和の心を学ぶ:おもんぱかる
今日は、息子たちの今年最後の学校の日だ。朝、妻が「そういえば年末の掃除って、学校でやるの?」と子どもたちに訊ねた。すると、「昨日、やったよ。」と言う。ぼくらが小学生だったときも、年末の校舎の掃除があった。(いまだに続いているんだ、と少しびっくりしつつ。。。)「ただ、6年生は体育館で遊んでたけれどね。」と息子は言う。その辺も、昔と変わっていない。
僕が小学生だったころ、掃除の役割分担をして、窓ふき係、ほうき係などあったが、雑巾をバケツの上で絞るのが、手がかじかんですごい嫌だった記憶がある。絞りたりない雑巾で廊下とか床をふいたら、ツルツルすべって危ない。教室の机を教室の外において、ワックスがけをしたような記憶もある。大掃除をする日本の文化が、残っているからこそ、日本人は綺麗好きという価値観が世界に浸透しているのかもしれない。サッカーW杯の試合のあとのゴミ拾いも、世界から賞賛を受けた。
今週は、4人の方とWelluluでお話させていただいた。すべての方が「和の心」につながるお話になったように感じる。ウェルビーイングと和の心は近いのかもしれない。
ひとりは、ゴミ拾いをスポーツにした「馬見塚さん」だ。ゴミ拾いをスポーツにするという発想が面白いし、やり続けているうちに「共感」が「共感」をよんで、世界20か国が集まるワールドカップが開かれた。楽しみながらゴミ拾いをする、日本発祥のスポーツだ。老若男女問わず参加できるが、体力・知力が問われるスポーツだ。面白いのが「走らない」というルールを設定したことだ。競歩選手のような人が歩きながらゴミを拾い上げる。チームスポーツで、戦略的にチームワークが勝利につながる。馬見塚さんの生き方を聴いていると、「生きることに素直」というイメージを持った。
そして、僕が尊敬する耳の人と紹介した「佐藤明さん」だ。明さんのオフィスにおうかがいして、Welluluの取材をさせていただいたが、まず、すごくオフィスが綺麗に片づけられている。そして、本や音楽など好きなものが目のつくところにある。ここで明さんから「掃除をする」ことについて教えてもらった。「心の掃除をするときに、禅を他人にやってもらいますか?」僕は、年末誰かに家を掃除してもらおうと思っていたので、自分で家の掃除をしようと決めた。
いっしょにお話をさせていただいたのが、ZENEatingの「ももえさん」だ。食べることとウェルビーイングの話の中に、デジタルデバイスを一度遠くにおいて、食を通して生産者の顔を思い浮かべたり、口の中で聞こえるかんでいる音を楽しむ。この辺の考え方も、日本ならではの、「命をいただく」=「いただきます」に通じるお話だと感じた。食の話をしていると、明さんがさっと「食関連」のことばが入った音楽に変えてくださった。この辺の気づかいやおもてなしも、和の心だと感じた。
はじめてお会いしたのだが、和文化研究家の「斎木由香」さんだ。「和の心」は、おもんぱかる心がウェルビーイングにつながると教えてくださった。人と人の「間」を感じ取るのは、ハイコンテキストの日本語ならではの「相手の気持ちに立つ」ということにつながるのだろう。ただ、相手をおもんぱかりすぎると、自己犠牲になった利他精神につながるので、自分の感情や想いを押し殺してまで、おもんぱかる必要はないのだろう。(慮るを「おもんばかる」と思っていたが、調べてみると「おもんぱかる」で、「ば」ではなく、「ぱ」ということをはじめて知った)
みなさま、「自分たちの生きる」を大切にしており、さらには、人とのコミュニケーションを通して、自分の中でのウェルビーイングを持っている。子どもたちも、自分自身がどう生きるのか、どう生きたいのか、自分で考えて行動できるようになってほしい。
紹介してくださった余慶さんから、「どのは、Welluluを通して、どんな社会を創りたいの?」と聞かれた。僕は、「つながりの中でウェルビーイングを感じられる人がひとりでも多く増えている社会」をつくりたいと思った。慶應義塾大学の宮田教授と出会い、「Better Co-Beingプロジェクト」を発足させた。僕の小さいころからの夢でもある、「世界中の人たちが、もっともっと仲良くなれる社会、笑える社会づくり」に貢献したいと思っている。
人の和が拡がり、日本の和の心が浸透し、相手をおもんぱかり、感謝の気持ちをもって生きているだけでウェルビーイングになる。Welluluは、Wellな状態が縷々として続く、WeとUとU(You)が/(スラッシュ)でつながっていくことから命名した。そんな、つながりを持つメディアにしていきたい。
今年の年末は、自分で家の大掃除をしよう。まずは、そこからだ。

堂上 研 Wellulu 編集部プロデューサー