仕事や家庭の予定で、半年先までスケジュール帳が埋まっている……なんて方は多いのではないだろうか。かつては永崎裕麻さんもその一人であったそう。
そこで永崎さんは、「この先に幸せな未来はあるのか」と自問自答する日々から、移住先を探す世界一周の旅へと出た。旅の最後にフィジー人の幸せそうな顔を見て、ゆったりとした時間の中で生きるスタンスに感化され、2007年に同国へ移り住む。現在はフィジーで語学学校COLORSの校長を務めている。
そんな永崎さんとWellulu編集部プロデューサーの堂上研が対談を行い、幸せを掴む糸口について伺った。
永崎 裕麻さん
南国ライフスタイルLABO 所長
堂上 研さん
Wellulu編集部プロデューサー
1999年に博報堂へ入社後、新規事業開発におけるビジネスデザイン ディレクターや経団連タスクフォース委員、Better Co-Beingプロジェクトファウンダーなどを歴任。2023年、Wellulu立ち上げに伴い編集部プロデューサーに就任。
“歩くパワースポット”? フィジー人との出会い
堂上:「Wellulu」では皆さんがウェルビーイングに対して、どんな意識を持っているのかを聞いていて、読んでくれた方が「こういう生き方っていいな」と感じてもらえたらと思っています。今日はよろしくお願いします。裕麻さんとお呼びしてもいいですか?
永崎:はい! よろしくお願いいたします。
堂上:まずは裕麻さんが何をされているか教えていただけますか。
永崎:僕は17年前にフィジー共和国に引越し、語学学校のCOLORS FIJIで校長をしています。現在は日本との2拠点生活を送っているところです。
堂上:なぜフィジーで、語学学校の校長をされているのですか?
永崎:20代の頃に2年2カ月かけて、移住先を探す旅をしました。生まれ育った大阪よりも暮らしやすい場所を見つけたくて。そこでフィジーへ辿り着いたんです。大阪に嫌気が差していたわけではなくて、ほかにも自分と合う土地があるかもしれないと思い、約80カ国を巡りました。結果「大阪 イズ ナンバーワン」でしたね。めちゃええやないかと。だから大阪に戻るつもりだったんです。
ただその前に、旅の集大成として「世界青年の船」という国際交流系のプログラムに参加したのですが、そこに乗船していたフィジー人がすごく幸せそうだったんです。色々な国でそんな子どもたちを目にしたけれど、大人が楽しそうなところはあんまり見なかった。当時の僕は「幸せになる」というのを人生の目標としていたので、もしかしたらその近道はフィジーにあるかもしれないと思ったんです。
堂上:「大人が楽しそう」ということについて、もう少し解像度を上げて聞かせていただきたいです。どういう状態だったのでしょうか?
永崎:プログラムは内閣府が主宰ということもあり、船内でのスケジュールが決まっていました。その中には、国ごとにチームを組んでプレゼンをする時間もあります。そこで日本では優秀とされている学生が、語学やディスカッションで引けを取ることが多く、悔しくて泣いてる姿も見られました。そんな彼らをフィジーの方たちが励ましていました。
堂上:フィジーの方もプレゼンをするわけですよね?
永崎:はい。でもそういう勝ち負けは気にしていなさそうな雰囲気でした。いつも笑顔でみんなを包み込む。彼らの英語は日本人からすると聞き取りやすく、喋るうちに癒されていくんです。“歩くパワースポット”だと感じました。
堂上:そんなふうに色々な文化に触れられるのは良いことですね。フィジーに限らずほかの国からもエントリーしていた中で彼らの雰囲気が違うというのは、裕麻さんだけが感じていたのでしょうか? それともみんながカルチャーショックを受けたのですか?
永崎:僕だけではなかったですね。プログラム終了後、仲良くなった外国人青年に会うために、自費でその国を訪れる日本人参加者もいるのですが、フィジーを訪れる人が多くいました。「優秀」というのはそんなにインパクトのあるものではないんですよね。それよりも彼らの放つパワーがすごかった!
自分とは真逆のスローペースに衝撃を受けた
堂上:「世界青年の船」での出会いによって移住先が決まりましたが、裕麻さんは暮らす場所のイメージを持って旅をしていたのですか?
永崎:いえ。一人旅をするうちに条件が明確になっていき、最終的に7カ国くらいには絞れたものの決め手に欠けていました。そんな時にフィジーを知ってピタッとハマったんです。
堂上:どのようなところがピタッとハマったのでしょうか。
永崎:大阪って歩くスピードがめちゃくちゃ速いんですよ。秒速1.60mで世界一らしいです。僕はその中でも群を抜いていました。なんか生き急いでいるようで、あんまり良くないなぁと感じていたものです。そういう環境で育ってきたから、フィジー人が止まっているように見えたんです。
堂上:なるほど! 時間の使い方ですか。
永崎:自分自身のスピードを緩めるというのは新しい方向性なので、挑戦もしてみたかった。というのも世界を回っている時は、朝に到着した街からはその日の夜に出ていました。そのため「高速バックパッカー」と呼ばれていたほどです。
堂上:それはなぜでしょうか? 街をほとんど見られないですよね。
永崎:3カ月くらい街に滞在をしているバックパッカーからも同じことを言われました。ただ限られた時間しかないと思うと、一気に知ろうと頑張るんですよ。長く旅を続けていると、トラベラー同士が再会するケースも多いと聞きます。でも僕にはそれがなかった。移動のタイミングが早過ぎて、誰ともペースが合わなかったんです。
堂上:それほど高速に生きていた人の感覚と、フィジーのゆったりとした流れがマッチしたんですね。
永崎:というよりも、そっちを知るべきだと思いました。
助け合いの精神が根付いている
堂上:スローペースを身に付けて、COLORS FIJIの校長を務めているわけですね。何人の生徒が在籍しているのですか?
永崎:だいたい30名ほどです。
堂上:どんな授業をしているのでしょう?
永崎:1クラス6名までの少人数グループクラスやマンツーマンのクラスで英語を学んでいます。放課後は、自分の特技を生かしたボランティア活動に精力的な生徒も多いです。たとえばダンスが得意な生徒は現地のダンススクールでレッスンしたり、ゴミ拾いが好きな生徒はフィジー人を巻き込んでビーチクリーンをしたり。
フィジー人の話す英語は、聞き取りやすいです。なおかつ、ゆとりもあるので日本人の拙い英語にも、一所懸命耳を傾けてくれます。バス停で1日過ごすとたくさんのローカルと会話ができて、時には彼らの家に招いてくれることもあります。そんなふうに語学力を鍛えるチャンスが、街中に広がっているんですよ。
堂上:みんなが英語の先生というのは、語学学習にはうってつけですね。フィジーで暮らす人はどんな職業に就いているのでしょうか?
永崎:観光業が中心です。
堂上:たしかにそのイメージが強いです!
永崎:あとは農業もあります。コロナ禍のロックダウンでは、観光業が壊滅的被害を受けました。そこでみんなは、庭に主食であるキャッサバという芋を植え始めて、半自給自足の生活をしていましたね。そのシフトチェンジは早かったですよ。
堂上:ウェルビーイングな暮らしをするために、2拠点生活も注目を浴びています。特に東京近郊で農業を始める人が多いですよね。フィジーで農業をしながらというのも、夢ではないのかもしれませんね。ちなみに日本からだと飛行機で何時間くらいですか?
永崎:9時間ほどです。夜に出発するので寝ている間に到着します。フィジーに一歩踏み入れると、南国のゆるい空気感に包まれ、「何かをしなきゃ」という義務感から一気に解放されますよ。
堂上:それでも生活が成り立つのはすごいですね。フィンランドでは16時に仕事が終わると聞きます。そのライフワークバランスは福祉制度の充実によるものですが、フィジーは国として手厚いサポートをしている印象がないので、不思議です。
永崎:北欧は公助、日本は自助、フィジーは「共助」です。現地には「ケレケレ」という言葉があります。意味としては「お願い」「頂戴」「貸して」。この単語が象徴するように、相互に物を分け与えたり、助け合ったりしていて、だからこそ人脈が全てでもあります。日本人留学生に対して親切なのも「ケレケレ」が根底にあります。ただそこに損得勘定はなく、無意識に行われているんです。
堂上:なるほど。人とのつながりを大切にする文化なんですね。
幸せになるためのキーワードを探してみる
永崎:僕は講演で「『幸せ = A ✕ B』という方程式があるとするなら、何を入れますか?」と問いかけています。これは幸福学では解答が出ているものです。でもそれが全員に当てはまるとは限らない。そもそも他人が用意したものは、腑に落ちないですよね。だから、納得のいく言葉を探してほしいと伝えています。ちなみに僕の場合は「幸せ = 感謝 × 変化」です。自分が満たされていないと感じたら、いずれかを補充するようにしています。
堂上:それは一個じゃ成立せずに、掛け算であることが重要なのでしょうか?
永崎:ひとつでもいいです。僕はフィジーでの生活を通して、ハッピーになるのは簡単なことだと知りました。ウェルビーイングを研究している前野隆司教授に「幸福度を高めるのって、そんな大それたものでないですよね」と言ったんです。そしたら「それはあなたが設定している言葉(感謝と変化)が簡単だからだよ」という反応でした。そんな前野さんは「世界平和」だそうです。当てはめる単語によって、難易度はぐっと変わってきますね。
堂上:僕はその言葉をはめる行為が大切だと思います。
永崎:そうですね。自分で答えを見つけることが重要です。探っていると「幸せになる」という観念にも捉われなくなります。ちなみに方程式の中身は変わってもいいんです。
堂上:ちなみに裕麻さんがウェルビーイングを感じるのはどんな時ですか?
永崎:40代は思い出を稼ぐようにしています。それを考えた時に「大切な人×非日常」の構成要素に辿り着きました。いつもと同じ光景だと記憶に残りづらい。今日みたいに研さんと赤い椅子に座って喋っているのは、まさにそれに該当します。ひとつ思い出貯金ができました!
堂上:先ほどの「感謝×変化」にも通じますね。僕は新規事業を起こすためにイノベーションを追いかけていたら、ウェルビーイングに辿り着いたんです。またその先には「人」がいました。人と人とのつながりを作っていけることが、ウェルビーイングなんだと知りました。「Wellulu」のロゴを見ていただくと分かるかもしれませんが「We」「u」「u」をスラッシュでつないでいるんです。僕たちは一人では生きていけないよね、という熱い思いも込めています。
永崎:ほんまや! すごい!
小さな夢を膨らませることが“今”につながる
堂上:「変化」がないとダイバーシティが無くなると考えています。自分の居心地の良い場所で、いつも同じ人と接していると、新しい発見ができなくなります。でも今こうして裕麻さんと話すことで、「フィジーってそうなんだ!」という視点が授けられました。
永崎:「幸福」を辞書で引くと「満ち足りていること」と出てきます。それって「満足」だと思うんですけれど、僕らが抱く「幸福」と「満足」のニュアンスは少し異なります。満足度を上げていくなら、足るを知ればいいわけで。
でも研さんのおっしゃるように、変化をしていないと発展性も無いと思います。心の状態がイマイチならば変化しなくてもいい。けれども、心に余裕があるなら膨らませて、世の中の人がハッピーになれるインパクトを与えればいいんです。
堂上:裕麻さんの生き方はとてもユニークです。ただマネをしたくてもなかなかできない。そういった人がコンフォートゾーンから踏み出すには、どうすればいいんでしょう。たとえば僕が会社を辞めてフィジーに移住するのは、とても勇気がいるアクションだと感じます。
永崎:たしかに僕のこれまでに対して、多くの方が「度胸があるね」と言ってくださいます。ただ自分としては勇気を1ミリも使ってないんです。それよりもリスクに対する感覚がちょっと違うのかもしれません。
僕は学生時代からやりたいことがありませんでした。新卒時に同期と「世界一周をしたい」とよく話したものですが、その中でも、誰よりも熱量は低かった。ただ夢がないから、芽生えたものを大切にしたい、という気持ちが強かったんです。そしてやりたいことをできずに死ぬのが最大のリスクだとしたら、僕にとっては世界一周をしないことで、その脅威が高まってくるんですよ。だから勇気を使うというよりは、リスクを取らないリスクから逃げまくっているのです。
堂上:なるほど。やりたいことがないとおっしゃっていますけれど、小さい夢があるなら、好奇心旺盛なんじゃないですか。
永崎:40代になって、ようやく出てきたところです。これまでずっと探していました。今46歳で研さんと同世代でもあります。僕らの年代は、やりたいことがある人ってめちゃくちゃ多くなかったですか? 文集に将来の夢を迷いなく書けるというか……。当時、自分にやりたいことがなかったのがコンプレックスでもありました。でも振り返ると、それが武器になっています。だって湧き上がってきたものひとつに対して、めちゃめちゃフォーカスできたのですから。
堂上:行動できたのが素晴らしいんですよ。だから周りから「勇気がある」と言われるのだと思います。僕は今思い出したんですけれど「世界中の『フーテンの寅さん』になりたい」と書いていました。
永崎:え⁉︎ すごい奇抜な発想ですね。
堂上:映画『男はつらいよ』が大好きでした。その世界版をやりたいと思ったんです。当時からいろんな人に会いたかったんですよね。就職先に広告会社を選んだのも、色々な職種の人に一番会える仕事だと思ったからです。
「ウェルビーイング」と「お節介」の共通点
永崎:実は4月12日から、武蔵野大学に開設されたウェルビーイング学部の合宿に参加をしてきます。学生には「やりたいことがなくてもいいし、幸せを掴むのは大それたことではない」と伝えるつもりです。上から目線ではなく、気軽に話せる存在でありたいですね。
堂上:裕麻さんは人の良いところを見つけるのが上手です。そんなふうに自己犠牲ではない利他の精神で接することで、ウェルビーイングの輪が広がりそうですね。またウェルビーン学部の登場で、どんなふうに発展していくのかも楽しみです。
永崎:日本では「自己満足」が、ネガティブに捉えられがちなのが不思議です。「自分のことしか考えてない」という文脈で語られているからなんでしょうけれど、自分と相手の「良し」を同時に達成するのは難易度が高い。「自己満足」と「応援」を、それぞれを切り離して考えた方がいいような気がしています。
堂上:僕はどちらかというと、お節介系なんですよ。「あんたたち付き合いなさいよ」と、相性が良さそうな人を引き合わせる。そこに当人の思いはないですよね。そういうエピソードが自己満足だと思っています。ただ迷惑だと感じる人がいる一方で、感謝も生まれる。だから、共存できそうです。
永崎:僕は2023年に出雲で開催された「GOOD おせっかい AWARD」に入賞したんです。従来の意味ではなく、相手にぐっと踏み込んで地域や社会が豊かになるエピソードを集めたアワードです。人間関係が希薄になりがちな今こそ必要な介入ですよね。結果をどうとか考え過ぎずに、懐に飛び込んでいく。
堂上:僕もお節介で土足で入り込むからこそ、今日のような対談ができています。いろんな方が「堂上さん、こんな人に会うといいですよ」と介入してくれています。逆もまた然りです。それがウェルビーイングに近いとも感じています。「ウェルビーイング」をもっと身近な言葉に変えたいと考えていて、「慮る」「共生」が候補として有力でしたが「お節介」もいいかもしれませんね。
永崎:「ウェルビーイング」はスタイリッシュですもんね。引っ掛かりのある単語もいいかもしれません。僕もちょっと考えてみますね!
堂上:ぜひよろしくお願いします! 今日は楽しいお話をありがとうございました。余白のある生活にウェルビーイングの可能性を感じました。
1977年、大阪府生まれ。二児の父。新卒で入社した会社を退社後、世界一周の旅へ。2007年にフィジーへ移住。語学学校COLORSの校長を務める。南の島の独特な空気感を日本社会に届ける「サンタの学校」「余白の学校」などのオンライン・コミュニティを運営。現在「旅とフィジーの学校」1期生募集中。
https://www.facebook.com/yuma.nagasaki/
著書は『世界でいちばん非常識な幸福論』『フィジーの脱力幸福論』(共にいろは出版)等。