
日本語には「横串を通す」という言い回しがある。横に並んだ魚に串を打つように、縦割りで作られた組織や部門を横方向に関連付け、連携していくことを意味する表現だ。
NTTグループで20年以上、新規事業の創出に携わった経歴を持つ伊能美和子(いよく・みわこ)さんは、企業内外の“横串を通す”ことでイノベーションが生まれると提言し、自ら「ヨコグシスト®︎」を名乗って活動をしている。
今回は、様々な上場企業の社外取締役、そして株式会社Yokogushistの代表取締役を務める伊能さんに、「ヨコグシスト®︎」の役割と原点、未来の在り方について、Wellulu編集長の堂上研が話を伺った。

伊能 美和子さん
ヨコグシスト®︎/株式会社Yokogushist代表取締役

堂上 研さん
株式会社ECOTONE 代表取締役社長/Wellulu 編集長
1999年に博報堂へ入社後、新規事業開発におけるビジネスデザインディレクターや経団連タスクフォース委員、Better Co-Beingプロジェクトファウンダーなどを歴任。2023年、Wellulu立ち上げに伴い編集長に就任。2024年10月、株式会社ECOTONEを立ち上げる。
https://ecotone.co.jp/
50代で初めての転職を経験。コロナ禍で気づいた自身の本当の価値
堂上:本日はよろしくお願いいたします! まずは、伊能さんの経歴についてお聞かせください。NTTグループで新規事業の開発に携わってきて、どのように現在の活動へとつながっていくのでしょうか?
伊能:よろしくお願いいたします。NTTグループで30年以上働いていて、2015年からはドコモgaccoというMOOC(大規模オープンオンライン講座)サービスを手がける会社で代表取締役を務めていました。でも、役職定年を迎えて、辞任することになったんです。
堂上:初代の社長ですよね。企業内起業家として、ご自身で立ち上げられたサービスだったのでしょうか?
伊能:そうです。これから、事業を大きくしていくぞというタイミングでの役職定年だったので、「もう少し続けたかったなぁ」というのが本音でしたね。
堂上:そうだったんですね!
伊能:実際に交渉もしたのですが、認めてもらえず、後進に譲るように諭されたんです。そこから、ドコモの子会社であるタワーレコードに代表取締役副社長として出向しました。
タワーレコードでは、ドコモとのシナジーを生み出すという役割を任されたのですが、音楽・エンターテインメント業界を担う人たちのDXをめざした教育プログラム提供など、さまざまな取り組みはしましたが、結果はあまり芳しくない2年間でした。
そこで気づいたのは、ここでは私の“信頼貯金”が足りていないんだなということでしたね。
堂上:結局、事業を動かすのは人であり、人を動かすのは信頼ということですね。
伊能:そうなんです。NTTで新規事業を20年以上続けてこれたのも、私自身に信頼の貯金が貯まっていたからだと思っています。そこから地方の子会社への再出向の話もあったのですが、2019年の夏から人生で初めての転職活動をすることを決めました。
堂上:地方の子会社だと、新規事業の立ち上げは難しそうなイメージがあります。最終的にどこに転職を決めたんですか?
伊能:2020年1月、東京電力ベンチャーズに入社しました。子会社のTEPCOライフサービス株式会社で、いわゆるスマートライフ事業の立ち上げを任されたんです。
堂上:伊能さんでも、セカンドキャリアに悩んだ経験があるんですね。
伊能:実は、赤坂にある「スナックひきだし」という店で時々ママをやっているんですが、訪れる人たちにもセカンドキャリアに悩んでいる人が本当に多くいらっしゃいます。そこで気づいたのは、「セカンドキャリアの名刺は、会社が作ってくれない」ということ。自分が何者なのか、肩書やジャンルを新しく創って、タグをつけないといけないと思いました。
堂上:それが、「ヨコグシスト」という肩書につながるんですね!
伊能:最初のきっかけは、転職した年の2020年です。世の中はコロナ禍で急速にフルリモートが普及していきましたよね。そのときに「いままで自分はどんなことをやってきたんだろう」と、棚卸しをする時間が作れるようになりました。
当時流行していた音声SNSで、各社で新規事業の立ち上げを担っている人たちの話を聞いて、若い人たちの悩みを知り、横のつながりさえあれば、私からアドバイスできることは多いのではないかとも思うようになったんです。
堂上:環境が変わって、自分の価値と対峙されたわけですね。
伊能:気づきを与えてくれる人との出会いは大きかったですね。
あるコミュニティで紹介していただいた本の中から知ったのは、ハーバード・ビジネススクールで経営学を教えるタッシュマン教授が1977年に論文発表して広まった「組織や部門の境界を超え、連結する人=バウンダリー・スパナー(Boundary Spanner)」という概念でした。そして「バウンダリー・スパナ―こそが新規事業の最初の担い手である」ということ。
改めて、私がやってきたことと照らし合わせると、まさにバウンダリー・スパニングをしてきていたんですね。つまり組織や部門を越境しながら、橋渡しすること。私も子会社への出向を経験して、さまざまな越境をしながらコミュニティを広げ、異なる属性の方々であっても共通してめざせるゴールを設定しながら事業創造をしてきました。
堂上:女性は、仕事のほかにもいろいろなコミュニティを持つ方が多いですよね。
伊能:そうなんです。私自身は母の介護を通して介護関係のコミュニティと接点を持ちました。仕事をしているだけでは出会う機会がない人たちとコミュニケーションを取る術を、越境しながら身につけていたんだと気づきました。越境しているからこそ、「新結合」するためのさまざまなパーツを持っている。「新結合」が生まれると、新しい事業のタネになるんです。
堂上:ただ、バウンダリー・スパニングという言葉は、日本ではまだいまいちピンとこない人も多そうです。
伊能:そこでわかりやすい言葉を探していて、バウンダリー(境界に)・スパナ―(橋を架ける人)というのは、つまり「横串を通す人」だと思いあたり、生まれた言葉が「ヨコグシスト🄬」でした。そして、自分の活動の母体とすべく、法人として株式会社Yokogushistを立ち上げ、東京電力ベンチャーズを退職したんです。
「ヨコグシスト®︎」の資質を育んだ伊能さんの原点とは?
堂上:過去にさかのぼって、「ヨコグシスト®︎」である伊能さんが作られた理由を探っていきたいのですが、幼少期はどんな子どもだったんですか?
伊能:東京で生まれたのですが、父の仕事の都合で、小学生時代は大阪で暮らしていました。そこでもある意味“越境”していたわけです(笑)。
堂上:なるほど(笑)! 好きだったことや、熱中していたことはありましたか?
伊能:読書が好きでした。クリスチャンではありませんでしたが、小学生に上がる頃には家にあった『聖書物語』を読んで、世の中のことを少し知っていたようなマセた子どもだったかもしれません。
堂上:当時から、人とのコミュニケーションはお上手だったんでしょうか。
伊能:私の両親は、よく言い合いをしている夫婦でした。父親は几帳面な人で、母親はおっとりしているけれど頑固な一面もある人。「あれができていない、これができていない」とか、小さなことで口論が始まるわけです。両親の言い合いは、子どもとしては本当に嫌なもので、必死になって仲裁に入ってなだめていた覚えがありますね。今になって思うと、喧嘩をするほど仲がいいということだったのかもしれませんが。
堂上:それがヨコグシスト®︎の原点のひとつなのかもしれませんね。
伊能:あとは、年に1~2度、父方の親族が集まって、ホテルの一室を借りて食事会をしていたのですが、普段から会って話しているわけではないので、なかなか会話が弾みません。叔母たちと上手くコミュニケーションが取れない母を見て、私はハラハラするんです。ですので、子どもなりにみんなの顔色を伺いながら、共通の話題を振ったりしていたと思います。
堂上:子どもなりに、「この状況をなんとかしたい」という感情が溢れていたのでしょうね。わかります。僕も両親が喧嘩をしているときに、仲裁に入ったことがあったんです。父から「お前にそんなこと言われたくないわ!」と怒られて、家から追い出された記憶が蘇りました(笑)!
伊能:それはやつあたりですね(笑)。
堂上:伊能さんの原点と、越境して連結するという話を聞いて、僕の考えと共通することがありました。新規事業を立ち上げる中で必要なのは、いわゆる「おせっかいおじちゃん・おばちゃん」だと思うんです。そういう人が一人いるだけで、本当に助かりますし、場が回り出します。
伊能:まさにその通りで、ヨコグシスト®の本質だと思います。おそらく私は子どもの頃から無意識に周囲に「おせっかい」を焼いてきたんです。
場の空気の悪さとかを感じ取って、気になってしまうんですよね。逆に、この人とこの人が仲良くしたら面白いものが生まれると思うと、くっつけようと動いてしまいます。本当に、今でもずっと「おせっかいなお見合いおばちゃん」なんです(笑)。
堂上:起業家というのは、人を巻き込む力が必要だと思います。私も、そういう「おせっかいおじちゃん」になりたいと思っていますよ!
横のつながりを作る人材が正当な評価を受けられるように
堂上:伊能さんが和装を始めたのには、きっかけがあったんですか? もともと着物が好きだったのでしょうか?
伊能:若い頃はあまり興味がなかったのですが、30歳頃から母や祖母から着物を譲り受けるようになって、興味を持つようになったんです。ドコモgaccoで働き始めた頃から、目立った方がいいと考えるようになって、少しずつ仕事着を洋服から着物へと替えました。
堂上:ちなみに今日のお召し物はどういったものなんですか?
伊能:梅から藤・アイリスまで、春の花をあしらった着物です。
堂上:鮮やかな色合いで、本当に素敵です! 着物を着ることで、気持ちに変化があるのですか?
伊能:ありますよ! しかも、気持ちだけじゃない。これを言うと驚かれますが、着物を着始めて身長が1cm伸びたんです。姿勢が改善されたんでしょうね。今は、基本的に皆さんがビジネススーツやジャケットを着用されているようなオフィスシーンや、写真撮影があるような場面では着物を着るようにしています。日本の文化を世界に発信したり、国内で継承していくというのを自分のテーマにしているんです。
堂上:お話を伺いながら、改めてヨコグシスト®という存在が新規事業や企業にとっては特に必要不可欠だと感じました。ヨコグシスト®は、将来的にどうなっていくでしょうか?
伊能:私がNTTに入社した頃は、本当におおらかな時代だったと思います。新人社員の頃に、いつも同じビル内の喫茶店にいて、内線電話でいろいろな人へ「お茶飲みに来ない?」と声をかけてくれるおじさんがいました。喫茶店に行くと、人生相談に乗ってくれて、困っていることに対して「いい人がいるから紹介するよ」と、また内線をかけ出すんです。そして、そこから問題が一気に解決するという。
堂上:その人もヨコグシスト®じゃないですか!
伊能:今思うとそうなんですよね。でも、成果が見えない横のつながりを作っても、会社から評価はしてもらえないシステムになっていってしまいました。私は、横に向かってつなぐ人を意図的に各部署に配置することで、会社はより良く回っていくのではないかと考えています。
堂上:ヨコグシスト®が各コミュニティに存在したら、絶対にウェルビーイングな組織に生まれ変わりますよね。
伊能:私が現在推奨しているのは、社内外の「新結合」を促進させる「CYO(チーフヨコグシオフィサー)」の配置なんです。その役割には2つあって、社内の風通しを良くする役目と、社外の人たちとのつなぎ役です。
堂上:それは本当に面白いですね! チーフヨコグシオフィサー、浸透させていきたいです。
伊能:いろいろな会社に、横串を通す役目を担っている人というのは確かにいるんです。でも、大抵は会社から良い評価を受けていない。活動が表に伝わりにくく、裏方に近いんですよね。また必死に働いてきて、人事や総務のジェネラリスト(=スペシャリストとは違い、広範囲の知識を持つ人材)として生きてきた方の話を聞くと、「専門的な知識も持っておらず、今後の人生が不安です」とおっしゃっているわけです。こういった方々こそ、少しだけマインドを変えて、あるいはリスキリングするだけで素晴らしいヨコグシストとして企業に貢献できると思っています。
堂上:伊能さんも一時は悩みを抱えていた「セカンドキャリア」にも、ヨコグシスト®という新しい道が出来上がりますね!
10年後の自分を見据えて。後進を育てることがウェルビーイングにつながる
堂上:伊能さんにとってのヨコグシスト®の条件というのは、どんな要素があるのでしょうか?
伊能:各コミュニティの中にヨコグシストが一人ずついると考えた場合、ファシリテーターとしての能力が必要ですよね。ファシリテーターに必要不可欠なのは、問いを立てる能力だと思います。答えを作るのは生成AIも得意です。
堂上:問いを作るというのは、たしかにクリエイティビティが必要なんですよね! 問いを立てないと、AIは何も答えてくれないわけですから。
堂上:最後に、先ほどヨコグシスト®の育成を進めていきたいという話もありましたが、伊能さんがこれからの10年、20年をウェルビーイングに生きていくために、どんなことをやっていきたいですか?
伊能:今もいろいろなところに横串を通しているのですが、もっと世代を越えて、人と人をつなぎたいとは思っています。スタートアップの若い経営者と話をするのは楽しいんですよね。大企業とそういった方々をつないでいきたいというのが、ひとつあります。
10年・20年先を見据えると、もし仕事から退いたとしても「やることがある」ことが私にとってのウェルビーイングかもしれません。逆に自分にとって、一番ウェルビーイングでない状況は、「やることがない」ことではないかと(笑)。
堂上:それは僕も同じかもしれません(笑)。伊能さんは、常に新しいことを始めているイメージがあります。
伊能:確かにそうですね。10年後を想像して、「その時、こんなふうに生きていられたら、きっとウェルビーイングだろうな」と思うことを、今から少しずつ試したり準備したりしようとしているんです。
堂上:いま伊能さんが考えている「10年後、こんなふうにウェルビーイングに生きていたい」という自分とは、どんな人なのでしょうか?
伊能:私は沖縄伝統の染色技法「紅型(びんがた)」というのを10年ほど習っているのですが、最近になって「教えてください」と言われるようになったんです。
ヨコグシスト®もですが、この数年間は自分が体現する側として、世の中に伝えてきたと思っています。10年後には、そういう役割の人を育てて、教えて、増やしていけるようになっていたいですね。そのためにも、本や論文を書くなどさまざまなアプローチをして、タネを撒いていけたら、私にとってのウェルビーイングにもつながります。
堂上:本当に素敵なお話をお聞きできました! ぜひ一緒に何か新しいことをやりたいですね! 本日はありがとうございました。
国際基督教大学を卒業後、日本電信電話株式会社(NTT)に入社。NTTグループにおいて20年以上にわたり、企業内起業家(イントラプレナー)として数々の新規事業開発に携わる。日本初のMOOC(大規模オープンオンライン講座)サービスであるドコモgaccoを立ち上げ、初代代表取締役を務める。その後、タワーレコード株式会社の代表取締役副社長を経て、2019年にNTTを退職。東京電力ベンチャーズのCIOなどを務める傍ら、株式会社Yokogushistを設立。現在は複数の上場企業の社外取締役、設立に関与した大学の客員教授、一般社団法人の理事を兼任しつつ、縦割りの組織や社会に横串を通し、境界連結しながら、新結合をプロデュースするイノベーションアクセラレーター「ヨコグシスト®︎」として活躍している。趣味は沖縄伝統の染色技法「紅型(びんがた)」による作品制作。ビジネス和装実践家として、仕事着、日常着としての和装を楽しんでいる。
https://yokogushist.com/