人口の高齢化率が上昇している日本において、社会課題ともなっている介護事業。介護職や介護業界に従事する人々、介護を受ける本人、そして家族にとってウェルビーイングを実現する秘訣とは何だろうか。
介護業界のためのメディア運営や人材紹介エージェントを運営する株式会社カイゴメディアの向笠元さんと、東京海上日動ベターライフサービスの在宅介護事業部担当課長の栗原庸子さんに、Wellulu編集部プロデューサーの左達也とライターの齋藤優里花が話を伺った。
介護業界の共通課題・ナレッジをメディアで共有
左:まずは、2018年に設立された株式会社カイゴメディアの事業内容について教えてください。
向笠:介護の情報を発信するメディア「ケアきょうWEB」やYouTubeチャンネル「ケアきょう【介護職のためのチャンネル】」の運営、介護職のキャリア構築のための勉強会実施、介護職の人材紹介サービスの提供を行っています。YouTubeチャンネルでは情報発信登録者数が11万人を超えるなど、多くの介護職の方々に支持していただいています。
左:向笠さんは元々コンサルティング業界のご出身ですよね。なぜそこから介護業界での事業立ち上げに至られたのでしょうか?
向笠:介護事業の会社のコンサルティングで担当させて頂くことが何度かあったのですが、どこでも職員の方の採用や定着率向上・離職率低下が課題となっていました。そこで現場の職員の皆さんにお話を伺っていると、待遇面や人間関係など共通の課題が見えてきたんです。共通課題が多いということは、ナレッジを共有する・情報を配信するメディアが1つの解決策になるのではと考えるようになりました。
左:なるほど。日々の業務に忙殺されていると、課題やナレッジの共有は後回しになりがちです。そこにカイゴメディアがあることで、知見が共有されていくわけですね。
向笠:はい。それを目指して情報発信を行っています。
左:介護職の方々は1人あたりの業務量が多いことや、業務に対する真面目な思いが強いからこそ、心理的な余裕を持ちにくいという共通課題があるように感じます。在宅介護事業に携われる栗原さんから見て、現場で日々の業務に翻弄されすぎないためにはどのようなことが重要だと考えられますか?
栗原:介護職はお客様のことを見て、色々なことに先回りして気づくことが求められますから、やるべきこと・やって差し上げたいはいくらでも出てきます。ただ介護において重要なのは、何でもかんでも全てをやることがお客様にとって良いのではなく、その方が望んでいるニーズを掴むということです。要介護認定を受けたからといって、生活の全てをヘルパーにやられたらご本人も良い気持ちはしません。生活の継続性や残存機能の活用は介護の原則であり、やりすぎないということは働く側の環境という観点でも大切です。
左:カイゴメディアの動画では、働く方々の人間関係を上手く築く秘訣を発信するなど、「働く人のウェルビーイング」を考えられているのだろうなと感じます。
向笠 働く方々の仕事が良好になり、プライベートも充実すれば、心理的安全性が向上します。それが結果的にお客様にも良い影響を与えていけるのではないかと考えています。
資格取得でキャリアアップ。働き方も多様化する介護業界
左:「働く人のウェルビーイング」を実現する上で、介護職の働き方についてはどう変化してきていますか?
向笠:給与が安いというイメージを持っている方が多いと思うのですが、実はこの10年で介護職の給与は上がっているんです。
左:そうなんですか?それは給与が上がらない職種が多い中で、とても良い変化ですね。国からの補助金というのも要因としてありますか?
向笠:はい。処遇改善の取り組みは国を挙げて行われています。また、フルタイムで長時間労働の印象を持っている方が多いかもしれませんが、働き方も多様です。例えば昼間は自分の夢を追って音楽をやりながら、夜勤だけ働くという方もいます。訪問介護であればさらに様々な時間のパターンが実現できます。
左:キャリアステップというところでは、資格の取得が大きいのでしょうか?
栗原:介護福祉士や、ケアマネージャーの資格を取得しステップアップされていく方が多いですね。介護福祉士の資格は国家資格ですから、モチベーションの1つになっています。
向笠:介護の現場職とケアマネージャーでは役割が異なるので、現場職の方がやりがいに感じる方もいらっしゃいます。現場職の方のキャリアステップはもっと作っていけると良いなと考えています。
左:現場職を続ける方は介護する方からの感謝がモチベーションになることが多いですか?
栗原:それは大きいです。ありがとうという言葉や、笑顔を見せてくださることで、その方の人生の役に立てたという思いは強いと思います。
向笠:訪問介護という観点で言うと、他人の家にあがることに抵抗感を持つ方も少なくありません。そこで我々は潜入取材をさせていただき、訪問介護のリアルな業務の様子をお届けしています。実際に映像で見てみると、意外に自分でも出来そうだなと思っていただけることが多いです。
左:確かに今まで介護職の映像というのはそこまで多くなかったですね。
向笠:ええ。人形を使ってベッドから車椅子に移動する研修動画などはあったのですが、実際に家族の反応や働いている様子を発信しているメディアは少なかったです。実際の映像となると高齢者の方が怒っている場面だったりとか、センセーショナルな部分だけが切り抜かれて取り上げられてしまうこともありました。でもそれは、穏やかな日常の中のほんの一部分です。私たちはYouTubeで、日常のリアルな実態をお届けしています。
栗原:弊社に応募に来てくださった方にもYouTubeの動画を見ていただいているのですが、とても良いイメージを持っていただけることが多いです。
左:仕事のイメージが湧かないことで尻込みしてしまう人にとっては、リアルな動画が効果的ですね。
齋藤:定着率向上・離職率低下のためにカイゴメディアが取り組まれていることはありますか?
向笠:介護施設は小規模な事業所が多いため、仕事のやり方・教え方がそれぞれ異なっていることがあり、別の介護施設に移った時に戸惑ったり、そこから職場の人間関係が悪化したりすることがあります。そこで私たちのメディアやSNSを通してナレッジの一元化、教育の促進をしていくことは重要だと考えています。
要介護者と家族の事情に柔軟に対応する
左:ウェルビーイングを研究していると、ウェルビーイングは主観的であり、ウェルビーイングを実現する要素の組み合わせは無限にあると考えています。1人1人のお客様にとって、良い介護サービスというのは異なりそうですね。
向笠:ご本人はもちろんそうなのですが、ご家族にとっても望むことが異なるのが介護の難しいところです。
左:ご家族も。確かにそうですね。それぞれの想いが異なる場合、どのように解決されていらっしゃるのでしょうか?
栗原:それこそ介護職の専門性が活かされる部分で、お客様ご本人とご家族様の間に入って橋渡しをしていきます。ご本人もご家族も、根底で望んでいることは同じはずです。それをプロの私たちがすり合わせて寄り添っていくことで、段々と皆さんが望んでいる生活に近づいていくことができます。
左:日本の文化として思っていることをなかなか口にしないというのもボトルネックになっていそうだと推察するのですが、いかがでしょうか?
栗原:そうですね。介護職は、言葉には現れない行動から思いを察するアンテナは凄く高いと思います。お客様1人1人が様々な人生を歩まれてきた方々なので、型にはめず、多様な可能性を柔軟に思考することが大切になってきます。例えば勉強会や動画などで色々な事例を知っておくことも重要だと考えています。
向笠:一言で高齢者と言っても、様々な年代の方がいらっしゃいます。介護施設でカラオケのレクリエーションをしていると、70代の方と90代の方では盛り上がる楽曲が全然違いますし(笑)。
左:そう言われてみると、確かに20歳離れていれば流行っていた楽曲も違いますし、価値観も異なって当たり前ですよね。介護される方々にとっては、そういった自分の気持ちや状況に寄り添ってくれているかどうかはとても敏感に感じ取られそうです。介護される方々がウェルビーイングに感じるポイントとはどういったところにあるのでしょうか?
栗原:介護職が入ることで、生活が楽になることは当たり前です。ただそれだけでなく、ご本人やご家族それぞれの状況も汲み取って、人生丸ごと良くなるように関わっていくことを大切にしています。
齋藤:私の祖母は認知症だったのですが、家族だけでは分からないこと、上手くいかないことも多くて最初は戸惑ってばかりでした。急に怒ってしまう祖母に、家族も「なんで怒るの?」と感情的になってしまうこともありました。その後、介護施設にお世話になるようになったら、祖母がご機嫌に過ごすことが多くなって、家族も笑顔で過ごせることが多くなった経験があります。
栗原:多くの方は介護が必要になる状況になるまで、介護に関する知識を学ばれることがほとんどありません。そのような中で急に介護する現状が訪れると、ご家族は仕事に支障が出たり、プライベートでも介護のことばかり考えて追い詰められたりしてしまうこと事も多いです。でも私たち介護のプロが入ることで介護の状況が安定していくと、ご家族もご自身の生活を取り戻せて、お気持ちも楽になっていけます。そういった良い変化が起こるということを、多くの方にもっと知っていただきたいです。
左:単なる作業をお願いするのではなく、人生を受け入れられている感覚が、介護される側もする側もお互いのウェルビーイングに繋がるのでしょうね。そのためには、家族だけで解決しようとせずに、外に助けを求めるということがポイントだと思います。
齋藤:家族の方々が介護についてもっと知っていくことも大切ですね。カイゴメディアさんでは、家族に向けた情報発信もされていますか?
向笠:はい。今YouTubeの視聴者も8割が介護職の方々ですが、残り2割は家族の方々です。今までも介護に関する知識を掲載した書籍などはあったのですが、実際に訪問介護ではどのようなことが行われているのか?入居施設はどのようなところなのか?を知る機会がありませんでした。そういった情報をYouTubeでも増やしていきたいと思っています。
介護者を中心に、1つのチームが作られていく
向笠:適切な介護サービスを提供するためには、家族のプライベートな事情も引き出さなければいけません。極端な例ですが例えばトラブルがあった時は本家のこの人ではなく分家のこの人に連絡する、など家族それぞれの事情があります。そこを把握できていないと、逆に更なるトラブルに繋がってしまいます。熟練された方々は当然それが上手いですし、そのノウハウを蓄積・共有していくことは業界全体としても大事だと思います。
左:そういった観点でも教育メディアがキーになってくるわけですね。家族の事情を引き出す役割というのは、ケアマネージャーさんが担われるのでしょうか?
向笠:ケアマネジャーさんもそうですし、日常の業務を行うヘルパーさんとの情報連携も大切です。日々の業務で気づくことをみんなで共有することで、より良いサービスを提供することができます。
左:チームでコミュニケーションを取っていくわけですね。
栗原:まさに、介護の現場はチームワークなんです。次第にご家族もチームの一員になっていけると、お互いに心地よく過ごせるようになっていきます。そうすると中心にいるお客様自身も嬉しそうにされています。
左:介護は介護する人・される人の1on1ではなく、働く人々や家族が繋がっていく共同体感覚が極めて重要ですね。その意識がまだ日本では浸透していないからこそ、家族の個人的な事情を他人にお願いするなんて、とハードルの高さを感じるのかもしれません。チームとして上手く機能していくと、働く側のストレスも変わっていくでしょうし、家族の介護に対するイメージも変わっていくのでしょう。本日お話を伺って、どうやって良いチームを作り、良い繋がりを作っていくかのノウハウを蓄積していくことが介護のウェルビーイングに欠かせないと実感しました。
向笠 元さん
株式会社カイゴメディア 代表取締役社長
栗原 庸子さん
東京海上日動ベターライフサービスの在宅介護事業部担当課長
左 達也さん
Wellulu編集部プロデューサー
齋藤 優里花さん
ライター