キャリアは、決められたルートを歩くだけでは形づくられない。異文化に触れる経験や、未知の領域へ踏み出す挑戦、環境が変わる中で自ら選び取ってきた行動——その積み重ねが、個人の視野を広げ、組織の可能性を押し広げていく。
総合商社で海外ビジネスの最前線を歩み、現在は日本食品化工株式会社の代表取締役社長として組織変革に向き合う荒川健さん。大規模な事業基盤を持つ企業において「挑戦する文化」をどう育てるのか。その背景には、海外で培った多様性への感度と、社員一人ひとりに向けられた深いまなざしがあった。
今回は、Wellulu編集長・堂上研との対談を通じて、海外経験が育んだ価値観、挑戦を後押しする組織づくり、そしてBtoB企業だからこそ生み出せる社会的インパクトについて伺った。

荒川 健さん
日本食品化工株式会社 代表取締役社長

堂上 研
株式会社ECOTONE 代表取締役社長/Wellulu 編集長
1999年に博報堂へ入社後、新規事業開発におけるビジネスデザインディレクターや経団連タスクフォース委員、Better Co-Beingプロジェクトファウンダーなどを歴任。2023年、Wellulu立ち上げに伴い編集長に就任。2024年10月、株式会社ECOTONEを立ち上げる。
当たり前が通じない。異文化との出会いが変えた「仕事の前提」

堂上:まずは荒川さんのキャリアについてお伺いしたいです。総合商社で長くご活躍されたのち、現在は日本食品化工の代表取締役社長を務めていらっしゃいますよね。最初の海外赴任での経験は、その後の仕事観にどのような影響を与えましたか。
荒川:大学卒業後に三菱商事へ入社し、最初はアメリカ、続いてインドネシアへ赴任しました。若い頃から日本以外の価値観に触れられたことで、「日本の当たり前は、世界の当たり前ではない」と強く実感しましたね。宗教観や生活習慣、働き方……あらゆる前提が異なる。その違いに戸惑うこともありましたが、まずは相手の文化に敬意を払い、丁寧に関係を築くことが、物事を前に進める最初の一歩になると学びました。
堂上:やはり現地で働くからこそ得られる気づきですよね。僕自身も学生時代の留学で、事前情報や常識に頼れない状況に何度も直面しました。だからこそ「自分で考え、まず動いてみる」ことの重要性を痛感したのを覚えています。荒川さんも、海外という環境の中で自然とフットワークが軽くなっていったのでしょうか。

荒川:そうですね。海外では、とにかく「やってみる」精神が必要でした。現地で重たいガラス板をサンプルとして持ち歩きながら商談していたこともあるのですが、言葉の壁や文化の違いがあっても、一歩踏み出すことで道が拓ける。そんな体験を重ねながら、挑戦することの大切さを学んでいきました。
堂上:まさに海外ビジネスそのものが挑戦の連続だったわけですね。異なる価値観を受け入れ、まずは一歩踏み出してみる。今伺ったお話からも、荒川さんが現在、企業の中に「新しい文化」を根づかせる取り組みをされている背景が見えてきます
挑戦が連鎖する組織へ。企業文化変革の核心にある「対話」と「利他性」

堂上:日本食品化工さんは、長く「安定供給」を強みとしてきた企業ですが、荒川さんが就任されてから「挑戦」がキーワードとして掲げられました。その背景には、どんな想いがあったのでしょうか。
荒川:私が着任した当時、会社には確かに「安定供給」という大きな強みがありました。しかし一方で、社員からは「このまま同じやり方を続けていて未来は大丈夫なのか」という切実な声も聞こえてきたんです。そこで私は、既存の品質を守りながらも、新しい市場や事業モデルに挑戦していく必要があると考えました。
堂上:社員の皆さんも、どこか漠然とした不安を抱えていたということですね。“安定”を土台にしながら挑戦の火を灯すのは、簡単ではなさそうです。
荒川:「安定供給を最大化するなら、今のやり方を踏襲すべき」という空気もあり、「挑戦しよう」と掲げた当初は反発もありました。ただ、その後「具体的に何をするのか示してほしい」という声が上がり、粘り強い対話の積み重ねが、徐々に社内の共感の輪を広げる原動力となったのです。
堂上:挑戦の起点は“対話”なのですね。どんな場を設けられたのでしょうか。
荒川:部署の垣根を越えたコミュニケーションを活性化させるため、タウンホールミーティングを実施しました。コロナ禍直後で制約は多かったですが、小グループで食事に行く機会もつくり、「ここでは本音で話して大丈夫」と感じてもらえる雰囲気づくりを大切にしました。
堂上:社長が直接耳を傾けてくれる環境があるだけで、挑戦したい人が安心して動ける土壌になりますよね。心理的安全性があるかないかで、組織の未来は大きく変わります。
挑戦を促す上でもうひとつ大切なのが、「利他の精神」だと感じます。挑戦する文化は、社員同士が支え合う関係性の中で育まれますよね。社内でも、互いを思い合うマインドを醸成するために意識されていることはありますか。
荒川:私たちは今、「自部署の仕事だけでなく、他部署をどうサポートしたか」を評価項目に組み込もうとしています。誰かが困っていたら「自分の業務外だけれど手伝おうか」と声をかける。そうした行動を正当に評価したいんです。

堂上:なるほど。評価制度に組み込むわけですね。それなら社員の行動も自然と変わりそうですし、「協力してくれる人を大切にしたい」と思う気持ちも連鎖しながら「ありがとう」が生まれそうです。
荒川:まさに、そうした“ありがとう”を可視化する仕組みを模索しているところで、社内ではいわゆる「サンキューポイント」のような制度についても検討しました。税制上の課題などがあり簡単ではないようですが、それに代わる方法を見つけ、お互いを認める文化を広げる起爆剤にしていければと考えています。
堂上:以前、対談した岐阜市内で包装資材の企画・デザイン・卸を営む老舗企業のヤマニパッケージさんでは、「ありがとうカード」という制度を導入してる事例がありました。書き手も受け手もハッピーになり、結果として社内のコミュニケーションが活性化していました。まさにウェルビーイングを実現する仕掛けのひとつですよね。
荒川:社員同士だけでなく、取引先や地域の方々とも「一緒にやりましょう」という関係性をつくれたら理想です。協働が生まれると、お互いに学びが生まれ、新しいプロジェクトが立ち上がることもありますしね。
素材メーカーが挑むブランド価値の再定義。社員の誇りを育てる可視化戦略
堂上:日本食品化工さんは、食品素材や医薬品素材など、生活を裏側から支えるBtoB企業として長い歴史がありますよね。ただ、消費者からは事業内容が見えにくいゆえに、社員のご家族からも「どんな会社?」と聞かれることが多いと伺いました。最近、価値を“見える化”する取り組みを進められている背景には、どんな狙いがあったのでしょうか。
荒川:私たちはコーンオイルからでん粉、甘味料まで幅広く扱っていて、菓子や飲料メーカーなど、誰もが知る会社への素材提供を行っています。ただ、やはり一般の生活者にとっては「会社名を聞いてもピンとこない」部分があるんです。社員のなかにも、家族から「具体的に何を作っているの?」と聞かれて説明に困るという声がありました。

堂上:OEM的な立ち位置だと、商品名に会社の名前が出てこないですもんね。社員の誇りやモチベーションにも関わる大事なテーマだと感じます。
荒川:その点は大きかったですね。そこで、社販用に瓶詰めのコーンオイルを作り、ラベルに会社名を明記して、まずは社員自身に「これが自分たちのつくっているオイルだ」と実感してもらうようにしました。そうすると、家族にも「お父さん(お母さん)はこういうものをつくっているんだよ」と伝えやすくなる。誇りが生まれますし、企業としても地域の方々に認知されるきっかけになります。

堂上:働く場所に誇りを感じられるのは、ウェルビーイングに直結しますよね。「自分の仕事が社会にどうつながっているか」が見えると、働く人の幸福度にも大きな影響があるのではないでしょうか。
工業・環境領域に広がるでん粉の新たな可能性
堂上:食品以外にも、工業・環境領域での取り組みを進められていると伺いました。バイオマス素材など、かなり幅広い領域に挑戦されていますよね。
荒川:はい。とうもろこし由来のでん粉を使い、石油由来プラスチックを一部置き換える技術などを開発してきました。完全バイオマスではありませんが、石油使用量を減らしたり、特定の機能を高めたりすることができます。たとえば、これまで試作したレモン絞り器やゴルフ用マーカー、セニアカーのヘッドランプカバーなどは非常に好評でした。
堂上:でん粉がレモン絞り器やヘッドランプカバーの素材にもなるとは驚きです。同じ素材が食品にも工業にも使われるというのは、BtoB企業ならではの強みですね。

荒川:日本食品化工はこれまでも、紙づくりや繊維など「産業の裏側を支えてきた企業」でもあるんです。その延長線上で、健康領域やバイオマス領域にも可能性があるのではと考え、社内横断でソリューションプロジェクトを立ち上げました。サステナビリティとウェルビーイングは切り離せませんから、社会や環境にとって価値ある用途を今後も探っていきたいと思います。
堂上:挑戦する文化が根づいてきたからこそ、新たな事業領域の探索にも社員が前向きに動けるようになっているんでしょうね。企業としての役割が“素材を提供する”から“未来の社会価値をつくる”へと広がっている印象を受けます。
「学ぶ楽しさ」を未来に届ける取り組み

堂上:御社では、子ども向けの学研シリーズの書籍『でんぷん・水あめのひみつ』(Gakken/2025年)を制作されたと伺いました。BtoB企業が子ども向け書籍に取り組むというのは新鮮ですが、これもウェルビーイングの視点とつながっているのでしょうか。
荒川:そうですね。でん粉と聞くと、学校の理科の実験で「ヨウ素反応」を思い出す人もいるかもしれません。でも、それが実際にはお菓子や紙、医薬品まで広い分野で使われていることは、なかなか知る機会がないんです。そこで学研さんからお声がけいただき、子どもたちに「素材が社会でどのように役立っているか」を伝える本をつくりました。非売品ですが、Web版(※)を公開しており、誰でも読むことができます。
※『でんぷん・みずあめのひみつ』(Gakken/2025年)Web版はこちらから

堂上:子どもたちに「身近なものがこうやってつくられているんだ」と伝わるのは素晴らしいですよね。一冊の本が、将来のキャリアや好奇心を変えていくこともある。まさに教育のウェルビーイングだと感じます。地元の学校での出張授業も行われていると伺いましたが、その延長線上にあるのでしょうか。
荒川:社員が直接子どもたちに素材の役割や仕組みを説明すると、自分たちの仕事を再発見できるきっかけにもなります。子どもたちにとっては学びの機会になり、社員にとっては「自分たちの仕事が誰かの未来に役立つ」という実感が得られる。まさに社内外ともに学びや気づきに触れられる活動だと思います。
堂上:地道なようでいて、本質的にはすごく価値のある活動ですね。企業が社会の中でどう役立っているのかが言語化されると、社員のウェルビーイングにも直結すると思いますし、地域の子どもや保護者の方々にとっても学びのきっかけが広がる。とても温かい活動だなと感じます。
荒川:会社としての「存在価値」を社員が実感できたり、子どもたちが科学を好きになるきっかけになったり、いろんな形のポジティブが生まれる取り組みだと思っています。
100年企業を見据えて。挑戦する組織を育てる「長期視点の経営」

堂上:最後に、荒川さんがこれからどんな組織、どんな社会を目指しているのかを伺いたいです。安定した品質を守りつつ、新たな挑戦も推し進めることは簡単ではないと思いますが、そこにはどんな想いがあるのでしょうか。
荒川:おっしゃる通りです。ですが、どちらも欠かせないんです。品質を守るのは事業の根幹ですし、一方で「10年後、20年後に何が必要とされるか」を常に問わなければ企業としての持続性が失われてしまいます。当社が100周年を迎える頃、今とまったく同じビジネスだけを続けていくのは難しいでしょう。その時代に必要なモノや価値を生み出すための力を培う必要があると感じています。
堂上:だからこそ、社員の方々には“新しいものを生み出す面白さ”を体感してもらうことが重要なんですね。挑戦が日常になる組織づくりに、とても共感します。
荒川:誤解のないように言うと、私は決して大胆に突き進むタイプのリーダーではないんです。でも、誰かが少しでも前に踏み出そうとしている姿を見たとき、「その背中を後押ししたい」と強く思います。挑戦のプロセスには失敗も葛藤もありますが、その先にある変化をみんなで楽しめる組織をつくること。それが、私自身のウェルビーイングでもあります。
堂上:社員同士の「ありがとう」を育み、社外にも協働が広がっていくと、挑戦が自然と循環する組織になりそうです。コーンスターチや甘味料、バイオマス素材まで幅広く手がける日本食品化工さんが、地域や未来の子どもたちまで視野に入れた取り組みを重ねていく姿はとても素敵です。
荒川:会社の枠を越えて、関わる人すべてが「一緒に前へ進もう」と思える状態をつくりたいですね。それぞれの挑戦がつながっていき、結果として会社も社会も元気になっていく。そんな未来を、これからも皆さんと一緒につくっていけたら嬉しいです。

大学卒業後、三菱商事株式会社に入社。国内外で幅広い事業領域を担当し、米国・インドネシアなど海外拠点でのマネジメント経験を積む。2021年、コーンスターチをはじめとするでん粉原料・機能性糖質の製造を行う、食品素材メーカー 日本食品化工株式会社に着任し、代表取締役社長に就任。
https://www.nisshoku.co.jp/