時間どろぼうに追いかけられる。
僕は、子どもたちに「時間」の大切さを伝えている。今しかできないことをする大切さは、時間を大切にするということにつながる。子どものときは、睡眠時間を8時間以上、常に持ってほしいと思っている。
夏休みになって、ついつい夜更かしをして、朝だらだら起きてくる生活は、体調管理をする上でもよくない。子どもたちに「早く寝なさい。」という日々が続いている。夏休みくらいいいじゃないか、という子どもの気持ちも分かるが、このリズムや習慣は重要だと思っている。
昨日の夜、時間どろぼうに追いかけられる夢を見た。仕事で17時からの麻布十番で打ち合わせがあり、16時30分に田町の会社(昔は田町に会社があった)からタクシーに乗った。普通なら20分くらいで着く。なぜか運転手さんが、こっちが近道ですよ、と言って細い道に入っていく。僕は、遅刻できないのでよろしくお願いします、と言って、PCをタクシーの中で開きながら企画書を書いている。はっと気が付いたら、17時になっていて、そこは表参道にいるのだ。僕と運転手さんは大喧嘩をしながら、時間を返してくれ、と怒鳴っている。ここで夢が覚めた。(そんな夢だ・・・)
僕は時間に追われているのだろうか?
ミヒャエル・エンデの「モモ」を高校生のときに読んだ。時間どろぼうの意味はそのときよりも、今の方が理解できる。忙しさにかまけて、じぶんの時間を失っているのだ。そして、最近、佐宗さんの「じぶん時間を生きる」を読んだ。自分はじぶん時間を生きているか、と問われた気分になって、久しぶりに「モモ」を読み返したくなった。時間どろぼうに、時間を盗られてしまっているのかもしれない。
また、高校のときに出会った映画が「いまを生きる」(原題: Dead Poets Society)1989年のアメリカ映画だ。感受性豊かな高校生のときにこういった映画に出会えて、自分の生き方や時間の過ごし方を考えるきっかけを得れたのはとても嬉しかった。
こんな夢を見るということは、最近の僕は「時間」にしばられた生活を送っていたのかもしれない。子どもたちにも、「じぶん時間」を与えてこなかったかもしれない。
娘の長期留学と共に、じぶん時間を見直す。
明日、娘は11か月のカナダ留学に出発する。高校1年生の娘は、自分の意志をもって「留学したい」と中学3年のときに決めて、ついに明日旅立つ。旅立つ前に、渋谷の街を見ようということで、渋谷スカイに行った。
東京の街を見渡して、自分たちの家を探したり、空とつながっている感じを実感したり、素敵な時間を過ごした。日本を発つ前に、娘の食べたいものを食べようということで、昨日は「そばと天ぷら」、今日は「寿司」を食べた。
僕も、高校1年の時に1年間交換留学でニュージーランドのウェリントンでホームステイした。30年前の話になるが、いまだにホストファミリーとはつながっており、最高の経験を積むことができた。
僕が留学するときよりも、娘のほうが英語もできるし、スマホがあったりと、状況は違うが「異文化に触れる」ことで、たくさんの学びは必ずある。
僕が高校で留学したことで学んだ3つの大切なこと
1: 今しかできないことを今やる大切さ
2: 相手を思いやることの大切さ
3: 当たり前なんてものは存在しないと認識する大切さ
価値観も違う、生まれ育った文化も違う、家庭環境も違う、そんな体験を15歳のときにできたことは、大きな人生の転機になったのは間違いない。
娘は何を感じ取って、何を学んで帰ってくるのだろう? とても楽しみだ。
いまを生きろ。
いまを楽しめ。
君ならできる。
家族みんな、あなたを応援している。ぜひ、楽しい留学生活を送ってほしい。寂しくなったり、ホームシックになったら、今はいつでも連絡を取り合える時代だ。いつでも連絡しても良い。
そして、カナダの空を見ながら思いっきり泣けば良い。日本の空とカナダの空はつながっている。今日の渋谷の空を思い出してほしい。
娘との渋谷でいっしょに過ごした時間はとても良い時間だった。自分のやりたいことをどんどんやれる環境をつくって、じぶん時間を楽しみたい。
堂上 研 Wellulu 編集部プロデューサー