
日本有数の真珠の産地・三重県伊勢志摩。この地で70年以上にわたり真珠養殖に携わっている祖父と、その想いを受け継ぎ共に歩みを進めている孫の尾崎ななみさん。2018年、尾崎さんはジュエリーブランド「SEVEN THREE.」を立ち上げ、業界の流通には乗らない“形や色がふぞろいな真珠”に「金魚真珠」と名づけ、新たな価値を吹き込んでいる。
伊勢志摩アンバサダーとしても活動する尾崎さんが、地元のPR活動に関わることになった経緯、そして「金魚真珠」に込める想いとは。先日伊勢志摩を訪れ、実際に養殖現場を見学したWellulu編集長の堂上が話を伺った。

尾崎 ななみさん
株式会社サンブンノナナ 代表取締役社長

堂上 研
株式会社ECOTONE 代表取締役社長/Wellulu編集長
1999年に博報堂へ入社後、新規事業開発におけるビジネスデザインディレクターや経団連タスクフォース委員、Better Co-Beingプロジェクトファウンダーなどを歴任。2023年、Wellulu立ち上げに伴い編集長に就任。2024年10月、株式会社ECOTONEを立ち上げる。
好奇心旺盛な子ども時代。「なんとなく進学」に違和感を覚え上京を決意
堂上:先日は伊勢志摩をご案内いただきありがとうございました! 観光はもちろん、お祖父様にお会いできたのもとても貴重な体験でした。今日は「金魚真珠」のお話も伺いつつ、ななみさんご自身のこれまでの歩みや今後についても伺えればと思います。どうぞよろしくお願いします!
尾崎:こちらこそ、先日はありがとうございました。よろしくお願いします。
堂上:ななみさんは高校まで三重県で過ごされ、その後上京してモデル・タレントとして活動されていたんですよね。どんな経緯やきっかけがあったのでしょうか?
尾崎:進路を考えるうえで大学進学しか考えていなかったのですが、そもそもなぜ大学に行くのかという目的が自分の中ではっきりしなくて。そんなときに、親友が「私は東京に行きたい」と言っていて、「行きたい場所で進路を選ぶ」という考え方もあるのかと気づかされました。
その友人が「ななみは身長も高いし、モデルとか向いていると思う」と、オーディション雑誌を買ってきてくれたんです。母に相談して「1回挑戦してだめだったら大学受験に専念する」ということを条件に応募したら合格して、事務所に所属することになりました。
堂上:ご友人の存在が大きな後押しになったんですね。高校3年生のときに、自分で決断して挑戦したのはすごい行動力です。
尾崎:もともと「楽しそう」「やってみたい」と思ったら、まずは挑戦するタイプでした。ただ、自分が納得しないと行動に移せない。だからこそ「周りが大学に進学するから自分も行く」という考えにモヤモヤしていたときに、違う道も考える事ができてよかったです。
堂上:それで東京でのモデル・タレント活動が始まったのですね。
尾崎:はい。6年ほど事務所に所属して活動していました。最初は何も知らないからこそ毎日が新鮮で楽しかったのですが、続けていくうちに「このまま10年後も活動している未来が想像できない」と感じるようになったんです。オーディションに受かるかどうかは、企業のイメージとの相性次第にもかかわらず、落ちると自分を否定されたような気持ちになったり、周りの子と比較して落ち込むことが増えたり……。
それに、20歳を過ぎると体型維持の難しさにも悩むようになりました。「なぜこんなにつらい思いをしてまで続けているんだろう」と、泣きながらジムに通ったこともあります。プロとしての覚悟や意識があれば乗り越えられたのかもしれませんが、「自信を失ってまでこの仕事をしたいのか?」と、楽しさよりもしんどさのほうが上回ってしまったんですよね。
それで最終的には「また再開したくなったらオーディションを受ければいい」と決断して、スパッと辞めました。
堂上:ウェルビーイングに生きるためには、自分で意思を持って挑戦したり選択したりすることが欠かせません。ななみさんは、学生の頃から決断力や行動力を持ってそれらが実現できているように思うのですが、小さい頃からそのような性格だったんですか?
尾崎:小さい頃は、ひとつのことに長く取り組むというより、好奇心を持っていろいろなことに挑戦する子どもでした。両親も、私のしたいことは基本的には挑戦させてくれていたので、まずはやってみて、自分に向いていないと思ったらすぐに辞めていましたね。あまりにも未練なく辞めるものだから、母に「もう少し続けてみたら……?」と言われることもありました(笑)。
堂上:お母様の気持ち、よくわかります。僕の中学生の息子は、3歳からずっとサッカーを続けているんですが、最近「サッカーやめようかな」と言い出したんです。親としては「ここまで続けてきたのにもったいない」という思いもあるのですが、ななみさんのお母様は最終的にはななみさんの意思を尊重してくださったんですね。
尾崎:そうですね。「月謝を払ったからせめて1カ月は行ってほしい」と言われたことはありましたが、基本的には私のしたいことに挑戦させてくれました。初めての子どもで、長女の特権でもありました。
堂上:本当に素敵なご家庭ですね。
尾崎:小さい頃から自分の意見を尊重してくれていたからこそ、高校生になって進路を決める際にも「自分が何に興味を持っているのか」「なぜそこに行くのか」をしっかり考えられたのだと思います。
挑戦と自問自答を繰り返すことで自分の意思に気づく
堂上:ななみさんとお話していると、とても芯の強い方だなという印象を受けます。世の中には「今のポジションを失うのが怖い」「周囲の見え方が気になる」と、なかなか行動に移せない方も多いと思うんです。そんななか、ななみさんは「嫌なものは嫌」と言えたり、無理に続けるのは自分らしくないと決断されたりしていますよね。
尾崎:人に自分をどう見せるかというよりも、自分が今どうしたいのか、どういう気持なのかを自問自答できているから、そう見えるのかもしれません。
昔から「なんだかつらいな」と思ったら、「どうして今つらいんだろう」「本当は何をしたいんだろう」とふと立ち止まって考えるタイミングは作っていました。一度決めたからといって、それを続けなければいけないなんてことはない。人がどう思うかは関係なくて、自分の正直な気持ちが1番大切だというのは、20代前半で理解していた気がします。
堂上:高校生のときに上京すると自分で決めたり、モデル・タレントとして活動するなかでいろいろな経験をしたりして培ったものでもあるのでしょうね。
尾崎:そうですね。事務所に所属していたときには、自分が「やってみたい」と思った仕事に挑戦させてもらっただけでなく、最初は難しいかもと感じた仕事にもチャレンジさせていただく機会がありました。やってみて「やっぱり向いていないな」と思うことでも、まずは挑戦できたことはとても良い経験でしたね。
堂上:とはいえ、何かを決断するときには、誰かに背中を押してほしくなることもありませんか?
尾崎:悩んだ時はいつも、最終的には母に相談しました。でも相談と言いつつ自分のなかで答えは決まっていて、母にも「迷っていないでしょ、もう決まっているんでしょ」「ななみが決めたのならそれで良いんじゃない」と言われました。
それに母はいつも「自分で決めたのなら、覚悟を持ってやりなさい」とも言ってくれます。上京したときも最低限の援助はしてくれましたが、仕送りは一切なし。自分でアルバイトをして生活する必要がありました。母が良い距離感でいてくれたからこそ、判断力や自立心が鍛えられたのだと思います。
堂上:お母様もななみさんの性格をよく理解しているからこそ、背中を押してくれるのでしょうね。素晴らしい関係です。
祖父と孫、両者の技術と視点があったからこそ生まれた「金魚真珠」
堂上:ななみさんは、伊勢志摩のアンバサダーも務められていますよね。きっかけはどんなものだったのでしょうか。
尾崎:事務所を辞めたとき、祖母に「もっと三重で活躍している姿を見たかったわ」と言われたんです。東京で活動していたので、三重で直接見てもらえる機会はなかったんですよ。そんなときに、地元で「ミス伊勢志摩」の募集を見つけました。ちょうどその年が20年に一度の神宮式年遷宮のタイミングで、表舞台に立つ集大成として良い機会だと思い応募したんです。応募条件に「事務所に入っていないこと」があったのにも、何か縁を感じましたね。
堂上:タイミングが素晴らしかったんですね。
尾崎:はい。ありがたいことにグランプリをいただき、58代目ミス伊勢志摩として1年間活動しました。当時は、ちょうど事務所を辞めたあとでスケジュールに余裕があったのと、伊勢志摩の特産品である真珠をPRするうえで、もっと詳しく知っておきたいと思い、祖父の真珠養殖を手伝うことにしたんです。そうしたら、改めてその過酷さに気づかされました。
堂上:先日お祖父様の養殖現場を見学させていただきましたが、本当に驚きました。足元が不安定ないかだの上を、重いものを持ってヒョイヒョイ歩かれていて……しかも88歳というご年齢を聞いて、信じられませんでした。
それに、まずは貝を育てるのに2年、その後育てた2万個もの貝に手作業で小さな核と外套膜入れて、さらに半年〜2年育てる……とんでもない労力がかかっているんですね。
尾崎:夏は暑くて冬は寒い環境のなか、かなりの重労働と気が遠くなるくらいの細かい作業で、とてもじゃないけど私には継げないと思いました。でも祖父はまだまだ現役で頑張っているし、私自身もミス伊勢志摩の活動を通して地元をPRする楽しさを実感したので、どうにか私に手伝えることがないか……と。それで出たアイデアが、販売であれば私にもできるかもしれないという結論でした。
堂上:そこから「金魚真珠」が生まれたんですね。売り物にならないとされていたものでも、視点を変えることで光を与えられるという発想力、そして「金魚真珠」というネーミングセンスは、本当に素晴らしいなと思いました。
尾崎:ありがとうございます。祖父が時間と労力をかけて一生懸命作った真珠を価値あるものとして届けるためには、ブランドとしてしっかり確立することが必要だと思いました。とはいえ、ものづくりやマーケティングについては無知だったので、ひたすら本を読んで勉強しました……。
尾崎:「金魚真珠」のスタートは、単純に、真珠の仕分けをしている時に集まった歪な形が、金魚が泳いでいる姿に見えた事がきっかけです。きっと今までもこの形が金魚に見えた人はいると思います。ただ業界では買い取ってくれないし、ジュエリーに仕上げて商品販売する方々はほとんどいなかっただけ。私からしたら素敵な真珠なのに、世に出していない事がすごくもったいないと感じました。
堂上:業界の外にいたななみさんだからこそ気づけた視点ですね。
尾崎:そうかもしれません。マーケティングを勉強するうちに、「売り方を工夫すれば商品として成立する」と確信しました。たとえば、ちょうどその頃はSDGsやエシカルが注目され始めていましたが、真珠業界ではほとんど発信されていませんでした。
真珠は見た目の美しさや品質が評価の基準で、一粒一粒の産地は表示される事がありません。でも、食品やアパレルのように生産者や背景が見えることは、選ぶ側の意識に大きく関わると考えたんです。
そうやって「エシカル」や「伊勢志摩産」、そして家族経営であること、私自身が二拠点生活をしていること……いろいろな文脈で切り取れることを、プレスリリースにまとめて発信しました。その結果、6年経った今でも多くのメディアに取り上げていただいています。
堂上:お祖父様の技術、そしてななみさんのマーケティング視点。それぞれの強みが合わさって生まれたからこその成果ですね。
堂上:今回、実際に伊勢志摩を訪れて印象的だったのが、お祖父様にお会いして、生産者としての想いを聞けたことです。正直僕は、一粒の真珠を作るのに3〜4年の時間と細かい手作業が必要だなんて知りませんでした。真珠は自然にできる天然物とすら思っていたほどです。
尾崎:よく「真珠ってどうしてこんなに値段が高いの?」と聞かれますが、時間と労力を考えると明らかなんですよね。ただそれを知る機会が少ない。だからこそ、私が伝えていかなければいけないと思いました。
それに、真珠はもちろん美しいものですが、ただ“美しいから買う”のと、その背景や想いを“理解して買う”のとでは、その後の扱い方が変わってくるのではないでしょうか。特別なものとして大切にしてもらえるためにも、背景や想いを伝えることは大切にしたいし、きちんと知識を持ったうえで伝えられるのは、生産者の祖父を持つ私だからできると信じています。
堂上:素晴らしいです。今回、Welluluの出演をオファーしたのは、ななみさんの人柄や生き方を伺いたいと思ったのと同時に、お祖父様との事業についてもしっかりと紹介したいと思ったからなんです。
尾崎:ありがとうございます。生産現場では当たり前とされていることが、外から見るとじつはとても価値があるということはよくあります。私がその“当たり前じゃない価値”に気づけたのは、外からの視点を持っていたからです。「金魚真珠」は、祖父と私、それぞれの視点が合わさったからこそうまくいったんだと思います。
最近は「金魚真珠」をきっかけに祖父もメディアに出ることが増えて、同じ仕事をしつつも生活が変化していることを楽しいと言ってくれています。自分の作った真珠がどんな商品になってどんな人に届くのかを知れるようになったことが、さらなるやりがいにもつながっているようで、「辞め時がなくなった」とも言っているんですよ。
堂上:素敵です……! ななみさんのチャレンジによって、お祖父様の生き方にも変化をもたらしている。まさにウェルビーイングの伝播ですね!
尾崎:祖父は生涯現役を目指していますし、私もできる限りサポートをしたいと思っています。起業も、「おじいちゃんの役に立ちたい」「伊勢志摩の良さを伝えていきたい」と考えた結果なんです。
堂上:まるで導かれているようですね。神宮がある伊勢志摩で育ったななみさんらしいです。
尾崎:私は、自分が好きなように生きているという感覚があるんです。自分で選んでいる生き方だからこそ、ときによって顔や役割が変わるので、肩書を聞かれると悩んでしまうんです。
さきほど堂上さんがおっしゃったように、私の周りにも「今の状況を変えられない」「生きづらさを感じている」と悩んでいる人がたくさんいますが、私は「顔は2つでも3つでも持ってていいじゃん」と思います。
「こうしなきゃ」「これだけに絞らなきゃ」という固定観念は手放して、その時々で「今、自分はどう思っているか」「何をしたいのか」に素直に向き合って生きていたいなと思います。
大切な軸はぶらさずに、面白いことにはどんどん挑戦したい
堂上:ななみさんにとってのウェルビーイング、今1番楽しいことやハマっていることはなんですか?
尾崎:事業が忙しくなって日々タスクに追われるなかで、インプットのために旅行したりアートを見たりすることでしょうか。国内外問わず、まだ見たことがないものがたくさんあって、それに出会ったときに、自分が何を感じるのかを考えるのがすごく楽しいんです。東京に住んでいて良い事は、最新のものが国内で一番最初に見れる機会が多いので、日々の街歩きも学びになっています。
堂上:いろいろな人との出会いも良いインプットになりますよね。
尾崎:はい。とにかくいろいろなものを吸収するのが楽しいので、休みがあれば積極的に出かけて新しい刺激を取り入れています。
堂上:最後に、これからの展望について伺いたいです。ななみさんは、今後どんなことにチャレンジしていきたいですか?
尾崎:じつは未来についてはあまり想像していないんです。事業計画書で5年後や10年後を聞かれても、「いや、わからへんし」と思ってしまって(笑)。
でもひとつ言えるのは、現状維持は退屈だと思うので、成長し続けていたいなとは思います。たとえば、今は真珠のジュエリーブランドを運営していますが、今後はジュエリーを身に着けないけど真珠に興味がある方向けに、ジュエリー以外の使い方を模索したいです。縦ではなく横にどんどん広げるイメージで、面白いことに挑戦したいですね。
ただ、祖父と一緒に取り組んでいる「真珠」と、私のルーツである「伊勢志摩」という2つの軸は変わらず大切にしていきたいと思っています。
堂上:なるほど。大切な軸をぶらさずに、やりたいことにチャレンジしていく。挑戦を恐れないななみさんならきっとどんどん新しいものを生み出すのでしょうし、そのなかでまた素敵な出会いもあると思います。今日は貴重なお話をありがとうございました!
尾崎:こちらこそ、ありがとうございました!
堂上のブログ日記で、ななみさんとの伊勢神宮から伊勢志摩の旅も綴っています。
https://wellulu.com/blog/43731/
三重県伊勢市出身。高校卒業後に上京。モデル・タレントとして活動後、企業の商品プロモーション企画・運営を行う会社を設立。また、首都圏で伊勢志摩の情報発信を担う観光大使「伊勢志摩アンバサダー」にも就任し活動中。
Instagram @nanami_ozaki_73