人口増加、環境問題が叫ばれる昨今。もうすぐタンパク質の需要と供給のバランスが崩れ始める「タンパク質危機」に直面するという。はやければ2025年~2030年という試算もある。代替肉や昆虫食も出てきている中で、人は食とどのように向き合うべきなのか。
Welluluの調査では、ウェルビーイングと美味しい食事、バランスの良い食事は大いに関係している。そこで立命館大学の食マネジメント学部で食と心理学について研究する和田先生に、Wellulu編集部の堂上が話を伺った。
和田 有史さん
立命館大学 食マネジメント学部 副学部長/教授
堂上 研さん
Wellulu編集部プロデューサー
1999年に博報堂へ入社後、新規事業開発におけるビジネスデザインディレクターや経団連タスクフォース委員、Better Co-Beingプロジェクトファウンダーなどを歴任。2023年、Wellulu立ち上げに伴い編集部プロデューサーに就任。
人間に食べ物の「好き嫌い」が生まれる理由
堂上:和田先生は心理学がご専門ですが、どのような研究をされてきたのでしょうか。
和田:心理学といっても幅が広いのですが、僕は最初、視覚と聴覚がどのように脳の中で混ざるのかを実験で確かめていました。そこで分かったのですが、視覚は空間的な把握能力が高く、聴覚は時間の把握能力が高いんです。でも暗い中では視覚はあてにならないから、聴覚をより働かせる。今信頼できる情報を最大限に活かして、バランスを取りながら人間は感じ取っているのだという研究をしていました。
堂上:そこからどのように、食と繋がっていったのでしょう?
和田:大学以外で研究をしてみたいなと思った時に、食品総合研究所で高齢者が喜んで食べられる食品を開発するプロジェクトがあって、そこに参加することになりました。食事は見た目も匂いも味も大事だし、食感も大事ですよね。そういった感覚の相互作用が関わってくるので、今までの経験を活かしながら食について研究するようになりました。
堂上:僕は先生の「五味」についてのお話が興味深くて、ぜひ今日も詳しくお伺いしたいです。
和田:「甘味・うま味・苦味・酸味・塩味」の「基本五味」ですね。科学的な感覚の分類では味覚というのは「基本五味」を中心として整理されることが多いのですが、この中には辛味はないんですよ。辛味は味覚ではなく痛みだといわれていて、唐辛子を身体の傷口に当てると痛いように、痛みを口の中で感じると辛味になるといわれています。
食事というのは「基本五味」だけでなく、味や風味、食感、食文化や食事環境など、さまざまな要因が影響します。それらを人間行動の科学として繋ぐのが心理学だと考えています。
堂上:僕は何を食べても美味しいと感じることが多くて、「お前、馬鹿舌だな」といわれるのですが、好き嫌いが多い人もいますよね。小さい子どもは、しいたけやピーマンが嫌いな子が多いといわれます。こういった好き嫌いは、なぜ生まれてくるのでしょうか?
和田:生まれながらに苦味は嫌われています。また人は本来、新しいものは食べたくないんですよ。知らないものは毒性があるかもしれず、お腹を壊すかもしれないから。ただ赤ちゃんはハイハイし出して、物をつかめるようになるとなんでも口に入れるという行動特性があるようですね。このように嗜好の特性と行動の特性がせめぎあって、だんだんと好き嫌いが育っていくのです。
堂上:と言うことは、人間には本能で好き嫌いがあるわけではなく、どこからかバイアスがかかってしまっているということですか?
和田:そうですね、生まれつき好き嫌いは、甘いものは好きというように味覚に基づく物があります。匂い、食感、見た目についての好き嫌いは学習で大きく変わり、個人差や文化差がでてきます。
堂上:そうすると、自分の中でこれは自分の好きな食べ物、嫌いな食べ物、と分けてしまうんですね。
和田:食べ物かどうか? という判断もその前にありますね。僕は昆虫食の研究をしたこともあるのですが、初めて昆虫を食べた時はやっぱり「これを今から食べるのか」と嫌な感じだったんですよね。食べ物に見えないんですよ。食べてみたら美味しい時もあるのですが、やっぱり初めて食べる時は抵抗がありますよね。
堂上:昆虫食って見た目も昆虫そのままだから、形を無くしてくれたら良いのにと思います。
和田:でも秋刀魚はそのままだけど美味しそうだと思いますよね。2018年に全国でインターネット調査をした際、イナゴやセミを見て美味しそうだと思うかを尋ねると、美味しそうだと答える人は少ないのですが、イナゴやセミを食べたことがある人の中には美味しそうだと答える人もいるのですよ。イナゴだと約1,000人のうち300人ほどは食べたことがあるんです。そのうち100人ほどは美味しそうだと答えています。
堂上:面白いですね。経験も美味しそうかどうかの感覚を左右する一因なんですね。
食の好みはお腹の中にいる時から始まっている?
和田:食の学習はお腹の中にいる時から始まっているといわれていて、お母さんが食べているものを好みがちだという研究もあります。
堂上:お母さんが好き嫌いなく食べていたら、子どもも好き嫌いなく食べる傾向があるということですか?
和田:実験では、お母さんが妊娠中や授乳中に積極的に人参ジュースを飲んでいると、母乳や羊水の中に人参の匂いが混ざるから、人参の匂いが馴染んで安心感を得るようになって、人参のシリアルを好みやすいという結果が出ています。
堂上:お母さんの母乳から感じ取っているんだ。凄いですね。子どもの好き嫌いが生まれるのはなぜなのでしょう?
和田:お母さんを通じて風味へのなじみができる、ということを話しましたが、こうした食品の特徴だけでなく、周りの人の影響というのも大きいでしょう。保育園に行くとピーマンが嫌いな子が増えるといいます。それは社会的学習で、周りがピーマンが嫌だといっていると、ピーマンは“嫌いなもの”だという認識ができてしまう可能性があります。
堂上:苦いから嫌だというだけではなく、みんなが嫌だといっているから周りの環境に合わせて、嫌いになるということですね。子どもの時は苦いものが苦手で、大人になると味覚が変わって食べられるようになることもありますよね。
和田:それも学習ですね。たとえば韓国の方って、小さい頃から辛いものが食べられるわけじゃないんですよ。
堂上:もともと辛いものに強い体質なわけではないんですね?
和田:はい、小さい頃は食べられなくて、キムチを水で洗って食べさせて慣らしていくらしいです。慣れというのもあるし、大人がみんな辛いものを食べているから、それを食べられるようになりたいというモチベーションも関係していますね。苦いコーヒーを飲んでいるのがかっこいいとかと同じ感覚です。
堂上:確かに僕の息子も、僕がビールを飲んでいると興味を持って飲みたがります。大人がやっていることを真似したいというのも、食に影響するんですね。
“五感”が食に与える影響とは?
堂上:ウェルビーイングの観点から考えると、食わず嫌いせずに、とりあえずチャレンジしてみたら世界が広がるのになとも思います。食べてみたら意外と美味しかった、という経験も多いです。でもなかなかチャレンジしない人が多いのは、口に入れるものだからでしょうか。
和田:新しいものは食べたくないというのは、人間の傾向ですからね。一方で新しいものを好む「ネオフィリア」といわれる傾向を持つ人もいます。また、味覚嫌悪学習といって、1度受け付けない経験をすると、人はそれをずっと覚えているんです。マウスに、食べ物に具合が悪くなる薬を入れて一度でも接種させると、その食べ物は食べてはいけないと学習します。
堂上:たまたまその時に出された料理が少し腐っていてお腹を壊したり、料理の仕方が悪くてまずいという記憶が植え付けられたりすると、学習して食べられなくなってしまうんですね。
和田:そのほかにも、たとえばキノコは見た目が嫌いな人もいますね。一定の空間にぶつぶつが集約されていると気持ち悪いと感じる人がいるんです。それは視覚的な感覚での好き嫌いですね。色々なファクターが人に影響を与えているんです。
堂上:匂いもありますよね。僕は大阪で生まれ育ったのですが、大学で東京に出てきた時に納豆をはじめて見て、匂いが衝撃的でした。食べてみたら美味しくて大好きになったのですが、匂いで一瞬毛嫌いしそうになったのを思い出しました。
和田:海外の方は、納豆の糸をひくのを受け付けない方が多いみたいですね。あとは青いカレーライスとかよく話題になりますけれど、青いものは美味しそうに見えないといわれますよね。食べてみれば普通のカレーライスなんですけれど、青いものは不味そうに思えてしまうようです。
堂上:かき氷のシロップは全部同じなのに、色が違うと味が違うように感じるというのもありますよね。
和田:ある実験では、白ワインを赤く染めておくと、味は白ワインでも赤ワインに使うような言葉で味を表現する、というものがあります。でもそれは悪いことではないと思うんですよ。見た目で美味しそうに感じたり、味が変わったりするというのは人間の性です。五感で食品を味わうということですね。和食など洗練された食文化では見た目を美しくすることで美味しさを増しますよね。
ウェルビーイングな食の未来を考える
堂上:食べる環境ということでいうと、誰と食べるかも重要ですよね。僕らがウェルビーイングを探求している中でも、何を食べるかだけでなく、誰と食べるかがウェルビーイングに影響していると考えています。
和田:まず、人とコミュニケーションを取りながら食事をすると、色々なものに手をつけて食べやすいという傾向はあると思います。堂上さんも友人が食べていたから、納豆を食べられるようになったわけですよね。
さらに美味しさの感覚や表現が合う人と食事をしていると、気持ちが通じたような感覚にもなりやすい。これは料理人さんも同じで、お客さんの知識に応じて料理をアレンジしてだすと、それに応じてお客さんが驚き、感動してくれるということもあるそうです。
堂上:料理人も常にお客さんと対話しているのですね。面白いです。そう思うと、信頼している料理人の方が代替タンパク質を調理したら、美味しく食べられるのかもしれませんね。
和田:その通りで、僕も美味しいものを作ってもらうというのが重要だと思っています。早ければ2025年には、タンパク質の量と人口のクロスポイントがやってきます。昆虫だけでなく、「プラントベースフード(PBF:植物由来の原材料を使用した食品)」などの代替タンパク質を考えていかなければならない。その中で、お肉を我慢して嫌々代替タンパク質を食べるのではなく、美味しいものとして食卓に自然にのせていく、という観点は非常に大切です。
堂上:まず「代替肉」というから、お肉の偽物のような感覚になるんですよね。お肉に似せるのではなく、別の美味しい食べ物として位置付けられたら良いですよね。
和田:そうなんです。今その路線で、スーパーシェフたちに良いPBF素材を使って「お肉に似せるのではなく、めちゃ美味しい新しい料理を創作してほしい」という活動をしています。そうすると、かなり美味しいものが出来てきているんです。
それにプラントベースだけでなく、ジビエも良いですよね。害獣駆除の観点で、ただ殺すのではなく美味しく頂く。環境問題が改善されれば、従来の畜産業も辞める必要はありませんよね。食の選択肢が増えること、さまざまなライフスタイルや宗教に合う美味しさを増やしていくことが良いのではないでしょうか。
堂上:選択肢があるというのは、ウェルビーイングの観点からも重要ですね。我慢するのではなく、美味しいものが増えていくという未来になれば、より食を楽しむことができそうです。先生は、食の未来をどう考えていらっしゃいますか?
和田:やはり人口が増えていく中で、食糧不足と環境問題の両立は考えていかなければいけないと思います。ヨーロッパではオーガニックのビオが流行していますが、ビオにすると従来の農薬を使った農業より生産量が落ちるんです。生産量が落ちると、緑地や森を潰して畑にする必要が出てきてしまい、また環境に悪くなってしまう。
全体のバランス感や、ダイバーシティが大事だと思います。地域や宗教によっても食の好みは変わります。誰かが新しい技術を受容しないと食料が足りなくなる。自分だけでなく他者の嗜好や、信条を尊重した食品需給のバランスが成り立つと良いですよね。
堂上:他者を否定したり、比較したりすることで自分の幸福を感じる人がいますが、それは良くないですよね。自分は自分で満足できたら良いし、ダイバーシティの中で食もバランスが取れていくといいですね。最後に、和田先生ご自身が、ウェルビーイングを感じる瞬間を教えてください。
和田:僕は実験が上手くいかなかったり論文で煮詰まったりすると、どうすれば良いか悶々と考えるのですが……。研究の仲間と一緒にドライブしながらディスカッションをしていると、ふと「こうすればブレイクスルーできるんじゃない?」とひらめく瞬間があって、それは凄く楽しいですね。ドライブが好きですし、気の合う人と話しているというのも、ウェルビーイングに繋がっていると思います。
堂上:研究室ではなくて、ドライブが良いんですね。
和田:研究室でも良いのですが、研究室にいるとどうしてもPCの画面を見ながらの会話になるんですよね。車を運転していると画面は見られないので、その制約が良いひらめきに繋がっているのかもしれません。よく淡路島や、琵琶湖、奈良にドライブに出かけています。
堂上:良いですね。そうやって新しいイノベーションを生み出しながら、ウェルビーイングを感じられているのですね。本日は貴重なお話をありがとうございました。
多感覚・認知デザイン研究室を主宰。
https://www.cogdesignlab.jp/
農研機構 食品総合研究所上級研究員等を経て、2017年4月より立命館大学教授。博士(心理学)。専門官能評価士。日本基礎心理学会、日本官能評価学会理事。専門は実験心理学。”食”をモチーフに心理学、官能評価などの研究を行い、人の心のメカニズムの解明と、その知見に基づく応用技術の開発を目指している。