スマホがないと生きていけない生活になっている。
今朝、中1になった息子(長男)が宿泊学習として学校の仲間と1泊いっしょに生活をすることになった。いつもよりも早いタイミングで朝ご飯を食べて学校に向かった。学校に着いたかな、と思ってGPSで「スマホを探す」機能で、息子の居場所を確認した。
すると、GPSは学校の前を過ぎて、そのまま違う駅に向かっているではないか?バスで眠ってしまって、そのまま降りるのを忘れたのか、と思ったが、そのままバスは違う駅に着いて、また元の道を戻ってきている。あきらかにスマホだけがバスの中で旅をしている感じだった。
僕は学校に電話をしたら、バスを降りてすぐにスマホをバスに忘れたことに気が付いた息子は先生に話をして、先生とやり取りした上で、バス会社に学校側が連絡していただいたとのことだった。息子は2日間、スマホのない生活が強いられた。僕は先生に「ご迷惑をおかけしました。スマホのない生活でみんなと楽しんできてね。」と息子に伝えていただくようにお願いした。
午前中、ずっとスマホはバスの運行通りずっと同じ道を往復していた。GPSで見る限り、バスの運転手さんがずっと持ってくれているようだ。そしてバスの営業所で保管されている。
数か月前は、カナダに留学中の娘(長女・高2)から、SNSで連絡がはいった。「スマホを落とした。」家から駅までの道で落としたっぽいので、何往復もしたけれども見つからない、とのことだ。カナダの警察事情を聴いたが、見つかることはないとのこと。結局、スマホは出てこず、新しいスマホを購入することになった。
考えれば、ちょっと暇があるとスマホの画面を見てしまう生活になっている。スマホがないと道も分からないし、調べものもできない。待ち合わせ時間に遅れても連絡がとれない。僕らの身体はスマホがないと生きていけない生活になっていることにあらためて気が付いた。
スマホ依存からの脱却はできるのか?
僕自身も、スマホ依存になっている。よく家族でご飯を食べているとき、会話をしているときも、スマホに何かしらSNSや会社のメールが届くとついつい見てしまうのだ。便利な分、スマホが手元にあることで四六時中仕事をしているような感じになったことで、心の病気になることもあると聴く。
また、スマホ依存になることで、昼夜逆転したり、優先順位を間違って、本来やらないといけないタスク(仕事や勉強など)ができない状態になってしまう。それでも、使用がやめられず、スマホを使用できない状況が続くと、イライラし落ち着かなくなる人もたくさんいるとのことだ。
スマホ依存は病気なのかもしれない。特に子ども時代からスマホが手元にある生活をし続けていると、スマホがないと落ち着かなくなるのだろう。ただ、スマホがあるおかげで気分転換をしたり、自分の秘書のような感じでスケジュール管理、道案内をしてくれる。SNSがあるからこそ、世界中の人たちとつながることができるし、情報を簡易的に調べたりすることができる。
僕は「スマホを見ない日」をつくってみようと思った。できるかなあ? 1日では足りず、本当は7日間くらいスマホのない生活をしてみると、もっといろいろなことを考え、新たな発見にもつながるかもしれない。例えば、森林浴に行って電波の届かないところに行けば、必然的にスマホは使えなくなる。無人島でも良いかもしれない。大自然の中で、スマホを見ている自分が馬鹿らしいと思いたいのだ。
今日から、まずは「食事中は必ずスマホの電源を切る」をやってみよう。子どもたちとの会話を楽しむ。自然の空気を吸う。新しいことをはじめてみる。いっしょに料理をする。いろいろなことができるはず。時間どろぼうに追いかけられないためにも、少しスマホから距離を置いてみることを意識してみよう。
息子と娘のスマホ紛失事件で、僕自身が「スマホ依存症」になっていることに気が付かされた。
今日は亡兄の誕生日。
5月23日は、僕の唯一の兄弟だった兄の誕生日だ。4年前に47歳の若さで急性心肺停止で亡くなった。コロナ禍だったこともあり、家族葬で終わらせたが、いまだにお墓にはたくさんの友だちや知り合いがお花をもってきてくださっている。
僕のスマホの中に保存されているアルバムの一番古い写真は亡兄だ。なぜか分からないけれども、ここ1週間目が覚めた時に見ていた夢には、必ず兄が出てくる。それも、今の僕の生活の中に普通に溶け込んで入ってきているのだ。まるで、そこにいっしょに生活しているかのように。
今日の朝の夢は、なぜか僕と兄がいっしょのサッカーチームに入っていて、僕が試合用のストッキングを忘れてしまったので試合に出れないと嘆いていたら、兄が「俺が忘れたことにしておいてやるから、お前が出てこい。」と言って、僕が試合に出て、兄は裸足で僕の試合を観ていた。そこに、僕の息子が出てきて、兄もいっしょに試合に急に出てきて、あれストッキングどうしたの?と思ったところで、目が覚めた。
夢占いというものがあるのであれば、何かの暗示なのか? 息子がスマホをバスで忘れてしまうことを兄は教えてくれたのだろうか? そんなことを考えながら、スマホ依存症を治したいと思う日になった。
写真は、スマホで撮影した今日の朝の息子(次男・小5)のサッカー朝練
堂上 研 Wellulu 編集部プロデューサー