日本の低出生体重児の割合は、世界的にみてもかなり深刻な状況にある。
低体重となる要因はさまざま考えられるが、今回、妊婦健診の受診が少ないと低出生体重児の割合が多くなることが明らかになった。また、妊婦健診を受診する回数には、妊婦の婚姻状況、就業状況に加え、妊娠に対する気持ちや精神的健康が関連することも見えてきた。
そこで、今回は環境省が主催するエコチル調査の一環として調査を行った東京工業大学 リーダーシップ教育院/リベラルアーツ研究教育院の永岑光恵教授にお話を伺った。
永岑 光恵さん
東京工業大学リーダーシップ教育院/リベラルアーツ研究教育院/環境・社会理工学院 教授
生まれてくる命を守るには、まずは母体の健康管理が必須
──本題に入る前に、永岑教授自身はストレス研究が専門なのですよね。
永岑教授:はい。私の専門分野は、ストレス研究です。今や「ストレス」は世界の共通言語となりましたが、ストレスが私たちの心と身体に対してなんらかの影響を及ぼすメカニズムやストレスそのものの捉え方については、十分に理解されていません。だからこそ、ストレスの本質を理解し、それに対するサポートを提供するための知見を出して広めていくことが、私自身の研究活動に対するモチベーションとなっています。
──では、ストレス研究の専門家である永岑教授が本研究に取り組んだ背景を教えてください。
永岑教授:長年、あらゆる世代が直面するストレスについて見ていくうちに、妊婦さんが抱える特有のストレスに興味を抱くようになりました。なぜなら、妊婦さんのストレスはお母さんの身体的、精神的な健康を脅かすだけでなく、お腹で育つ赤ちゃんの健康状態にも影響を及ぼすことがわかっているからです。生まれてくる命を守るためには、お母さんのストレスを軽減する方法を探る必要があるのではないか、という着眼点から、この研究に着手しました。
──たしかに「自分の大切なものが脅かされる」「生活環境が変わる」というストレス発生の条件と、妊婦さんが置かれる環境は完全に一致しますね。
永岑教授:そうなのです。自分一人の身体から、もう一つの命を宿した身体になるわけですからね。身体的および精神的な変化が非常に大きく、妊娠前に行っていたことなどができなくなったりします。それに伴って生活環境も変えていく必要が出てきます。こう考えていくと、妊婦さんが直面するストレスはやはり特有であり、対処のプロセスが必要だと考えて研究に至りました。
「痩せ志向」が低出生体重に影響を与える可能性も
──研究の前提として、日本は2500g未満の低出生体重児の割合が多いことに触れています。
永岑教授:低出生体重児の割合は、経済的な背景から母体の栄養状態などが直接的にかかわってくるのですが、いわゆる先進諸国と言われるなかで、日本だけが40年に渡り低出生体重児の割合が減らず、平均出生体重が下がっているという現象が見られます。これは非常に特異的です。また、OECD(経済協力開発機構)諸国に限ってみても、日本で出生される子どもの約9%が低出生体重であるという数字も出ています。いずれにしても、高い割合であることがわかります。
──どうして、日本はそのような状況にあるのでしょうか。
永岑教授:医療の進化と経済的な面でも好条件でありながら、なぜ低出生体重児が増えているのか。これについては、さまざまな研究が行われています。飲酒や喫煙なども要因として挙げられますが、他国と比較したときに日本人女性の特徴として挙げられるのが、「痩せ志向」です。これが大きく影響している可能性は、あるかもしれません。
──日本は、妊娠中の体重管理も厳しいと言われています。
永岑教授:今は指針が変わってきているのですが、厳格な体重管理が長く続いていたことも一因と考えられます。日本人の真面目さや親世代による影響もありそうです。産後の体型に対する懸念もあり、すぐに戻せる範囲で体重を管理したいという考えもその背景にはあるようです。
──そのような痩せ志向が妊娠にもたらす問題点は、どのようなものがありますか?
永岑教授:2018年にサイエンス誌の論文が、痩せ志向が妊娠中の体重増加の抑制に関連している可能性を指摘しています。そして、産後の体型回復のために、妊娠中に体重をふやさないようにしても、体重増加量が少ないからといって、産後の体重減少が早いことはないことが報告されています。
──低出生体重によるリスクは、あるのでしょうか。
永岑教授:成人期以降におけるさまざまな健康被害との関連性が認められています。具体的には、高血圧、冠動脈性疾患などの心血管疾患です。一方、未就学期や小学生時代などにおける低出生体重児のリスクについては研究が進行中で、まだ十分なデータがありません。心や身体の発達、学業成績などさまざまな面でのリスクが指摘されてはいるのですが、関連性については一貫した結果が得られていない状況です。
妊婦健診の受診回数が多いほど、低出生体重児の割合が低くなる
──今回の研究では、妊婦健診の受診回数と低出生体重児の割合の関連を見ています。まず、調査にはどのような方法を用いましたか?
永岑教授:環境省が行う「子どもの健康と環境に関する全国調査(エコチル調査)」のデータを使用して行いました。この調査では、全国15の拠点にある地域の病院やクリニックを対象に募集をかけ、妊婦さんの参加を得たうえで、質問票や血液検査などのデータを定期的に収集しています。そして、妊娠中の健診受診回数は調査員が母子手帳を元に確認してデータを収集し、これらの情報を基にして低出生体重児のリスクについての研究を行いました。
──では、研究の内容について教えていただけますでしょうか。
永岑教授:妊娠中の妊婦健診回数と、低出生体重の関連性を調査しました。全14回の妊婦健診のうち、未受診が3回、2回、1回の人達と0回の人たちとの低出生体重児の割合を比較したところ、妊婦健診に行かない回数が多いほど、低出生体重の割合が高まるという傾向が見られました。
──妊婦さんに対する質問表を用いた調査の結果は、もう一つのグラフでしょうか。
永岑教授:はい。妊婦健診の受診率に影響を与える要因を分析したのが、こちらのグラフです。妊娠中にパートナーとの離婚や死別など、精神的な負担がある場合、あるいは経済的なサポートが不足している場合に妊婦健診を受診しにくい傾向が見られます。一方、就業している方のほうが妊婦健診に行きやすいとの結果も出ています。
──ここでは精神的健康状態についても、触れられていますね。
永岑教授:妊娠の中後期に心身の健康が良好な状態にあると、妊婦健診への受診が促進される傾向にあることがわかります。対して、妊娠の前期に精神的・身体的な健康が低いと、妊婦健診を受診しない可能性が高まることもわかります。この結果から、妊娠中の妊婦健診の受診率を向上させるためには、精神的なサポート支援の充実が必要であると考えられます。
──例えば、国の施策の拡充などでしょうか。
永岑教授:妊婦健診に公的補助を増やす制度改正が行われたところ、低出生体重児の割合が高かった沖縄県での先行研究では、妊婦健診の受診回数の増加と低出生体重児割合の低下が見られました。なので、公的補助は、低出生体重児を減らす有効なひとつの施策だと考えられるかもしれません。ただ、そういった大きな取り組みのほかにも、妊婦さんの身近な人たちが積極的に声をかけたり、実際に手を貸すなどすることも重要なサポートだと考えます。
──妊婦健診に行けるように、働きかけるということですね?
永岑教授:要は、妊婦健診の受診を阻害する要因に対するサポートが必要なわけですからね。健診に行くよう促す、やらなければならないことを代行するなど、できることからしていけるといいでしょう。あわせて妊婦さん自身も、いろいろな思いを自分ひとりで抱え込まず、誰かに助けを求めることが大切です。特に、配偶者不在などの状況にあると、すべてを自分ひとりでやろうとしていたり、自分を後回しにして頑張ろうとしてしまいがちになるかもしれません。大きな変化に適応していく大切な時期ですので、ストレスケアの一貫として妊婦健診に行くことを心がけて欲しいと思います。
──では、今回の研究成果をふまえて、これから先の研究についてお聞かせください。
永岑教授:私が考える今後の研究方向として、2つの大きな方向性があります。一つは、低出生体重で生まれた後も関わりを持ち、そのリスクを軽減するプロセスを明らかにしていきたいと思います。もう一つは、低出生体重に繋がる要因として、妊娠期の過ごし方や妊娠に至るプロセスにおける妊婦さんの心理的側面が考えられます。そのため、妊娠前の段階で教育を行うことが重要と考え、学校や教育機関において妊娠期についての正しい知識を提供し、心と身体を大切にする意識を持つ環境を整えていきたいです。
──妊娠中から始めるのでは遅い、という時代がきていますね。
永岑教授:プレコンセプションケア、という妊娠前の健康づくりも注目されています。自身の健康状態やリスク因子などについての正しい知識を妊娠前からもつことが、低出生体重につながるリスクを軽減する上で有益であると考えます。研究を通じて、妊娠期の健康に関する理解を深め、低出生体重を減らすための具体的な対策を見つけ出すことが、今後の展望です。
──永岑教授、本日は貴重なお時間をありがとうございました。
Wellulu編集後期
今回は、東京工業大学 リーダーシップ教育院/リベラルアーツ研究教育院の永岑光恵教授にお話を伺いました。
世界的に見ても特異的な割合の高さである低出生体重児をめぐる日本の現状。それを変えるためには妊婦健診の受診率を高める必要があること、受診率を高めるためには妊婦の精神的なサポートや経済的な支援の充実が必要などがよくわかりました。
個人的には、お話のなかで出てきたプレコンセプションケアという妊娠前の健康づくりの存在を、初めて知りました。調べてみると妊娠を望む世代だけでなく、女性が健康でいるために必要な生活習慣を身につける大切なケアであると感じられました。これからも引き続き留意して生活に取り入れていきたいと思います。
本記事のリリース情報
「妊婦健診受診状況と低出生児割合との関係:環境省「子どもの健康と環境に関する全国調査(エコチル調査)」についてウェルビーイングメディア「Wellulu」にて取材を受けました。
専門は心理生理学。心身の健康に興味をもち、ストレスメカニズムを明らかにすべく心理生理学的研究に従事。2002年東京工業大学大学院社会理工学研究科人間行動システム専攻博士課程修了。博士(理学)。国立精神・神経センター精神保健研究所成人精神保健部(現:国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所行動医学研究部)研究員、防衛大学校人間文化学科准教授、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院/環境・社会理工学院准教授を経て、23年4月より現職。
著書に『はじめてのストレス心理学』(岩崎学術出版社)がある。