、何を食べるか、に加えて、どう食べるかが加わった新たなエンタメにも感じた。
命いっぱい生ききる。
僕らは、大地の命いっぱい生ききった恵みを、真正面から全身で感じて、ゆっくり感じながら味わう。
僕は、この食材たちと繋がった。そして大地と繋がった。新たな生命の力を頂いた。新たな命に入れ替わった。
今日という素敵な場をつくってくれた、ももえさんとまわりのみなさんに感謝だ。
どうもありがとうございました。
堂上 研 Wellulu 編集部プロデューサー