日本のモノづくりを支えてきた総合化学メーカー・東レ株式会社。素材を通じ、長年にわたり日本の産業の変遷を最前線で見守り、社会の基盤を静かに、かつ力強く支え続けてきた。
その巨大組織においてキャリアを研鑽しながら、これまで3度にわたる新規事業の立ち上げを主導し、現在は「出向起業(※)」という独自の形態で挑戦を続けているのが、「MOONRAKERS(ムーンレイカーズ)」代表取締役の西田誠さんだ。
※出向起業:大企業等の社員が、外部資本や自己資金でスタートアップを起業し、出向の形で事業に専念する制度
西田さんが見つめるのは、単なる製品の普及ではない。その先にある「産業の正しい在り方」と、そこで働く人々の「幸福」の再定義である。
今回は、素材メーカーという川上の視点から社会を読み解く西田さんに、自身の知的好奇心を形づくった原体験から、「MOONRAKERS」が志すステークホルダー全員のウェルビーイングを実現する経営哲学まで、Wellulu副編集長の左達也が話を伺った。

西田 誠さん
MOONRAKERS TECHNOLOGIES株式会社 代表取締役

左 達也
株式会社ECOTONE/Wellulu 副編集長
福岡市生まれ。九州大学経済学部卒業後、博報堂に入社。デジタル・データ専門ユニットで、全社のデジタル・データシフトを推進後、博報堂生活総合研究所では生活者発想を広く社会に役立てる教育プログラム開発に従事。ミライの事業室では、スタートアップと協業・連携を推進するHakuhodo Alliance OneやWell-beingテーマでのビジネスを推進。「Wellulu」立ち上げに伴い編集部プロデューサーに就任。毎朝の筋トレとランニングで体脂肪率8〜10%の維持が自身のウェルビーイングの素。
山間の村の原風景が育んだ、飽くなき好奇心と「半歩先」を捉える視点

左:西田さんは「出向起業」という制度を活用し、東レという大きな組織の力を背景にしながらも、スタートアップとして多様な取り組みを展開されています。
西田さんの動向を拝見していると、常に事象の本質を洞察しながら動いている印象を受けるのですが、その原点となる幼少期の体験について、ぜひ教えてください。
西田:私は四国・愛媛県西予市の、周囲を険しい山々に囲まれた地域で生まれ育ちました。近隣とは隔離された人口1万人程の小さなコミュニティ。周囲を高い山々に囲まれ日の出が遅く、朝は霧が立ち込め、昼前にようやく太陽が姿を現すような場所です。日暮れも早く、南国四国でありながら、夏でも朝夕は寒さを感じるような環境で幼少期を過ごしました。
左:外の世界から峻別されたような環境だったのですね。そのことは、西田さんの考え方にどのような影響を与えたのでしょうか。
西田:大分県出身の諌山創さんが描かれた『進撃の巨人』という漫画をご存じですか? あの世界観にある「壁の内側の感覚」が、私には痛いほどよくわかるんです。主人公たちが巨大な壁に囲まれながら、「この壁の向こう側には、一体何があるのだろう」と切実な想像を巡らせて生きる姿。
私にとって、その“壁”とは周囲を囲む山々でした。常に「山の向こう側にはどんな世界が広がっているのか」を思い描きながら暮らしていたんです。
左:その想像力が、現在の西田さんの原動力につながっているのですね。
西田:そう思います。「まだ見ぬ世界を知りたい」という知的好奇心が、自然と強くなっていきました。実際に、山の向こう側を目指して徒歩や自転車で冒険に出かけたことも、一度や二度ではありません(笑)。

左:まさに「実体験として知見を得たい」という衝動ですね。当時、特に熱中されていたことはありますか?
西田:そうした環境もあったのか、とにかく本に夢中な子どもでした。本を読んでいないと落ち着かないほどで、活字中毒と言っても良いかも知れません。親が買い与えてくれた『世界名作全集』は、何度読み返したかわかりません。学校の図書館にある蔵書の半分ほどは読破したと思います。
左:図書館の蔵書の半分というのは驚きです。児童書以外の、専門的な書籍も含まれていたのでは?
西田:当時の私には到底理解できないような難解な内容も多かったはずです。五木寛之さんの『青春の門』とか、小学生でわかる訳ないですよね(笑)。それでも、読むことで世界を見る感覚だけはありました。ページをめくり知らない世界を垣間見る。知識を自分の中にインプットし続ける。それが習慣になっていました。
左:その圧倒的なインプットの蓄積が、現在の西田さんの洞察力を形づくっていったのですね。
西田:社会人になってからも、日経新聞を毎日1時間半かけて精読する生活を30年続けました。情報を点ではなく線で追い続けていくと、少しずつ世の中の潮流が可視化されてくる。社会が紡ぐストーリーは、私には壮大な大河ドラマのように映ります。
左:長い年月をかけて情報の断片をつなぎ合わせることで、世の中を読み解く力が磨かれていったと。
西田:そうかもしれません。小売ビジネスを例に挙げれば、かつては実店舗を構えることが大前提であり、売れるかどうかわからない在庫を構えることが必要でした。そこには多大なリスクが伴います。しかし、クラウドファンディングの「Makuake」が登場してテストマーケティングが可能になり、「Shopify」のようなプラットフォームによってEC構築のハードルが劇的に下がりました。その変化をいち早く察知できたのは、常に本質を見つめ、構造の問題を把握しているからです。だからこそ、新しい変化に素早く気づけたのだと思います。
左:構造の変化を、いち早く察知されていたのですね。
西田:私は、世の中の潮流を“半歩早く”捉えることが重要だと考えています。完全な先読みは難しいですが、兆しを捉えて半歩だけ先に足を踏み出す。事業の創造において、その半歩は後に決定的な差異となります。
和菓子屋の三代目として培った商売感覚。原理原則を求め「素材」の深淵へ
左:世の中の流れを先端で捉えながら挑戦を続けてこられた西田さんですが、そのキャリアの出発点である東レに入社されるまでの経緯を教えてください。
西田:私の実家は和菓子屋を営んでいました。私はその三代目として育ち、家業の手伝いを通じて、ごく自然に商売の感覚を肌で覚えていったのだと思います。
左:幼少期から「商いの原体験」が身近にあったのですね。
西田:自宅兼店舗でしたから、定休日でも常連さんは裏口から顔を出されるんです。「今日は休みかい? お土産にここのお菓子を持って行きたくてね」と。子ども心にも「お店閉まっているのは見ればわかるでしょ」と言いたくなります(笑)。でもそれに対しても、両親は「材料がある分だけで良ければ、詰め合わせを作りますよ」と柔軟に応える。
こうした日常のやり取りを通じて、商売の本質を学んだ気がします。それはファンの期待に応え、自分たちに出来得る限りの価値を提供することです。
左:顧客の声に耳を傾け、最適解を提示する。その姿勢は、現在の西田さんのビジネススタイルにも色濃く反映されているように感じます。
西田:愛媛県で高校までを過ごした後、岡山県の大学に進学しました。そして東レに入社するわけですが、その決断の根底にあったのも、やはり「外を見てみたい。社会がどのような仕組みで成り立っているのかを知りたい」という渇望です。
自分という人間を定義するなら、結局は“知識欲の塊”に行き着くのだと思います。

左:お話を伺うほどに、物事の深淵を知ることへの並々ならぬ情熱が伝わってきます。
西田:就職活動では、金融、建設、商社、そして素材メーカーを重点的に見ていました。理由は明快で、「世の中のあらゆる産業に関われる」からです。
左:ひとつの製品をつくる企業ではなく、原理・原則を学べる環境を求めていたのですね。
西田:内定をもらっても、もっと知りたいとの思いが募り、結果的に100社近くの面接を受けました。興味があるところは全部まわったのです。各企業の戦略や思想を直接聞ける絶好の機会として、とても貴重な体験でした。
左:100社もの企業と対峙されたとは。その中で、東レにはどのような魅力を感じたのでしょうか。
西田:素材産業への興味に加え、学生時代のゼミ旅行で東レの香港工場を見学させてもらった経験から、グローバルに展開する組織の力強さに触れた経験が大きかったです。東レならば社会のあらゆる分野に関われるのではないか、そして世界を知ることが出来るのではないか、と思ったのです。
左:入社後は大阪本社で営業職としてスタートされますが、ここでも西田さんらしい動き方をされていますね。

西田:当初は既存顧客を回るルートセールスでしたが、業務を効率化して生まれた余白の時間に、売上規模や取引先などが細かく書かれている『繊維年鑑』という業界の百科事典のような資料を読み耽っていました。膨大な数の企業情報が並ぶページをめくり続けるうちに、業界全体の構造が見えてきました。
それは繊維産業は本当に奥深く、お客はいくらでもいて、東レでさえも未開のビジネスがいくらでもあるということです。
左:ここでも圧倒的なインプットから「構造」を読み解こうとされた。
西田:そこから始めたのが、年鑑からポテンシャルの高い企業を見定めて事前に分析し、「良い提案ができるはずだ」と確信を持って電話をかけることです。すると、ほとんど門前払いされることはありませんでした。
相手の課題を予測し、適切な知見を持ってアプローチすれば、扉は開くのだと実感すると同時に、東レという企業が持つブランド力とポテンシャルの大きさも感じる経験でした
時代の揺り戻しを捉え、日本の繊維産業と再び向き合う

左:東レでの着実なキャリアを経て、なぜ「出向起業」という決断に至り、現在の「MOONRAKERS」が誕生したのか。その経緯を詳しくお聞かせください。
西田:始まりは、1990年代後半に遡ります。国内の縫製工場や素材メーカーが海外勢の台頭に抗えず、産業の空洞化が加速度的に進んでいきました。長年共に歩んできたパートナーが次々と姿を消していく光景に、私は言葉にできないほどの危機感を抱いたんです。
左:既存のビジネスモデルが根底から覆されるような、強烈な原体験だったのですね。

西田:現状維持は衰退を意味する。そう確信して立ち上げたのが、当時先端素材だったフリースを活用した新規事業でした。
営業活動で培ったネットワークから情報を集約し、「この素材は毛布としても転用できるのではないか」と思考を巡らせました。1995年の阪神・淡路大震災が発生し、災害備蓄用毛布の需要が急増していたのです。思惑は当たり、事業は一気に軌道に乗りました。そして、後の「ユニクロ」との大型契約へと結びつき、そこから製品まで一貫して製造する新規事業へと発展しました。
今は、製品まで作れるようになったのだから、消費者に直接販売して先端技術の素晴らしさを伝えようとしています。新たな挑戦によって得られた知識を元に、その先を知ろうとさらに挑戦する。そうしてつながっていったのです。
左:複数の新規事業を社内で成功させてきた西田さんが「MOONRAKERS」において、あえて組織を飛び出す「出向起業」という形態を選んだのはなぜでしょうか。
西田:プロジェクトを始動した2020年当時、私は行き過ぎたグローバリズムや価格ばかりがフォーカスされるファッションビジネスに対して、大きな違和感を感じていました。「大きな揺り戻し」が来る。今こそ、日本が誇る繊維技術をダイレクトに生活者に届ける「D2C(Direct to Consumer)」の形が必要だと。この時代の変化に即座に反応し、意思決定の速度を最大化するためには、大企業の枠組みを超えた「出向起業」が最適だと判断したのです。
左:変化の激しい時代において、スピードとフットワークの軽さを優先されたわけですね。
西田:起業にあたって、あらためて自分が理想とする事業のあり方を見つめ直しました。
地産地消を実現し無駄をなくす。日本に確かな技術と産業を残す。そして、関わる全ての人たちが等しく豊かになる。
この理想を追求するためには、走りながらアップデートし続ける機動力が不可欠でした。なぜなら、どれひとつとっても既存の繊維産業では、「そんなことは不可能だ」と全否定されるような理想話だったからです。
新規事業は走りながらその姿が見えてきます。しかし、大企業での活動は機動力に欠ける。大企業のポテンシャルとスタートアップの機動力を同時に備え、実際に進める中で事業を磨き、アップデートしていく必要があると判断したのです。
左:理想を掲げつつも、実際の運営面では現実的な課題も多かったのではないでしょうか。
西田:毎日が試行錯誤の連続です。例えば「国産」へのこだわりも、現実は甘くありません。素材は国内産を維持できても、工程の多い製品は海外縫製に頼らなければ価格競争力を失ってしまう。このジレンマを、ある時「MOONRAKERS」のファンの方々に正直に打ち明けたんです。

左:企業の悩みを、ユーザーに直接相談されたのですか。
西田:はい。正直そんなことをやっているアパレルを聞いたことはありません。しかし、自分はユーザーの声を羅針盤として進むと決めていました。
そして聞いたのです。「価格を抑えるために、一部商品は海外縫製を選択している。みなさんどう思いますか?」と。すると、皆さん異口同音に、「西田さんの信じる道を進んでくれればいい。でも、多少価格が上がっても良いので、できるなら日本で製造してほしい」と。
50名以上の方とお話しましたが、ほぼ100%がその答えでした。それは従来の取引先であるアパレルからは聞いたことがない声でした。結果、2024年からは全ての商品の素材も縫製も国内で行う「純国産」への切り替えを決断しました。そして売上も収益も大幅に拡大しました。ユーザーの声は正しかったのです。
左:ユーザーとの対話を通じて、迷いが確信に変わったのですね。まさに、生活者と共に歩む「MOONRAKERS」の姿勢が象徴されているエピソードです。
顧客は「友人」、工場は「親戚」。全員の幸福を願う共生のウェルビーイング

左:西田さんは、生活者と企業のあるべき関係性をどのように捉えていらっしゃいますか。
西田:私たちにとって、お客様は「神様」ではありません。対等な立場で互いをリスペクトし合える「友人」だと考えています。
大切な友人のためなら、自分たちにできる限りの努力を惜しまない。一方で友人だからこそ、一歩譲ってくれる。そして双方が納得したうえで、真に価値のあるものを届ける。それが私たちの求める理想です。
左:その「友人」という関係性を象徴するようなニュースがありましたね。
西田:2026年1月21日に「MOONRAKERS」は価格改定を発表しました。主力であるTシャツ商品を、1月30日から約2割値下げするという決断です。事業が軌道に乗り、利益を確保することが出来たのは、応援してくれたユーザーのみなさんのお陰です。その成果を真っ先に分かち合いたいと考えたのは、大切な「友人」への感謝があったからです。
左:インフレが続くこの時代に、あえて「値下げ」を選択されるのは驚きであり、ファンにとってはこれ以上ない誠実な還元ですね。
西田:一方で、最低賃金の上昇を踏まえて、生地と縫製工賃の値上げも受け入れました。なぜなら、私たちがユーザーの期待に応えられたのは、日本の技術を支える素材や縫製などの工場のお陰でもあるからです。
彼らは私たちにとって代えがたい「親戚」のような存在です。それは、ずっと付き合い続ける、切り離すことのできない運命共同体。共に荒波を越えていく仲間だと思っています。
左:その深い信頼関係は、どのようにして築かれたのでしょうか。
西田:これも「構造」を理解することです。まず相手の事業の構造上の難題を理解する。続いて解決する取り組み方法を提示する。こちらで難題を引き受ける代わりに、相手にも一歩今までにないやり方に踏み込んでもらうのです。
具体的には、一定数の継続的な発注を持続する。その上で工場の閑散期には肉厚にオーダーを入れる。だからこそ、工場は儲かり、弊社は繁忙期でも優先され高速生産が実現します。
「MOONRAKERS」では上記のスキームで現在3社の工場を主力としていますが、実は各社の決算書まで共有いただいています。
左:取引先の決算書まで確認されているとは。そこまで踏み込むのは、まさにウェルビーイングな共生関係ですね。
西田:収益が適正に改善しているかを共に注視し、場合によっては相手の赤字の補填すら視野に入れています。なぜなら、彼らなくして私たちの事業は成立しないからです。その不退転の決意を持ち、「事業を共にする親戚」として、一蓮托生で歩んでいきたいのです。

左:最後に、働く従業員、そして西田さんご自身のウェルビーイングについて教えてください。
西田:社員には常々、「もし、情熱を傾けられない、つまらないと感じる仕事があれば、遠慮なく言ってほしい」と伝えています。人生において、仕事が占める時間は極めて長い。その時間が楽しくなければ、真のウェルビーイングは訪れないと考えているからです。
左:全く同感です。働く喜びが、そのまま企業の活力になりますね。
西田:私自身は現在、福岡市の今宿に移住し、東京との二拠点生活を楽しんでいます。週末に今宿の豊かな自然の中で家族と過ごす時間はもちろん、近隣の縫製工場を訪ねて職人さんと語らう時間も、私にとっては等しく幸福なひとときです。
工場のみなさんが自宅を訪ねてきて、家族と一緒に話をすることもあります。こちらが工場を訪問した際は、モノづくりを熱く語り、とことん飲み明かしたりもします。ユーザーのみなさんに想いを込めたプロダクトやモノづくりの現実をお伝えし、時には一緒に美味しいものを食べながらとことんまで未来を語り合います。
公私を分けるのではなく、生活のあらゆる場面に心地よさを見出す。そんなウェルビーイングを、今まさに体感しています。
左:理想的なライフスタイルと経営のあり方ですね。ビジネスにおける合理性や成長だけでなく、関わるすべての人との「関係性の豊かさ」を何より大切にする西田さんの姿勢に、これからの時代のウェルビーイングな生き方のヒントをいただいた気がします。本日は貴重なお話をありがとうございました!

1993年東レ入社。20代から新規事業に挑戦し、ユニクロへの飛込営業で大型契約を獲得。続いて2度目の新規事業でも素材から最終製品までサプライチェーンの延伸に挑戦し、大きな成功を収めた。そして現在3度目の新規事業、プロジェクト「MOONRAKERS」に挑戦中の連続社内起業家。2023年11月より出向起業制度の活用で独立会社を設立し、数々のアワードを受賞するなど、現在大きな注目を集めている。
https://moonrakers.jp/