
日本でアーティストが育たないのは、30歳を潮に道を諦める人が大半だからだ。日本には若きアーティストを育てる仕組みがない―そんな課題を解決するために、アーティストやクリエイターがコミュニティを持つことで、活動が継続できる仕組みを作ったのがコミュニティ専用オウンドプラットフォームの「OSIRO」である。
事業を運営するオシロ株式会社の代表取締役・杉山博一氏と、コミュニティが持つ可能性に関心を寄せる博報堂・Wellulu編集部プロデューサーの堂上研氏の二人が「偏愛とウェルビーイング」をテーマに対談をおこなった。

杉山 博一さん
オシロ株式会社 代表取締役社長

堂上 研さん
Wellulu編集部プロデューサー
1999年に博報堂へ入社後、新規事業開発におけるビジネスデザインディレクターや経団連タスクフォース委員、Better Co-Beingプロジェクトファウンダーなどを歴任。2023年、Wellulu立ち上げに伴い編集部プロデューサーに就任。
社員全員の名刺に「御城」の名前。そして小さな家が並ぶオフィス
堂上:今、いただいた名刺のお名前を見ると“御城博一”と書かれていますね。「そうか、オシロさんだ!」と気づくのに3秒ほどかかりました。
杉山:うちでは社員全員、名刺の名字が「御城」なんです。でも、名刺は両面になっていて、その裏側にはちゃんと本名が入っていますよ。
堂上:名刺の中に両面性があるのはとても個性的ですね。仕事を中心に考えれば、オシロという場をともにする関係性は「A面」であり、その裏にはバックグラウンドや興味関心が交差する私的な「B面」がある。社員同士のつながりを重視するとともに、一人ひとりの個性を尊重する姿勢が表れています。
杉山:その通りです。僕は本名を「御城」に変えたいくらいオシロを愛していて、オシロに集まってくれた社員一人ひとりも家族のように大切に思っています。そんな思いを表現したくて、同じ苗字の名刺にしています。
堂上:名刺から想いだけじゃなく遊び心が感じられて面白いですね。遊び心といえば、なんといってもこのオフィス。一歩入ると小さなおうちが並んでいる光景が目に飛び込んできました。それに白一面の壁と小さな窓がいくつも並ぶデザインは、キャンバスに描いた絵のようです。
杉山:自然光が入ってくる空間がいいなと思っていたのと、なにより天井の高さにこだわってここに決めました。ちなみに天井の高さは5メートルあります。
堂上:この解放感は、自然光と天井の高さにあるんですね。
杉山:この小さな家、いわばタイニーハウスが作れたのも天井の高さのおかげです。ちなみに屋根や壁は、社員みんなでペンキ塗りをしました。もちろん僕も参加しましたよ。ちなみに、タイニーハウスアーティストの竹内友一さんにいろいろ無理を言って形にしていただきました。
タイニーハウスはいわゆるミーティングルームですが、特に用途は限られていません。こもって資料をまとめたり、本を読んだりと、みんな思い思いの目的で使っています。
堂上:オフィスそのものが、手づくりの“お城”なんですね。アート作品がたくさん飾られていて、アートギャラリーのようにも見えます。
杉山:ここで飾っている作品は、僕が気に入ったり応援したいと思ったりして購入したものばかりです。その後、作家が評価され、値が上がった作品もありますよ。
堂上:こういう環境で仕事をしていると、みなさん自然とクリエイティビティを発揮されることでしょう。ウェルビーイングな働き方ができる会社に違いありませんね。
オウンド・コミュニティを作るためのプラットフォームとは?
堂上:僕の杉山さんのイメージは、ご自身が偏愛の沼にハマっていった体験を連載で綴っているnoteの記事です。子ども時代からの偏愛の遍歴とか、「ニュージーランドの海辺でのシンプルな暮らしから学んだこと」などの記事にある“偏愛”ぶりには共感します。
その話は後ほど伺うことにして、まずは杉山さんが手がけている事業を簡単に教えてもらえますか?
杉山:ありがとうございます。僕が今、手がけているのは「日本を芸術文化大国にする」をミッションとして、「OSIRO」というコミュニティ専用オウンドプラットフォームの開発と運営を行っています。
「OSIRO」はアーティストやクリエイターの活動を支援するために、応援者からお金とエールをもらえるコミュニティを作るためのプラットフォームです。 すでにSNSをはじめ、さまざまなオンラインコミュニティはありますが、「OSIRO」の特徴は、アーティストやクリエイターが、自分の城のようにオウンドでプラットフォームを立ち上げられるところにあります。
たとえば「Facebook」でもオンラインコミュニティを作ることはできますが、それは「Facebook」が抱えるコミュニティのひとつに過ぎないですよね。でもアーティストやクリエイターたちは、自分の名前を冠した、自分らしいコミュニティを作りたいと考える人が多いのです。僕はそれぞれのアーティストやクリエイターたちが、それぞれの世界観、アイデンティティで「お城」を築くためのプラットフォームとして「OSIRO」を作りました。
堂上:国内のアーティストやクリエイターを支援する仕組みを作ろうと考えた背景には、杉山さんご自身の体験があったそうですね。
杉山:24歳から30歳まで、画家として活動をしていたのですが、やっぱり食べていけないわけです。そのため生活の糧は、デザインの仕事でした。結果的にデザインのほうでは評価していただき、仕事がどんどん忙しくなっていきました。
それでもなんとか画家としての創作活動は続けていたのですが、30歳を迎えた時、自分には絵の才能がないことを自覚し、アーティスト活動に終止符を打ちました。僕だけじゃなく、表現活動を続ける人の多くが、30歳をタイムリミットとしてやめてしまうのが現状です。そういった自分の原体験が現在の「OSIRO」につながっているのは確かです。
とはいえ、すぐに「OSIRO」にたどり着いたわけではありません。その後、会社を作ろうと思うきっかけがあり、さまざまな人との出会いがあり、ニュージーランドにどっぷりとハマった後に突然、「日本を芸術文化大国にしなさい」という天命を受けまして。そこから試行錯誤を重ねて今にたどり着いた、という感じです。
堂上:天命ですか!
杉山:それもニュージーランドにハマった先のことなんです。
堂上:では、その話題は後にとっておきましょう。
メディアは「滝」、コミュニティは「渦」で考える
堂上:杉山さんはアーティストやクリエイターが活動を続ける支援策として、コミュニティの存在が重要だと考えたのですね。
杉山:その通りです。というのもアーティストやクリエイターが活動を続けるために必要なものは、お金とエールだからです。そのどちらか一方だけでもダメなんですよ。
お金が必要ならバイトをすればいい。でもアーティストにとっては、お金よりも応援団のほうが大事なんです。それも“通り一遍”の応援ではなく、“文脈”のわかる応援でなければなりません。
ただ「頑張れよ」と言われてもアーティストの心には響きません。その人のアートのどこに共感しているのか、どう感じ、どう好きなのか、その活動の何が貴重かを理解した人から贈られるエールにこそ、力があるからです。
堂上:私も以前からコミュニティ作りに関心がありまして、杉山さんに伺いたいことがあるんです。この『Wellulu』も含めてメディアとは、生活者に向かって滝のように情報を流していく、ウォーターフォール型のビジネスです。
それに対してコミュニティは、場に渦を作って人やものや情報を巻き込んでいく、渦型のビジネスだと思っているんです。ただ渦の場合、ファーストペンギンが現れて、そこにフォロワーがついて、さらに場をかき回す人がいないと渦は起こりませんよね。
杉山:その通りだと思います。
堂上:僕はその渦の起こし方には3パターンあると思っています。ひとつは、アーティストやクリエイターが中心になって渦を起こすパターン。僕はそれを「人中心型」と呼んでいますが、いわゆるファンクラブに近い形態だと思います。
2つ目は、共創(コ・クリエイション)型で、みんなで一緒に作ろうよというパターン。たとえば起業家同士が集ってコミュニケーションをとったり、共同でプロジェクトをやってみたりという最近多いコミュニティの形がこれですね。
3つ目は、地元コミュニティのようなパターン。これには地域それぞれの渦がある。
この3つのコミュニティを今後、作ってみたいと思っています。「OSIRO」はどういうパターンを想定していますか?
杉山:「OSIRO」はクリエイターがどうやって活動を継続していけるか、その1点でサービスを作り始めたので、結果的に「お金」と「エール」が2本柱になっています。そこは他にない仕組みかもしれません。
ただ「OSIRO」を通じて数百ものコミュニティを作り込んできた今、クリエイター向けに限らず、じつはどのコミュニティも本質的なところはすべて一緒だったことがわかりました。
では、コミュニティ作りの本質とは何かというと「人と人とが仲良くなること」の追求なんですよね。お金とエールが集まる仕組みを作っても、コミュニティが続かなければクリエイターは活動を継続できません。つまりいかに継続できるか、というところがポイントです。コミュニティが続くとはどういうことかと突きつめれば、最終的にコミュニティに集まった応援団どうしが仲良くなることなんです。そうでなければ場が続かないんですよ。
ところが人と人とが仲良くなるというのは、じつは難しいことなんですよね。コミュニティとは、僕の言葉で言えば、同じ「偏愛」「アイデンティティ」を持つ人たちの集まりなのですが、それでも互いに仲良くなることは意外に難しいものです。
ですから現在、「OSIRO」が追求しているのは、人と人がもっと仲良くなるために何ができるか、どんな場がいいか、というところに尽きるのです。じつは僕自身、幼少期はいじめられっ子でしたし、人とコミュニケーションすることが苦手で、友だちと一緒に遊ぶという経験が少なかったんですよ。だからこそ、僕にとっては人生のテーマを事業にしているともいえます。
「おせっかいのギリギリ」を攻める開発
堂上:僕たちは日頃からよく、コミュニティを活性化するためには「おせっかいなおばちゃん」的な存在が重要だね、と言っているんです。
誰に頼まれたわけでもないのに「あなたとあなた、◯◯が好きなもの同士よ」って、人と人をくっつける人っていますよね。あるいは、キャンプのたき火で、火が消えないよう適当なタイミングで木をくべるような世話役の人もそうです。そういう人が人の集まりの中でやってくれているような役割を、意識的にシステムに取り入れているというイメージでしょうか?
杉山:まったくその通りです。僕たちはそれを「ぬか床」という言葉で表現しているんです。ぬか漬けを作るには「ぬか床」にいろいろな野菜を入れて作るわけですが、うまく漬けるには、ぬか床の混ぜ方にコツがあるんです。
よい加減で混ぜて作られたぬか漬けは、もとの野菜よりビタミンが10倍ほどになります。ところが、かき混ぜ過ぎたり、放置したりしているとそうはなりません。「ぬか床」には、ちょうどいい塩梅の混ぜ方がある。
コミュニティもそれと同じだと思っています。かき混ぜすぎてもよくないし、かといって放置していても続かないんです。ちょうどよい塩梅のかき混ぜ方をすれば人と人が仲良くなれて、そこにいる人たちがハッピーになって、豊かな場になっていくと考えています。
そういうちょうどよい加減のサービスを、いかにプラットフォーム上のテクノロジーに置き換えられるかが開発のメインテーマなんです。僕らはそれを「おせっかいのギリギリを攻める」という表現で開発してきました。
堂上:その加減は「OSIRO」の中でどうやって掴んでいるのですか?
杉山:最初は僕らがコミュニティを運営するところからはじめたというのもありますが、OSIROを使って運営されている方々の相談に答えたり、コミュニティに活気が出るためのアドバイスという形で知見を提供していました。こうして数百というコミュ二ティが生まれ、分析に力を入れていると色々なことが見えてきます。分析データを元に改善するだけじゃなく、当然「こんな機能が欲しい」という要望が出てきたり、僕たちが想像もしていなかったような使い方をされるコミュニティも出てきます。
そういう運営者の声や事例を集めては結果や影響を検証し、有効だと判断したものを次々にテックに取り入れてきました。つまりおせっかいギリギリの線をテクノロジーに落とし込んでいるんです。
堂上:人と人をつなぐために、テクノロジーをどう使うかという開発なんですね。そしてそこにはせっかく同じテーマを好きな人どうし、仲良くなってもらいたいという思いが強く込められている感じがしました。
杉山:おっしゃる通りです。僕は、人はもっともっと仲良くなれると思っているんです。そのためにどうするか、ということしか考えていません。
[後篇はこちら]
【杉山博一氏】日本を芸術文化大国にする! 「天命」と「偏愛」から始まったコミュニティ特化型オウンドプラットフォームの誕生ストーリー〈後篇〉
1973年生まれ。元アーティスト&デザイナー、2006年日本初の金融サービスを共同起業(2024年3月IPO)。2014年シェアリングエコノミープラットフォームサービス「I HAV.」をリリース、外資系IT企業日本法人代表を経て、2015年アーティスト支援のためのオウンドプラットフォームシステム「OSIRO」を着想し開発、同年12月β版リリース。
「OSIRO」公式ホームページ