2024年は、常に動き続けていた。
勝手に僕も今年の振り返りをしてみたい。僕の1年のスタートは、息子の中学受験との伴走からはじまあった。毎日、息子の行きたい中学の想定問題をつくり、毎日塾から帰ってきてからいっしょにその想定問題をこなす。2月1日、見事合格となったときは、自分のことのように喜んだ。僕は中学受験をしていないし、長女のときには、僕は何もしていなかったので、いっしょに伴走できたことは僕のはじめての経験だった。
息子の中学の入学前の準備説明会で、校長先生から「ひとつだけお願いがあります。お父さん、お母さんは待ってあげてください。子どもたちは、自分たちで動き出します。」という話があった。僕は、この言葉との出逢いが、僕自身の成長にもつながったように思う。今も待ち続けている。
伊勢神宮に参拝に行く。Spreadyという新規事業開発のマッチングサービスで出会った徳本さんの書籍ブログを拝見して、僕はこのタイミングで伊勢神宮に行ったほうが良いと直感を信じて動いた。そこは「計画的偶発性理論」の考えがたくさん落ちていた。気になる方向に行くと、そこにはたくさんの出逢いがある。その出逢いは、新たな出逢いを生む。徳本さんとの出逢いが、来年の4月からはじまる情報経営イノベーション専門職大学(iU)の教授に就任するというご縁もいただいた。
3月、僕の中で大きな決断をするタイミングが訪れる。ウェルビーイング共創プラットフォーム事業を、「博報堂を辞めて行う」か、「博報堂の中で行う」かである。役員と話し合い、「博報堂の子会社として進める」決断をする。僕は、博報堂の第2創業になるような事業を創りたいと思ったのが原点だったことに気が付く。目標を、10月に企業内起業で法人化と定めた。この決断は大きかった。今考えると、博報堂のリソースがあるから成り立つ事業だからだ。
息子(末っ子)が、ドイツ・オランダ・ベルギーにサッカー遠征に行く。向こうで何を学んだのか、と聴くと「ごはんが美味しかった」との感想にガクッときたが、こういう体験ができるのは良い。けれども、このタイミングで向こうで写真を撮るためにキッズ携帯からスマホに切り替えた。これが、後々のスマホ依存症になって、中学受験を辞める引き金になったように感じる。スマホ自体が悪いわけではないが、すぐに頭が痛くなったりするのは少しは影響しているように思う。
4月、Welluluで取材したDeportareClubという麻布台ヒルズにあるパーソナルジムに通う決心をした。1週間に1回は、僕の借筋を返し、貯筋をしていくことに挑戦することにしたのだ。この出逢いにも感謝である。いまだに通い続けることができているのは、トレーナーの優しい声掛けのおかげである。
ゴールデンウィークを利用して、娘の留学先のカナダ・バンクーバーへ家族で旅行に行く。コロナ禍どこにも行けなかったので、久しぶりの海外だ。娘の帰国は8月だったので、帰国前にホームステイ先のホストファミリーともいっしょに食事をして、カナダの自然豊かな街を堪能することができた。家族との時間はやはり格別だ。
本格的な起業に向けて動き出す。僕の中で、いろいろな今までの博報堂の中でのルールや規定とは違うことに挑戦することになる。新規事業なんてそんなものだ、という想いと、やるには妥協と挑戦の連続だ、という想いで社内との交渉と相談を繰り返す日々を送る。
Welluluの記事コンテンツもあげていく必要があり、起業に向けた交渉や調整の段取りにも時間を取られ、起業するまでのPoB(Proof of Business)・ビジネスとして成立するための証明のために、営業にも行く。もう時間が足りない、という状況が続き、いっしょに立ち上げるメンバーには強く当たってしまった。時間に追われているとウェルビーイングじゃなくなり、心に余裕がなくなる。僕の心も時間泥棒に常に時間を奪われて、忙しいことを言い訳にしている状況だった。余白が大切、と分かっていたはずなのに。そんなときには、いつも仲間に支えられていた。
娘がカナダから帰国。家が狭くて、ベッドがなく、僕がリビングにキャンプ用のマットを引いて寝る生活になった。これが、僕の生活にストレスをためることにつながる。家族の生活リズムの中で、5人ともみんなバラバラなのだ。睡眠不足になることが続いたのと同時に、寝具が変わって、僕は常に腰痛や五十肩に悩まされ続けることになる。今は、息子が自分の部屋にマットを引いて寝てくれているので、僕は息子のベッドで寝室で眠ることができて良かった。
10月11日、ついに法人として登記することができた。株式会社ECOTONEの設立である。この日は、大安吉日、四柱推命の関口さんに起業にベストな日を教えてもらい、その日に合わした。リリース日は10月17日、これも大安吉日の日。こういうスタートを切る日は、僕は験を担ぐ。2025年は飛躍の年と言ってもらった。これも僕は励みになり、何をやってもうまく行くと信じて行動し続ける。そこは、今までWelluluで対談いただいたり、ご紹介いただいたみなさまのお力添えがあった。出逢うべくして出逢える人に出会える。この運命はなんと、素敵な道へ導いてくれているのか、と思うくらい素敵な方たちと出逢えることができた。
妻の母「園(その)ちゃん」が80歳で亡くなった。僕が大学生のころに出会った彼女は、誰にでも優しく、いつも誰かの支えになっているような人だった。なんとなく僕の亡兄の利他な感じと似ている感じもした。海外での生活を長くし、日本に帰ってきても、孫たちと会えるのをいつも楽しみにしてくれていた。最期は、家族みんなに見守られて亡くなったので、本当に幸せな生き方をしてきたのだと思う。最期には、こうやって家族に見守られて亡くなるというのが幸せな生き方だ、と感じる。
12月、師走とはよく言ったものだ。あっという間に過ぎ去った。そして、今1年が終わろうとしている。Welluluを通して、100人以上の方と対談させていただいた。11月だけで400枚の名刺が無くなった。ECOTONE社を起業して、2か月走り続けた。僕の中で、この忙しさが心地よいものとなっていることも分かった。買った本も100冊は超えたが、読み切れず積読になっているものが今年は多い。相変わらず、週末は息子たちのサッカーの試合を観るのが楽しいし、ECOTONE社を通して、たくさんの方たちとのご縁をいただいているのもうれしい。ご縁がご縁を生む。そんな人との出逢いが楽しいのだ。
僕は、この1年「変化」の年であり、「スタート」の年だった。オリンピックや大谷さんの活躍が楽しかったし、感動をたくさんいただいた。すべてにおいて、自分一人ではこの変化とこのスタートを切れなかった。仲間がいっしょに歩いてくれたから、僕はくじけずに歩き続けることができた。応援してくれる人がいるから、僕は気持ちをあげることができた。今年出逢ったすべての人に感謝しかない。この場をお借りして、感謝をお伝えしたい。
12月28日最終日、博報堂ミライの事業室に残っていたのは、株式会社ECOTONEに出向してくれた仲間たち。そのまま「おつかれ会」ということで、3人でうなぎを食べにいった。僕はこの2人がいないと前に進めなかった。これからも、どんどん大きな渦を巻き起こしていきましょう。
どうもありがとうございました。
今年の漢字は、迷わず「縁」を選ばせてもらった。僕は、このご縁を紡いで、大きなうねりを創ろうと新たに決心する。ウェルビーイングな生活を心がけて。来年もよろしくお願い申し上げます。
堂上 研 Wellulu 編集部プロデューサー