2050年に世界人口が100億人に達すると予測されるなか、食料供給のひっ迫や環境負荷の増大などの課題が深刻化している。こうした課題を解決する手段の1つとして「細胞農業」が注目を集めている。
細胞農業のインフラ構築を目指すインテグリカルチャー株式会社の取締役COO・山田望さんと田中啓太さんに、詳しくお話を伺った。
細胞農業
生き物から採取した細胞を培養し、化粧品・食料・素材などの資源を生み出す産業。化粧品原材料や食品原材料などを生み出す。

山田 望さん
取締役 COO

田中 啓太さん
事業企画部 企画チーム プロジェクトリーダー
早稲田大学大学院先進理工学研究科修了(工学修士)。2018年、インテグリカルチャー株式会社に入社、研究と生産の現場にて細胞培養技術の開発に従事。2025年から事業企画部として、細胞農業の社会実装に向けた事業開発・広報に取り組む。
細胞から資源をつくる発想と食・環境問題へのインパクト

── 生き物から採取した細胞を育てて資源をつくる細胞農業という発想には、どんな社会課題への問題意識があったのかを教えてください。
山田さん:2050年に世界人口が100億人に達すると、食料の供給が追いつかなくなるという社会課題への強い危機感です。
とくに、タンパク質の需要と供給のバランスが崩れるプロテインクライシスは、早ければ2027年頃から深刻化すると予測されています。人口が増えて食料の需要は増えるのに対し、生産人口は減り、供給が減ってしまうため、2027年にはその分岐点に達してしまうと言われています。
── そんなに近い将来で、需要と供給のバランスが崩れてしまうんですね……。プロテインクライシスによって、どのような状況になるのか教えてください。
山田さん:食料危機というと、ある日突然何も食べられなくなるというイメージがあるかもしれません。
しかし、実際には急速な値上げによって日々の食卓が打撃を受け、問題が顕在化すると言われています。スーパーの売り場を見て、物価高を実感されている人は多いと思います。
私たちは、こうした社会課題に対して「今よりもっと豊かで持続可能な食体験を人々に届けたい」という問題意識から、細胞農業にたどり着きました。

── 細胞農業が実装されると、私たちの食卓やライフスタイルにはどんな変化が起こりますか?
山田さん:細胞農業がもたらす変化のひとつは、より身近にエシカルで柔軟な消費を選択できるようになることです。
これまでの食事や嗜好品には、少なからず環境負荷や動物に頼らなくてはなりません。細胞農業は、採取した動物の細胞を培養して原材料を生産するため、人口増加した世界でも柔軟な生産につながります。
細胞農業は徹底した衛生環境でおこなわれ、薬剤を使用しません。そのため、薬剤耐性菌のリスクが少なく、クリーンで安心安全な原材料を生産できます。
エシカル消費
人・社会・地域・環境に配慮した消費行動
水と栄養から見直すウェルビーイング:細胞を健やかに育てる技術

日本酒のように、水が細胞の個性を決める
── 実際にどのように細胞農業から製品を生み出しているのか教えてください。
田中さん:細胞を培養する培地に、細胞と栄養となる酵母エキスや水を加えて、時間をかけて培養します。段階的に栄養を加えていって、最終的には細胞性食品ができます。また、副産物として上清液と呼ばれる上澄みが出てきます。
細胞農業は「酒蔵での日本酒の醸造に近い」と言われることがあるんです。酒蔵では白米に対して、水や酵母などを加えながら仕込み、最終的に酒粕と清酒ができます。
細胞農業は、酵母エキスや水を加えて、最終的に細胞性食品と上清液ができ上がるという流れです。

── インテグリカルチャー株式会社が「生命は水からはじまる」として、培養に使う水に着目した研究を進めている理由を教えてください。
田中さん:水の成分が細胞を元気に培養するために重要という先人たちの知見から、着目しました。
日本酒の醸造のように、麹や酵母、水をを添加していく過程が近いですね。日本酒は、醸造の際に使われる水のミネラル量によって酵母の働きに変化が出ることで、できあがるお酒の風味や個性が変わるんです。
同じように細胞農業でも、地域ごとの天然水に含まれるミネラルの含有量によって、生産される細胞性食品の風味や質に個性が生まれるのではと考えています。
── 水によって細胞が個性につながるとは思いませんでした! そこから見えてきた「細胞を健康に」という発想を教えてください。
田中さん:水による細胞の違いの発見から「動物の健康、人々の健康は細胞レベルでの健康から始まる」という発想が生まれました。細胞を健やかに育てる技術が、ひいては人々のウェルビーイングに貢献すると考えています。
細胞性食品に、SFのような近未来の技術というイメージを持っている人もいると思います。ですが、私たちが生産する細胞性食品の大元は食品に使われている酵母エキスや、酒蔵の醸造産物、水など、従来の食品原料と同じような身近な素材が細胞の栄養源になっているんです。
細胞性食品に対してもっと身近なイメージを持ってもらいたいと考え、「生命は水からはじまる」「細胞を健康に」をコンセプトとして打ち出しています。
食品原料で作られた培地が実現する製品の安心・安全

── 食品原料からなる培地「I-MEM(アイメム)」を開発された背景を教えてください。
田中さん:従来の培地(細胞を培養する必要な栄養素をふくむ液体)は、研究用途のものしかなく、食品に使用できるものがありませんでした。そんな背景から、まずは食品原料のみを使った培地「I-MEM」の開発に取り組みました。
また、細胞を育てるために必要なアミノ酸やビタミンなどの原料調達にかかる環境コストも課題でした。
私たちはその環境コストを下げるために、酵母エキスといった一般的な原料や、醸造産物などの食品産業のさまざまな未利用資源を栄養源として活用しています。現在も、環境コストをより下げるために「I-MEM」の改良を続けています。
未利用資源とは
規格外製品や加工副産物など市場に流通せず、廃棄や放置されていた資源
── 「I-MEM」の素材を食べられるものに限定したのは、なぜですか?
田中さん:「安心して食べてもらいたい、だからこそ安全な方法で生産したい」という思いから、培地を食べられるもので作ることを決めました。ベースとなる培地自体に安全なイメージを持ってもらうことが、生活者の安心感につながると考えています。
この食べられる培地の技術を応用すれば、私たちの生活に高い安全性と安心感をもたらせると思います。
── 細胞農業によって、目指していきたい未来を教えてください。
田中さん:私たちが目指すのは、細胞農業の技術を使ってパーソナライズされた製品を誰もが生産できる未来です。
将来、細胞農業の技術で生産されたものであれば、「どのように作られていて、何が入っているのか」を消費者目線で透明性をつくれるように努力を続けていきます。一人ひとりが、口にするものの素材から製造過程まですべてアクセスできる未来を目指したいですね。
細胞農業の技術を使えば、特定の栄養素の成分を増やすなど、個人の健康状態に合わせて調整ができます。パーソナライズした製品を自分で作り出せることは、アスリートやアレルギーを持つ人など、特定のニーズを持つ人々から求められると考えています。
食だけにとどまらない「細胞から生まれる資源」の展開

── 食以外の領域で挑戦されているプロダクト・素材づくりを教えてください。
山田さん:細胞農業技術を活用した独自性・革新性のある化粧品が既に販売され、ご好評をいただいています。さらに細胞農業技術を発展させれば、動物由来の毛皮なども生み出せます。
動物に頼らずとも、動物由来の素材が活用できるんです。具体的な例としては、化粧筆や毛皮、車のシート、さらにはプラスチックの代替品となるような樹脂などへの応用を考えています。
私たちが挑戦しているのは、より生物に近いものを細胞培養から生み出すことで、化学繊維や工業的なものではなしえなかった機能を持つプロダクトを生み出すことです。生活者がより幸福で健やかな生活を送るための選択肢を増やすことができればと考えています。

── 生活者の目線で考えたとき、細胞農業のメリットはなんですか?
田中さん:細胞由来の資源は、環境負荷の低減とエシカル消費を両立できる点が最大のメリットです。
動物由来素材はエシカル面で消費を避ける世界的動きがある一方、代替製品は石油化学品由来で環境蓄積の課題を抱える場合があります。現時点では、これらを包括的に解決する手段はまだ見出されていません。
たとえば、近年問題となっているマイクロプラスチックは、化学製品ならではの問題です。動物由来の自然の素材であれば、使用後に自然に分解されることが期待できます。
細胞培養の技術を生かせば、環境負荷をかけない廃棄が可能である動物由来の製品を、動物を犠牲にせずに生み出すことができるんです。
マイクロプラスチック
5ミリメートル未満のプラスチックごみ
── 細胞由来の資源は、環境負荷の軽減やエシカル消費につながるんですね!一方で、エネルギーやコストなどの課題はありますか?
田中さん:現時点での課題は、エネルギー消費量が多くなってしまうことです。現在は街にあるお弁当屋さんくらいの規模で生産しているので、より環境負荷を下げるため、工場規模にまでスケールアップできるよう、技術開発に取り組んでいます。
ですが、生産規模が大きくなったとしても、機械の電力消費量が大きくなってしまいます。環境負荷の面を考慮すると、長期的には再生可能エネルギーとの共存も実現すべきと考えます。
これらの課題を解決するために、私たちは生産の上流から下流までのコストを把握するライフサイクルアセスメントをおこなっています。エンジニアリング企業との協業を通じて、技術的な課題を克服し、持続可能な生産体制の確立を目指しています。
みんなが使える細胞農業をめざして:オープンイノベーションと社会へのひらき方

── インテグリカルチャー株式会社が掲げる「細胞農業がインフラとして根づいた社会」とはどんな社会ですか?
田中さん:私たちが目指すのは、細胞を育てる技術が皆さんの手元に届いている社会です。現在は、大学や企業の研究開発を技術的な側面から支援していますが、今後は酒蔵などさまざまな事業者さんとのコラボレーションを進め、より多くの企業が生産者になってもらいたいと考えています。
さらにその先は、一般の人々にも生産の担い手になってほしいですね。炊飯器が一家に一台あるように、各家庭に細胞を育てる小型の装置が普及し、自分専用の食品や化粧品を生産できる未来もあるかもしれません。
大量生産された食品を消費するのではなく、自分に合うものを自分で作るという未来にしたいんです。細胞農業がインフラになることで、自分にあった生産と消費が実現できれば、現在よりも広い範囲に普及ができるようになると思います。
── 協業によって、どんなプロジェクトが生まれているのか教えてください。
田中さん:現在、日本各地でフードテックタウンやバイオコミュニティの活動が盛んになっています。さまざまな技術を使って、地域独特の産業を発展させて、地域自体を盛り上げていこうという考えです。
私たちも、自治体主導で作られたバイオコミュニティに参画しています。全国に細胞農業を普及させ、その土地ならではの水や産業資源を活かした独自の製品を生み出し、地域ごとの消費を楽しむ体験を提供していきたいです。
フードテックタウン
食とテクノロジーを融合させたフードテックの産業拠点
バイオコミュニティ
地球への負荷が少ない方法で経済成長を実現するために形成されるコミュニティ
── 細胞農業は、生活者にとってはまだ「新しくて少し難しそう」なテーマでもあります。今後どのように消費者との接点をつくっていきたいですか?
山田さん:細胞農業を身近なものにするために、情報発信を積極的におこなっていきたいです。さまざまな企業に参画していただき、その企業からのお声を通じて、細胞農業の認知度を上げていくことも重要だと考えています。
何よりも大切にしたいのは、プロダクトを多くの人に体感してもらい、それを通して対話する場を設けることです。細胞農業から商品化した化粧品を、実際に触れてもらう場所を作ることも計画しています。
近未来の技術ではなく、人と人がつながり、地域の産業に根ざした素材や水を活用する技術であること、生産と消費の可能性を拡大するものとして認識してもらいたいです。
── 細胞農業が、食料危機や環境負荷の増大などの社会課題を解決し、さらに私たちの生活にパーソナライズされた安心安全な選択肢をもたらす技術であることがわかりました。地域に根ざした生産ができることも興味深いです。本日は素晴らしい話をありがとうございました!
2005年慶應義塾大学経済学部卒業後、三菱商事に入社。食品産業関連の管理業務を皮切りに、主計部で税務・会計の専門性を磨く。経理財務子会社では経営企画や事業部GMを歴任し、インドネシアの天然ガス事業ではVP Financeとして資金調達、予決算、リスク管理、監査・税務対応を担当。
公式HP:https://integriculture.com/