近年、働き方の多様化を背景に「ウェルビーイング経営」に多くの企業の関心が集まっている。従業員が心身ともに健康で生き生きと働き続けるために、経営者にはどのような判断が求められているのだろうか。
そんな企業のウェルビーイング経営をサポートするサービスが、株式会社iCAREが提供する「Carely(ケアリィ)」だ。クラウドシステムと、産業医・専門家の知見をもとにしたコンサルティングの2つを軸に、働く人たちの健康を守る取り組みを行っている。
今回は、自身も医師として従事した経験を持つ株式会社iCARE代表取締役CEO・山田洋太さんに、日本企業が直面しているウェルビーイング経営の課題とiCARE流の従業員との向き合い方について、Wellulu編集部プロデューサーの左達也が話を伺った。
山田 洋太さん
株式会社iCARE 代表取締役CEO 産業医・労働衛生コンサルタント
左 達也さん
Wellulu 編集部プロデューサー
福岡市生まれ。九州大学経済学部卒業後、博報堂に入社。デジタル・データ専門ユニットで、全社のデジタル・データシフトを推進後、生活総研では生活者発想を広く社会に役立てる教育プログラム開発に従事。ミライの事業室では、スタートアップと協業・連携を推進するHakuhodo Alliance OneやWell-beingテーマでのビジネスを推進。Wellulu立ち上げに伴い編集部プロデューサーに就任。毎朝の筋トレとランニングで体脂肪率8〜10%の維持が自身のウェルビーイングの素。
自ら起こした行動が人を変えていく。学生時代の成功体験
左:本日はよろしくお願いいたします。Wellulu編集部 プロデューサーの左達也です。
山田:「左達也」さんですか! 素敵なお名前ですね!
左:ありがとうございます!まさか、最初に名前を褒めていただけるとは思いませんでした(笑)。
山田:私はシンプルな名前なので、羨ましいですよ(笑)。本日はよろしくお願いいたします!
左:山田さんは医師の資格を取得して、医師として働いた後に、会社経営を志されたんですよね。そこに至るまでの、山田さんの歴史をお聞かせください。まず、どのような幼少期を過ごしてきたのでしょうか。
山田:5歳から10歳頃まで父親の仕事の都合で、アメリカに住んでいて、小学5年生の2学期から日本に戻ってきました。つまり帰国子女だったんです。
左:それだと、どうしても日本人の子どもたち特有の排他的な雰囲気を感じてしまいませんでしたか?
山田:そうですね。中学・高校時代は人とあまりグループを作らないタイプでした。友人とは普通に話すのですが、特定のメンバーを作らない。「話したい時に、話したい人と話せばいい」と思っていました。
左:わかります! 私も同じタイプでした。
山田:一番困るのが、修学旅行などの班行動でした。「自由に4人グループを作って」とか言われてしまうと「どうしよう」となってしまうんです。そういう時こそ、話したことのない人と話す機会にすればいいのにと思っていましたね。
左:そうですよね。班での行動とかは、日本特有の制度でしょうね。
山田:その後、兄の影響もあり、医学部を志して金沢大学に入学しました。1~2年目までは遊んで過ごした後で、3年目のある時に「何のために医学部に入ったんだろう」と、ふと虚しさを感じたんです。そこでアメリカの医師国家資格を取ろうと、急に勉強を始めました。
左:3年生になって、いきなり猛勉強を始めたんですね。周りの友人も驚いたんじゃないですか?
山田:最初は「山田、何やってんの?」という感じでしたね。そこでまた「群れない自分」が出てきてしまって、1人でずっと勉強を続けていました。でも勉強を続けていくと、ある時から少しずつ仲間が増えていくんですよ。
左:周りにも徐々に浸透していったんですね。
山田:一緒に勉強をする仲間が少しずつ増えていくと、できることが増えていきます。「次はここを学ぼう」「こういうことをやってみよう」とアイデアが生まれていって、学生団体みたいなものができあがっていきました。
左:その学生団体では、具体的にどのようなことを行ったんですか?
山田:医学部での授業だけでは学びきれないことを中心に、「心肺蘇生について」や「感染症の対策」など、手探りで勉強会を開きました。はじめは一人のマイノリティだったことが、4年生、5年生と年次が上がるたびにマジョリティへと変わっていく。「自分一人でもムーブメントを起こすことができた」という体験は、私が経営を志す際に大きな影響があったと思います。
左:自分の行動で人が変わることが、ウェルビーイングを感じた瞬間でもあったんですね。
山田:そうですね。目標に辿り着くまで長い時間がかかっても、遠回りしてでも成し遂げたいという思いは、今でも持ち続けています。
働くひとの生活を理解して、初めて「健康」が創れると気づく
左:学生の頃の体験を経て、医師としてキャリアを積んでいく中で、起業を志したきっかけにはどのようなことがあったのですか?
山田:まず私が成し遂げたいのは、「自分が正しいと思うこと」を行うことなのだと気づきました。たとえば、当時の私が思っていたのは、飛行機の中で急病人が出た時に、医師として名乗り出られる自分でありたいということ。そのために、研修医時代から必死に勉強を続けていました。
左:自分が正しいと思うことを行えるように、常に行動できる準備をしておくということですね。
山田:そうです。他人事ではなく、自分事として捉えて行動を続けることで、初めて社会を変えることができると思います。たとえば、私が心療内科で働いていた時には、仕事を原因としたうつ病や睡眠障害で来院される人がたくさんいました。それに対して、薬ばかりを処方するような医療は「絶対に違う」と感じたんです。
左:うつ病や睡眠障害には色々な原因がある中で、根本的な治療に至らないケースも実は多いと聞きますね。
山田:働く人にとっての健康は、働く環境や企業の仕組みに大きく依存しています。その人の生活を理解した上で、寄り添うことができて、初めて「健康」をつくることができる。それが私にとって、成し遂げるべき「正しいこと」だと、その領域の専門家になることを心に決めました。そして環境や仕組みを変えるために活動を続ける中で、株式会社iCAREを立ち上げていったのです。
左:それがiCAREのパーパスにもつながっていくわけですね。
山田:iCAREが掲げるパーパスは、「働くひとの健康を世界中に創る」というものです。働くことによって、人が健康を損ねることがあってはいけないという考えが根底にあり、働く人の健康管理をサポートするサービスを展開しています。
左:それが「Carely」ですね。具体的に、どういった方法で「働くひと」の健康を支援するのでしょうか。
山田:「Carely」のサービスには、企業の健康管理業務を効率化するクラウドシステムと、専門家によるコンサルティングなどの人的サービスがあります。業務の改善・効率化で得られるデータを、産業医・保健師などの専門家との知見・ネットワークを利用して、どのように活用していくのか一緒になって考えていくのが私たちのサービスです。
ウェルビーイング経営における課題は「KPI設定」のクリエイティビティにある
左:今の日本において、ウェルビーイング経営を上手くシステム化できていない企業も多いと思います。どこに課題があると思いますか?
山田:圧倒的に課題が残っているのは、データを評価するシステム作りだと思っています。得たデータを活用するには、組織全体をどうしたいのか考えて、数値から仮説を立て、改善していくという思考が必要です。
左:人事領域にも、クリエイティブな考え方が必要になっているということですね。
山田:データを見るというのは、組織を集団として捉えるということにもつながります。その中で大切になるのは、どういう数字をKPI(重要業績評価指標)として設定するかです。
左:なるほど! KPIの設定を間違えると、問題点は見えてこないですよね。
山田:たとえば、ある企業が働く人の健康に投資するため、マラソン大会を開催することになりました。目的はあまり練り切れていなくて、「生活習慣の改善」や「他部署とのコミュニケーション」など。そこにKPIとして「参加者数」や「参加率」を設定してしまうと、結局何も分からないんです。
左:確かに、日本の企業で起こりそうな例ですね……。
山田:生活習慣病の改善が目的なら、「コレステロール値がどれくらい下がったのか」をKPIとして設定する必要がありますし、他部署とのコミュニケーションが目的なら、「何人の他部署の人と話せたのか」をパーセンテージで評価しなければならないんです。
左:iCAREが提供するサービスでは、どんな改善事例があるのでしょうか。
山田:ある企業の例ですが、コールセンターでのクレーム対応の仕事で、これまで200人だったオペレーターを400人に倍増したそうです。しかし、1年経った後に200人が退職して元の人数に。企業の人事から「どうにかなりませんか」との相談がありました。そこでデータを分析してみると、3カ月で30%が辞めていて、そこからまた3カ月で30%の人が辞めていました。
このはじめの3カ月で辞めていく人というのは、そもそも働く人側も想定外だったケースです。本人がイメージしていた働き方とは違ったという要因で、これは採用の方法を考え直すしかありません。次の3~6カ月までの間で辞めた人は、オンボーディングの失敗です。従業員が組織に馴染んでいくように、仕組みを変えることで改善できるはずです。
左:クレーム対応の仕事は、心を病んでしまって辞めていく方も多いですよね。実際にどのように改善していったのですか?
山田:クレームを受けた際に、上司に上げるエスカレーション方法やルール作りを行いました。そうすると、退職率の30%が15%に減少したのです。そこが半減すると、1年後に辞める人の数も半分になり、業務の改善につながったという事例があります。
従業員一人ひとりと向き合うことが、ウェルビーイングな会社の第一歩
左:山田さんが考える従業員の「健康」とは、どのようなものなのでしょうか?
山田:私の中で「健康」とは、生き様だと思っています。身体的な健康と、精神的な健康、そして社会的な健康の3つがあり、全てが満たされているのが健康な状態であって、私たちは「納得感」とも読んでいます。これはすなわち、生きるエネルギーがどれだけ貯まっているかだと捉えているんです。
実は私たちも、3年ほど前に事業を拡大するために多くの人を採用して、多くの人が辞めていくという経験をしました。当時は忙しさに追われながら、どう人を採用すればいいのか悩んでいた時期でした。
左:企業が大きくなっていく時に、そういうフェーズは訪れますよね。
山田:そこで考えたのは、採用する数ではなく、一人ひとりと向き合う覚悟を決めること。EX(Employee Experience=従業員体験)を徹底的に見直し、採用の手前から退職後までのデータを取り、EXが上がっていない部分を洗い出していきました。
左:カスタマージャーニーならぬ、エンプロイージャーニーですね!
山田:そうです! iCAREのパーパスもこの頃に掲げたものです。パーパスというのは、会社のヴィジョンとは違い、従業員や社会から共感を得る言葉なのです。
左:従業員体験とパーパスを見直して、どんな改善が見られたんでしょうか?
山田:ここでもKPIが大切なんですが、これまでに設定していた「採用者数」は、実は間違いなのではないかと考えました。従業員体験を主眼に置くならば、何人を採用できたかではなく、何人が採用通知にイエスと答えてくれたか。「内定応諾率」をKPIに設定しました。その結果、今では内定応諾率が93.6%に達しています。
左:93.6%ですか! 凄い数値ですね。
山田:データを蓄積しながら、全てを見直していく。そして次の施策に取り組んでいくというサイクルに取り組んでいくことで、EXは徐々に上がっていきます。最近よく聞くのは、「iCAREの採用体験ほど、感動したものはないです」という声。それこそが従業員の体験向上であり、ウェルビーイングにつながると思っています。
左:そういう採用体験があれば、働きはじめた時のモチベーションにつながっていきますよね。まさに生きるエネルギーだと思います。
山田:iCARE自体にも課題があり、少しずつ乗り越えてきました。必要なのは企業視点ではなく、従業員視点で考えることができるか。従業員視点で考えれば、ウェルビーイングなのは当たり前のことなんです。それに企業がどのように応えるかが、今問われているのではないでしょうか。
人の成長を心のガソリンに。世界を舞台に挑戦を続けていく
左:山田さんにとって、一番ウェルビーイングを感じるのはどんな時でしょうか。
山田:人の成長を間近に感じたときですね。ずっと見てきた社員が、努力を重ねてポジションが上がっていった時、人間としての成長を感じた時は、非常に心が満たされる瞬間です。
内科で働いていた時にも、同じような経験があります。たとえば、糖尿病の患者さんが「先生の診療を受けるのが好きなんです!」と慕ってくれていて、どんどんと数値が改善していった時にも人の成長に対しての喜び、ウェルビーイングを感じていました。
左:昔から人が成長して、変わっていくのをサポートするのが好きだったんですね。
山田:あとは子どもが4人いるので、その成長を見るのも楽しいです。最初は「怖い怖い」と言いながら乗っていた自転車も、2時間足らずでスイスイと乗りこなす姿など、子どもとの時間にはそんなウェルビーイングを感じるシーンが散りばめられています。
左:おっしゃる通りですね。では最後に、iCAREがこれからどのように成長していく姿を思い描いていますか?
山田:やはり「働くひとの健康を世界中に創る」というパーパスが私たちの存在意義であり、全てが表されていると思います。10年前では考えられないくらい、社会は変動しています。働き方は多様化し、ここ3年で人々の意識も変革してきました。
私たちはウェルビーイングという観点も含めて、テクノロジーの力と専門家の知見を掛け算して、働く人の健康を支援していきます。その上で、グローバルに挑戦を続けていくことが、今後の大きなテーマだと思っています。
金沢大学医学部を卒業後、2008年に久米島での離島医療に従事する。2010年慶應義塾大学MBAに入学し、2011年には心療内科・総合内科で医師として従事しながら株式会社iCAREを創業。同時に経営企画室室長として病院再建に携わり、病院の黒字化に成功させる。2017年および2018年には、厚生労働省の検討会にて産業医の立場から提言・同省委員を務める。主な著書に『産業医はじめの一歩』(羊土社、2019年共著)がある。