あんたは、ええとこばっかり覚えてるな。
今回の大阪出張と帰省、母校への訪問、恩師との時間を経て、いかに自分の記憶が曖昧なものになっているかに気が付かされた。
僕は、子どもたちには「お父さんは、昔サッカー上手だったんやで。」「お父さんは、めっちゃ勉強できたんやで。」「お父さんは、絵がめっちゃ上手やったんやで。」と言っていた。うそをついているつもりもなく、本当にそう思っていたのだ。
昨日、アップした編集者ブログをみてくださった恩師から、「演劇部で、走れメロスしたい、言うたのは堂上くんやで。」と連絡があった。そんなはずない、と過去の記憶を遡ったが、僕の脳は、本当は「ロミオとジュリエット」か「ハムレット」とかをやってみたい、と思っていたと思い込んでいた。
「走れメロス」は、先生に言われてやったんだ。と僕の記憶は良いように書き換えられていたんだろう。後から、小学生の教科書に「走れメロス」が載っているものと知ったからこそ、僕の脳が恥ずかしがったのかもしれない。
美術の先生に渡された自画像の絵も、この編集者ブログに載せようか迷ったけれども、「あれ、こんなに下手やったかいな?」と思って、ちょっと恥ずかしかったので載せるのを躊躇した。
今日は、朝から母が「あんたの通知表、全部とってんで。」と言ってくれたので、成績も良かったという記憶を息子たちに自慢したろう、と思って開いてみたら、「あれ、そんなに成績よくないぞ。案外普通や・・・。」という具合である。
嫌な記憶もほぼ覚えていないし、普通の記憶は自分の都合の良いように書き換えられている。都合のよい脳は、僕にポジティブな生き方をするために、プログラミングしてくれているのかもしれない。
子どもたちの前で、書き換えられた記憶を話していた自分が恥ずかしかった。ウェルビーイングな生き方を模索していったら、自分にとってポジティブなものに書き換えたほうが、生き方がラクになると思ったのかもしれない。
実兄のお墓参りと亡き親友への想い
3年前に急性心肺停止で47歳の若さで亡くなった実兄のお墓参りにも行くことができた。兄は、本当に利他な人で、「なんで、いつもこんな優しいんだろう。」と思える人だった。
コロナ禍のお葬式は、家族葬で終わらせたが、兄を知っている友人は今でも、僕の両親に会いに来てくれたり、連絡をくださっている。そういうお友達がいるだけで幸せだ。
兄との記憶も多分、いろいろと書き換えられているかもしれないが、いい記憶しか残っていない。特に優しい、怒ったことがない、という記憶しかない。
兄は漫画本が好きで、ベッドの下に漫画を隠し持っていたのを、こっそり読んでいたのを覚えている。ある日、ジュースを飲みながら漫画本を盗み読みしていたら、そのジュースをこぼしてしまって、漫画本が濡れてしまった。けれども、僕は何も言えずにそのまま黙っていた。犯人は僕だと分かっていたはずなのに、兄は何も言ってこなかった。(この記憶もどこかで書き換えられているかも?)
お墓参りをして、線香に火がつかず悪戦苦闘している僕に、兄は「火なんてついてなくてええで。来てくれて、ありがとうな。」と話しかけてくれた気がした。
もう一人、僕は大好きな人を亡くしている。高校で留学した後、留年して1年下の学年にいったときに、最初に「どんちゃん、って呼んでええか?」と気さくに話しかけてくれた友人だ。
彼は、演劇部で「走れメロス」を演じたときの「舞台演出」からはじまり、主人公のひとり「無二の友人・セリヌンティウス」を演じてくれたイケメンだ。(僕は、メロス役だった)
留年した僕が、クラスに溶け込むことができたのは、彼のおかげだし、彼と過ごした時間が「高校時代の毎日が楽しいもの」へ変換できたのだ。彼は「今を楽しんで生きる天才」だった。僕の高校生活は、彼にあこがれて真似して生きていたのかもしれない。
彼は、10年前に3人の幼い子どもたちがいるのに、会社の従業員に銃殺された。僕が東京に出てから、ほぼ会えていなかったので、驚きの事件が同級生からの連絡で知った。お通夜に出させてもらったが、あまりにも唐突の事態に、そのときの記憶がほぼない。
「死んだら、終わりやろ。何してんねん。子どもら遺して、何してんねん。」涙があふれて止まらなかった記憶しかない。
僕は、彼にもう一度感謝の気持ちを伝えたい。彼の誕生日が確か11月13日だったと記憶している。秋が訪れるころ、彼の実家で、高校のときの想い出を仲間といっしょに語りたい。
兄の墓参りが終わって、昼を両親と食べてから、帰路の新幹線の中にいる。昨日は、母の手作りのお稲荷さんを9つも食べてしまった。今日のランチは、寿司をたらふく食べてしまった。美味しかったのもあるが、息子がいっぱいご飯を食べている姿を両親の前で見てほしかったのだと思う。ちょっと食べ過ぎて、今お腹いっぱいだ。(体重は少し増えているかも・・)
Think and Act Positive. ジャック・アタリ氏が言っていた言葉だ。毎日をよりよく生きるために、僕は行動し続けよう。曖昧な記憶はポジティブに変換しながら、未来を生きる。
堂上 研 Wellulu 編集部プロデューサー