
「ピロリ菌」という名前は、一度は耳にしたことがあるのではないだろうか。主に人間の胃に存在し、感染したまま気づかず共存することが多い細菌だ。長く感染している人と、一切菌を持っていない人がいるのも特徴の1つで、免疫力が弱い幼少期に体内に入ってしまうかどうかが分かれ目になっている。
そんなピロリ菌が、最近の研究で「胃がんのリスク」に大きく影響することが判明した。ピロリ菌に感染している人では、生まれてから85歳までに胃がんに罹る確率が男性で約6人に1人(17.0%)、女性で約13人に1人(7.7%)にのぼるという。
今回はこの分野で研究をされている川合先生に、ピロリ菌がなぜ胃がんのリスクを上げてしまうのか、その仕組みについて詳しく伺った。
川合 紗世さん
愛知医科大学医学部公衆衛生学講座 講師
50代以降はピロリ菌の感染率が高い
── はじめに、川合先生が今回の研究をしようと思ったきっかけを教えてください。
川合先生:じつはピロリ菌に感染しているかどうかで、胃がんになるリスクが違うであろうことは前々から指摘されていました。ただ、世間では「ピロリ菌は居ないにこしたことはない」という情報だけがあって、居ると何に影響するのか、治療するメリットはどんなところにあるのかうまく伝わっていないことも多かったのです。ピロリ菌が体内にいてもはじめは自覚症状がないので、「放っておいても大丈夫なんじゃないか」と軽く考える人もいます。
こういった課題から、実際に菌が何にどのくらい影響するのか、はっきりしたデータを取っていきたいと考えました。
── たしかに、普段はあまり意識しない菌ですね。今回、どのような方法でピロリ菌のリスクを検証されたんですか?
川合先生:ピロリ菌の感染率は年代によってかなり違っていまして、若年層は少なく、50代以降の人は感染率が高くなっています。
そのため、以前に実施した調査によって得られた「生年ごとのピロリ菌感染率データ」と、国立がん研究センターのがん情報サービスでWeb公開されている「わが国の年齢階級別胃がん罹患年次推移データ(全国がん登録、地域がん登録事業の成果)」を利用し、「生まれ年」と「その年代のピロリ菌の感染率」、「その後の胃がんの罹患率」を組み合わせて、0歳から85歳までのがんの罹患のリスクを複合的にシミュレーションしました。
シミュレーション結果:胃がんに罹る確率が男性は17.0%、女性は7.7%
川合先生:その結果、感染率が高い年代だと、胃がんになる割合も上がっていて、それがどのくらい影響しているかというのがわかりました。ピロリ菌に感染している人では、生まれてから85歳までに胃がんに罹る確率が男性で17.0%(約6人に1人)、女性で7.7%(約13人に1人)にのぼるということがわかりました。
ピロリ菌は親から子どもへうつってしまうことがほとんど
── 男性の罹患リスクはずいぶん高くなるんですね。男女差の理由も教えてください。
川合先生:これは胃がんに関わらず、男性のほうが元々がんになりやすいんです。大きな理由の1つとして、生活習慣が男女でかなり違うということが指摘されています。男性は女性よりも外食を好んだり、塩分の濃いものや油っぽいものを好んだりする傾向があります。あとは、やっぱり喫煙者の割合ですね。喫煙ががんのリスクをあげてしまうというのは明らかなので。
── なるほど、生活習慣も影響してくるのですね。男女共に、予防のためにはまずピロリ菌に感染しないことだと思うのですが、どんなことに注意すればいいでしょうか?
川合先生:ピロリ菌は基本的には胃に居る菌です。少し前までは「胃は酸が強いので細菌が存在できるわけがない」と思われていましたが、この菌は胃の酸を自身が出すアルカリ性の成分で中和して長期間生き、感染者の排泄物や口内を経由して他者へうつります。感染すると、菌の特性上、胃の粘膜を荒らしてしまうので、胃がん以外にも胃の不調を引き起こすことがあります。
そして、感染するかどうかは、幼少期の5才ころまでに決まります。昔は離乳食を噛んで与えることで親から子どもへうつったり、下水の処理が甘いところで、排泄物から感染したりするケースがありました。逆に、大人どうしではめったにうつりません。
現代では、生活習慣もかわってきたので、感染率はかなり下がってきています。60歳以上の人は50%くらい感染しているのですが、子どもたちは5%を切るくらいです。それにともなって、胃がんも減ってきています。
ピロリ菌を子どもにうつさないために
これはもちろんいいことなのですが、反面、菌を持っている人は意識しにくく、自分で知らないまま大人になって子どもにうつしてしまうということがあります。離乳食を噛んで与えるようなことはしなくても、たとえば同じスプーンで料理を食べた、といった些細なことでもうつる可能性はあります。できれば、子どもを持とうと考えた時に、一度検査をしてみて、そこで除菌しておけたらいいですね。
貧血、十二指腸潰瘍、胃潰瘍…、ピロリ菌感染のリスク
── 自覚症状がはじめはないとのことなのですが、ピロリ菌によって引き起こされる病気について教えてください。
川合先生:体内に入ったピロリ菌は、すみついてしまうと自然には消えません。しかも若いうちは感染に気づかないことが多く、体力や免疫力が下がった中高年になって症状が出てくることがあります。
十二指腸潰瘍や胃潰瘍、逆流性食道炎といった病気に影響することも多いです。もちろん不調を放っておくと胃がんに発展することもあります。気づいた時には重篤な症状…というのがピロリ菌の危険なところだと思います。
また、お子さんがピロリ菌に感染している場合には、貧血を頻繁におこすケースがあります。なぜ貧血を起こすのかは研究中の部分もありますが、ピロリ菌が胃粘膜の機能を落とすので、鉄分など、身体にとって重要な栄養をうまく吸収できなくなってしまうようです。
定期健診でピロリ菌検査を
── 病気になる前に、ピロリ菌に気づく方法はありますか?
川合先生:自覚症状が最初はでにくいため、自分で気づくというのはかなり難しいと思います。自治体や会社の健診で「ピロリ菌」の検査をして判明することが多いです。しかし、検査でわかっても「まだとくに不調を感じていないから…」と除菌しない人も多いんですよね。
── ピロリ菌は症状の有無に関わらず、気づいた時に除菌するのがいいのですね。
川合先生:そうなんです。見えないリスクが必ず潜んでいるので、見つけたらなるべく除菌してください。
ちなみに、ピロリ菌の除菌は2013年から保険が適用されるようになっています。除菌の方法は抗生物質を1〜2週間飲み続ける必要があるのですが、完了までにかかる時間は個人差が出てきます。必ず専門知識のある病院にかかった上で治療し、「治療後の検査」も受けてください。意外と薬を飲んだことで満足してしまって、治療後の検査を飛ばしてしまう人が多いんですよ…。菌が0になったかどうかが重要なので、中途半端に治療して、菌が残ったままだとあまり治療の意味がありません。また、除菌に成功しても胃がんのリスクが放置してもよいくらい低くならない場合もあるので、定期的に内視鏡検査を受けることを学会は推奨しています。
あと、ごく当然の話ではあるのですが、ピロリ菌がいなくても胃がんになるケースもあるので、原因を決めつけず、不調を感じたら病院にいってくださいね。
病気の要因を意識して、健康寿命を伸ばしたい
── 本日はありがとうございました。最後に研究で新たにわかったことや、川合先生が研究を進めていることがありましたら教えてください。
川合先生:長年、「胃がん」は日本人の死因で上位をしめていたのですが、ほぼ同じような生活習慣(飲酒や喫煙、塩分の量など)でもなる人、ならない人がいました。この「不公平感」を明らかにしてみたくて、ピロリ菌の研究を進めてきました。遺伝的な差の部分もあるかもしれないけれど、長い一生の中で「ピロリ菌の有無」が生死を分けてしまうという事実が見えてきたのは大きいと思います。さらに研究を続けて、早期に除菌することのメリットを社会に周知したいですね。
コロナ禍もあって、日本社会の公衆衛生の考え方も随分かわりましたよね。社会全体で病気を予防しようといういい流れもあります。胃がんに関しても、この公衆衛生の観点からすると、自治体などで検査・治療を受けられたら理想なんですよ。子どもを持つ前に除菌できれば、そのあと感染することはなくなりますからね。中高生のうちに検査して早期治療をするなど、できる対策はいろいろあると思います。
こうやって情報発信することで、リスクに気づいてもらって、がんになってから後悔する人が少しでも減らせたらいいと思っています。
Wellulu編集後記
「ピロリ菌」という名前は聞いたことがあっても、どんな不調や病気につながるかよく知らない人が多かったのではないでしょうか。
感染の自覚がないまま過ごして、子どもにうつしたり、胃がんやその他の病気のリスクを大きく上げてしまったりするのは怖いですね。
逆に検査や除菌をしっかりすれば、自分はもちろん家族も健康に過ごせることがわかっています。社会で予防する意識をもっていきたいですね!
本記事のリリース情報
疫学研究者。名古屋大学農学部を卒業後、名古屋大学大学院医学系研究科 予防医学/医学推計・判断学教室にて分子疫学研究を学び、2009年に博士(医学)取得。その後、日本多施設共同コーホート研究(J-MICC Study)に従事し、2018年に愛知医科大学医学部公衆衛生学講座へ異動。現在は主にピロリ菌感染対策による胃がん予防研究に取り組んでいる。