介護業界では深刻な人材不足や職場環境改善が長く課題とされてきた。その現状に対して、現場起点で新しい価値づくりに挑む企業のひとつが株式会社ビジョナリーだ。
取り組むのは、フィットネスやボディビル競技者を採用し、鍛え上げた体を強みとして介護の現場で活かす「マッチョ介護」。
「フィットネス実業団」としてトレーニングを勤務時間に組み込みつつ、利用者からの安心感を高め、社内の健康意識まで引き上げてしまう、新しい採用×職場づくりのモデルとして注目を集めている。
今回は、同社代表取締役社長・CEOの丹羽悠介さんに、介護業界に飛び込むまでの葛藤と転機、そして「マッチョ採用」がどのように生まれ、どんな未来を目指しているのか、「Wellulu」副編集長の左達也が話を伺った。

丹羽 悠介さん
株式会社ビジョナリー 代表取締役社長/CEO

左 達也
株式会社ECOTONE/Wellulu 副編集長
福岡市生まれ。九州大学経済学部卒業後、博報堂に入社。デジタル・データ専門ユニットで、全社のデジタル・データシフトを推進後、博報堂生活総合研究所では生活者発想を広く社会に役立てる教育プログラム開発に従事。ミライの事業室では、スタートアップと協業・連携を推進するHakuhodo Alliance OneやWell-beingテーマでのビジネスを推進。「Wellulu」立ち上げに伴い編集部プロデューサーに就任。毎朝の筋トレとランニングで体脂肪率8〜10%の維持が自身のウェルビーイングの素。
華やかな世界への憧れと挫折。その先にあった意外な転機——介護との出会い

左:丹羽さんは現在、福祉・介護業界に新風をもたらす取り組みを展開され注目を集めています。まずは、現在に至るまでの歩みから教えてください。
丹羽:私は中学生の頃から美容師に強い憧れを持っていました。当時は「カリスマ美容師」が社会現象になるほどで、テレビや雑誌でも華やかに取り上げられていたんです。将来はその世界で腕を磨き、自分の実力で未来を切り拓きたいと、本気で思っていました。
左:「カリスマ美容師」は、思春期の丹羽さんの心に大きな影響を与える存在だったんですね。
丹羽:名古屋の憧れのサロンに就職し、夢はひとまず叶いました。ただ、現実の働き方は想像をはるかに超えるもので……。日中はお客様を担当し、閉店後は夜遅くまで練習が続く。体力も気力も求められる仕事でした。
もちろん、自分の未熟さもあったと思います。「美容師になる」という目標を達成したことで、次に何を目指すのかが見えなくなってしまったんです。
最終的に美容師を辞め、一年間ほどフリーターとして過ごしました。
左:憧れが大きかった分、その反動はさらに深く感じられたのかもしれません。

丹羽:そうだと思います。ただ「自分の力で稼ぎたい」「かっこよく生きたい」という思いは強くありました。けれど、クラブなどで働く時間が増えるにつれ、次第にあまり良くない仲間と付き合う時間が増えてしまって……。
そして、21歳のときに騙されて、大きな借金を抱えることになりました。
左:21歳で……。人生の早いタイミングで、人生の大きな岐路が訪れたわけですね。
丹羽:そこから半年ほどは実家にひきこもり、貯金も尽き、家族にも迷惑をかけてしまって。外に出ることすら怖く感じるほど、人間不信になっていました。今振り返っても、人生で最も深い“どん底”でした。
ボランティアの一歩が人生を動かす。価値観を揺さぶった介護現場の体験

左:社会と距離を置きたくなるほどの、大きなショックだったのですね。そこからどのように立ち直っていったのでしょうか。
丹羽:その時期に、介護との出会いがありました。姉が介護の仕事をしていて、母からも「一度、手伝ってみない?」と何度も声をかけられていました。でも当時の私は、まだどこかで華やかな仕事への未練が捨てきれず、ずっと断っていたんです。
今思えば、家族は本当に心配してくれていたんだと思います。もともと明るかった私がひきこもっている姿は、相当ショックだったはずです。
左:「あの子らしくない」という、ご家族の胸の痛みが伝わってきます。それでも、丹羽さんが外に出られるように声をかけ続けてくれたわけですね。
丹羽:その通りです。そんなある日、姉から「働き先に髪を切りに行けない方がいるから、ボランティアでカットしてほしい」と頼まれました。社会に出ることへの恐怖はありましたが、「ボランティアなら……」と、まずは自分が踏み出せる最初の一歩として引き受けてみることにしたんです。
左:ボランティア活動は、新しい一歩を踏み出すきっかけとして、とても素晴らしい選択だったと思います。ボランティアという形であれば、まず自分のできる範囲から関われるという安心感がありますよね。
丹羽:施設では、姉が実際に介護をしている姿を見て、介護の仕事に対するイメージが少しずつ変わっていきました。そして、散髪をさせていただいたおじいさんに「ありがとう」と言われたとき、胸にじんわりと温かいものを感じました。
左:自分のできることから関わってみる。その小さな行為が、丹羽さんご自身の価値観を揺さぶり、新しい可能性をひらいていったのですね。
丹羽:ネガティブな感情に支配されていた自分でも、誰かの役に立てるんだ、存在意義のようなものを実感しました。それから介護に興味が湧き、自ら理髪ボランティアに行くようになったんです。
そして「介護はこんなにも輝ける仕事なんだ」と確信し、2008年に姉と訪問介護の会社を立ち上げました。
左:丹羽さん本来の行動力が、再び前に進み始めた瞬間だったのですね。小さな一歩が、人生の大きな転換点になる。その連続がウェルビーイングをつくっていくのだと、あらためて感じます。
現場で見えた介護の課題。美容師の視点が照らした“サービス業としての可能性”

左:実際に介護事業を始めて、どのようなやりがいを感じましたか?
丹羽:当初は経営に専念していて現場には出ていなかったのですが、姉が2人目の子どもを妊娠したタイミングで、私も現場に入るようになりました。
実際に現場で働いてみると、自分が動き、人と直接関わる仕事が本当に楽しかったんです。利用者の方々もとても温かく、帰り際に「ありがとう」と声をかけていただける。その一言が大きな励みになり、仕事への向き合い方も大きく変わっていきました。
左:現場での生の声が、手応えややりがいにつながったのですね。実際に現場に立つことで、見えてきた課題もあったのではないでしょうか。
丹羽:はい。介護業界を“サービス業”と捉えたときに、まだ改善の余地が大きいと感じました。私は元々美容師でしたが、美容の世界は「お客さまにどう喜んでいただくか」を徹底的に追求する仕事です。
その視点で介護を見ると、当時は「より良いサービスを提供する」という意識が十分に根づいていないと感じる場面もありました。
左:美容業界の現場で当たり前に培われていたサービスの視点を、異業種である介護業界に応用できると考えたのですね。
丹羽:そうなんです。たとえば「利用者さんやご家族への挨拶や配慮を丁寧にする」「気持ちよく過ごしていただくために細部まで意識を向ける」。そんな基本を徹底するだけでも、“選ばれる介護サービス”に近づけると感じました。
左:美容業界で当たり前だった姿勢を、介護に応用されたと。まさに異業種の掛け合わせから生まれるイノベーションですね。
丹羽:ちょうどカリスマ美容師が流行していた時代の美容業界も、今の介護業界と同じで職人気質が強く「サービスを磨く」という概念はまだ広がり始めたばかりでした。
美容がサービス産業へと脱皮していったように、介護もこれからは「サービス向上」の精神が不可欠だと確信し、その思いで会社を育ててきました。
左:介護に新しい価値を持ち込みたい。その強い意志が、事業の方向性を形づくっていったのですね。
フィットネスとの出会いが生んだ気づき。「マッチョ介護」誕生までのストーリー
左:ではここから、丹羽さんの会社が取り組んでいる「マッチョ介護」について伺います。私も毎日筋トレをしているのですが……丹羽さん、本当に素晴らしい体つきですよね!
丹羽:ありがとうございます。じつは介護事業が軌道に乗り、借金も返済できた頃に、少し太ってしまって……(笑)。
ダイエット目的でジムに通い始めたところ、トレーナーに「何か目標を作った方が続きますよ」と言われ、勢いでフィットネスのコンテストに出場することにしたんです。

左:コンテスト出場とは、思い切った挑戦ですね!
丹羽:最初は出場すること自体が目標だったので結果は気にしていなかったのですが、実際にステージに立つと、本気で挑んでいる選手の方々がいて、悔し涙を流す姿も目にしました。その瞬間、「フィットネスは単なる運動じゃなく、真剣勝負の競技なんだ」と気づかされたんです。
左:介護もフィットネスも、実際に飛び込んだからこそ見えた「本質的なかっこよさ」があったんですね。
丹羽:それは間違いないと思います。もしかすると、過去に人を信じて裏切られた経験があったからこそ、「自分が体験して本当に良いと思ったものを信じて挑戦する」というスタンスが生まれたのかもしれません。
そしてコンテストを通じて「マッチョって素晴らしい!」と心から思えたことで、「このマッチョたちが介護の仕事をしたら絶対かっこいい!」という発想につながり、そこから「フィットネス実業団」を立ち上げました。
マッチョが職場を変える。採用・文化・健康がつながる新しい組織の形

左:フィットネス実業団を提案されたとき、周囲の反応はいかがでしたか?
丹羽:最初は「どういうこと?」と戸惑われました(笑)。ただ私の中では、スポーツの実業団と同じように“ボディビル競技の実業団”をつくるイメージがどんどん明確になっていったんです。
当時、介護業界では深刻な人材不足が続いていました。だからこそ、これから仕事を探す若い人たちに強いインパクトを残す存在をつくりたい、という思いがありました。
左:採用の入り口そのものを変える発想だったんですね。では、実際に“マッチョ人材”の募集はどのように進めていったのでしょう?
丹羽:普通に求人を出しても人は集まらないだろうと思い、私自身がもう一度ボディビルのコンテストに挑戦することにしました。
左:自ら競技の世界に戻って、マッチョのコミュニティをつくったわけですね。当事者として飛び込み、信頼構築のアプローチをする。究極の採用活動ですね。
丹羽:マッチョと仲良くなるには、自分も鍛えるのが一番ですから(笑)。やると決めたからには結果を残したいと思い、1年間みっちりトレーニングと食事制限を続けました。その成果もあって、愛知県大会で4位に入賞できました。
左:それは説得力がありますね! そこから募集をかけてどれくらい反響がありましたか?

丹羽:コンテストで知り合ったインフルエンサーの方にも協力いただき、40〜50件ほど問い合わせがありました。そこから5人のマッチョを採用し、「フィットネス実業団」が誕生しました。
左:実業団ということは、介護の現場にも入られているわけですよね。利用者の方の反応はいかがでしたか?
丹羽:体格の大きさから最初は「ちょっと怖い」と感じられることもあります。ただ、実際に接すると「頼りがいがある」という声がとても多いんです。
筋肉を鍛えるという行為は、日々の積み重ねと自己管理の連続です。だからこそ、競技に真剣に向き合っている人ほど誠実で、人当たりが柔らかい方が多いんです。
今では「筋トレついでに持ち上げて」「お姫様だっこして」とリクエストされることもあり、筋肉がコミュニケーションのきっかけになって、現場が自然と明るくなっています。
左:筋肉が安心感や対話の種になるのはおもしろいですね。現場の空気を変える存在になっているのが伝わってきます。スタッフの方からは、どんな反応がありましたか?
丹羽:最初は待遇の違いから「ずるい」と言われることもありました。実業団のメンバーには福利厚生として、勤務時間8時間のうち最大2時間を筋トレに充てられる制度を設けていたので。
左:たしかに珍しい制度ですし、最初に戸惑いが出るのも理解できます。
丹羽:でもスポーツの実業団と同じで、彼らにとっては「筋トレ」も仕事です。制度の意図が理解されると、不満は徐々に消えていきました。
今では、マッチョがいることで自然と筋肉の話題が増えて、「脚を引き締めたい」「腕を太くしたい」など、若いスタッフも一緒になって盛り上がっています。
左:共通の話題があることで、普段会話が得意でないスタッフでも関係性を築きやすくなります。心理的な距離が縮まることは、職場のウェルビーイングにも直結しますよね。そこから健康や食事への関心にも広がっていきそうです。
丹羽:実際、ダイエットを始める社員や、一緒にジムに行く「ジム友」になるスタッフが増えています。正式なデータはまだ取れていませんが、運動習慣を持つ社員は確実に増えていると感じます。
左:社内にトレーナー級の知識を持つ人がいて、日常的に相談できる環境がある。筋肉を介した社内文化が、社員の健康づくりにも波及しているのがよくわかります。
採用の概念を変える挑戦。介護の魅力が見える入口としてのマッチョ採用

左:マッチョを採用することで健康経営にもつながるという発想は、さまざまな企業にとって新しい気づきになるかもしれませんね。
丹羽:「マッチョ採用」は、私たち自身が新しい採用の形として本気で推し進めている取り組みです。
じつは2025年7月、フィットネス団体APFとコラボして「APF VISIONARY TRYOUT CUP 2025」というコンテストに、新カテゴリー「ドラフトトライアウトクラス」を設置しました。
ここでは、「筋肉を活かした人材を求める企業」が審査員として参加し、「自分の肉体を評価してくれる企業」への就職や転職を希望する選手が出場します。選ばれた出場者には、企業との“交渉権”が与えられる仕組みです。

左:人材採用のアプローチとしても斬新ですね。スキルではなく“身体を使ってきた歴史そのもの”が評価される、まさに新時代のオーディションだと感じます。
丹羽:このクラスでは、出場者が言葉でアピールする場をあえて設けず、ひたすら“肉体そのもの”を評価する方式にしました。
ボディビル大会では掛け声がつきものですが、新卒の選手に向けておそらく友人から「高学歴!」という掛け声が飛び、企業側が一斉に気になり始める、なんて場面もありました(笑)。
左:肉体勝負の舞台に、思わぬ情報が混ざってしまう。ライブ感のある採用方法ですね(笑)。
丹羽:私は、どんな業界でも「マッチョ採用」を取り入れる可能性があると思っています。
よく「介護は人気がない仕事」と言われますが、私はそうは捉えていません。人気がないのではなく、仕事の中身がまだ十分に見えていないだけなんです。イメージが掴めないから、若い人に選ばれない。それだけだと思います。
左:「介護」という言葉は知っていても、現場のリアルなやりがいや魅力までは伝わっていない。丹羽さんが自分で経験してきたからこそ、その“見えづらさ”に気づけたのだと思います。
丹羽:以前は会社説明会の代わりに、マッチョと一緒に筋トレをするイベントを行っていました。まずは、筋トレで仲良くなってから「ついでに仕事も見ていってください」というスタイルです。
若い人たちが介護の仕事に触れる機会をどう増やすか。それを常に考えています。
左:必ずしも明確なキャリアビジョンがあるわけではなく、「誰と働くか」を重視するケースもありますよね。
丹羽:私たちの会社が介護業界で革命的なことをしているわけではありません。ただ、実業団という制度にたまたまフィットネスを掛け合わせただけ。
それによって、マッチョがきっかけで会社や介護業界に興味を持ってくれる人が増え、社内には筋トレや運動を中心にした小さなコミュニティが自然に生まれていきました。
左:仲間意識や連帯感が自発的に生まれる環境は、エンゲージメントや定着率にも直結しますよね。
丹羽:実際、退職しても戻ってくる社員が多いんです。やっぱりリアルに集まれるコミュニティを大切にすることが、会社の発展に大きく貢献するのだと思います。
現在は「151運動」という取り組みも導入しています。“始業前1分・昼休憩後5分・退勤前1分”の軽い運動をみんなで行う習慣です。
昭和的な習慣にも見えますが、実際には健康づくりと職場の一体感を同時に育てる、非常に合理的な仕組みだと感じています。
左:仕事と健康行動が自然に混ざり合う環境は、ウェルビーイングに働く観点からも非常に理想的ですね。本日は「マッチョ採用」を中心に、採用・組織・健康が結びつく新しい視点をたくさん伺うことができました。ありがとうございました!

岐阜県出身。名古屋で美容師として働いたのち、ボランティアを通じて福祉業界に興味を持つ。2008年に株式会社ビジョナリーを設立。訪問介護事業を経て、さまざまな領域への事業展開に挑んでいる。2018年にフィットネス実業団を立ち上げ、「マッチョ介護」として注目を集めている。著書に『マッチョ介護が世界を救う!』(講談社)がある。
https://visionary.day/