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子どものウェルビーイングって、どうやって創っていくのだろう?

子どものウェルビーイングのために

世界中で、教育とウェルビーイングが注目されています。そんななか、子どもたち(ここでの定義は小学生・中学生年代)が「生きること」をより楽しんでいく心を持つため、「子どもとウェルビーイング」をどう考えていくか、みなさんと一緒に追求していきたいと思いました。

僕自身3人の子どもを育てているなかで、親として、未就学児の間はどんな環境を用意すれば良いのか、中学受験は本当にするべきなのか、塾や習い事はどこまでやるべきなのか、学校と親の関係はどうなっているのか……。そんなことを日々考えています。そしてコロナ禍を経て、子どもが「学校」という場所に行かなくても良い環境が生まれたことにより、改めて子どもの居場所について考えてみたいと思いました。よくよく考えると、学校という場所はなんのために存在しているのか。このように新たな「子どものウェルビーイング」を考える機会が増え、試行錯誤している親も多いのではないでしょうか。

僕の好きな言葉に「禁止を禁止する」というものがあります。ところが僕たち大人は、効率を重視した「ルール」をつくって大人の価値観を押し付けてしまったり、それを「子どもたちのため」という言葉で逃げてしまったりしていないでしょうか? 大人が考えている“子どもにとって良い環境”と、子どもたちが考える“自分にとって良い環境”には、もしかしたら大きなギャップがあるかもしれません。学校という場所は、先生の効率的な運用や、校則をつくることでリスク回避してしまっているのかもしれませんが、それは本当に「子どもたちにとって、ウェルビーイングな環境」なのでしょうか?

主役はあくまでも「子どもたち」。

Welluluの「子どもとウェルビーイング特集」では、子どもたちにとって本当にウェルビーイングな環境をつくっている人たちからお話を聴かせていただきます。この特集を通して、子どもたちの「自由」と「自律」を尊重すること、そして「子どもたちの居場所」づくりへのきっかけとなる気づきが得られたら幸いです。

いち親としても今一度見直していきたい。そして子育てに悩む読者のみなさまと「こういった視点もあるんだ」を共有しながら、子どもたち自らが「生きる喜び」を見出し、「自らの力で幸せになれる子」に育っていけるよう、大人たちの「アンラーン(unlearn)」のきっかけになれば嬉しいです。

そもそも僕が子どもに注目したきっかけは、高校時代の留学経験まで遡ります。自分自身も高校受験を経験し、偏差値や受験で計られる日本の学校教育に疑問を感じた僕は、世界中の教育に興味を持ち、高校1年生の時にニュージーランドへ1年間の留学に行きました。

世界中の高校生と接するうちに、子どもが育つうえでは3つの視点が重要なのだと気づきました。そして、この3つの視点は日本の子どもたちには足りていないことを感じました。

1つは、「主体性」。自分で自分のやりたいことを見つけ、その目標に向かって進んでいけるかということです。2つ目は「協調性」。相手の立場になって考え、他者と協働する経験を持つことの大切さ。3つ目は「多様性」。自分の常識を他者の常識ととらえず、多様な価値観を受け入れていくことでより豊かな人生になります。

48歳になった今、自分の子どもたちといろいろな会話をしたり、親子喧嘩をしたりしながら育児に向き合っていると、子どもたちは三者三様で一人ひとりが違う考えを持っていること、親である僕たち夫婦ですら知らなかった価値観を持っていることに気づかされます。それと同時に、つい「〜〜すべき」という自分の価値観を子どもに押し付けてしまっていたのではないかと反省もします。

当たり前ですが、子どもには子どもの考え方があります。「お父さん、お母さんには言えないけど、実はこう思ってるんだ……」なんてこともあるのかもしれない、と日々の生活の中で子どもたちに気づかされます。

今後この「子どもとウェルビーイング特集」では、親の視点だけでなく、子ども視点での調査結果なども発信していきたいと考えています。それが子どもにとって、「親や先生の顔色をうかがわずに、どんどん思ったことや疑問に感じたことを、言ってもらえる」ような安心感につながれば、子どものウェルビーイングはさらに加速するのではないのではないか、と考えています。

問いを立てることで育まれる“気づき”と“好奇心”

テレビやインターネットを見ていると、子どもに関する悲しいニュースが目に入ってきます。ニュースにならないまでも、いじめや子ども同士のトラブルを経験したことがある親も多いと思います。

たとえば学校で子ども同士のちょっとした喧嘩が起こった時に、それを聞いた親が相手の親に連絡をして解決させることがあります。ほかにも子ども同士のトラブルを目にした片方の親が、自分の子どもだけでなく相手の子どもに自分の価値観を押し付けてしまう……なんて話も。(僕も、日々そうなってしまっている自分に後で気づきます)

このように親が子ども同士のトラブルにすぐ干渉することは、子どもにとって本当に良いことなのでしょうか。僕は親が向き合うべきなのはまずは自分の子どもであり、親同士での話し合いで解決する前に、まずは子ども同士で解決する力をつけてあげることのほうが大切ではないかと思うのです。

とはいえ、過干渉になりすぎないこと=放置すること、ではありません。子どもは子どもだからと親が関わることを諦めてしまったら、子どもの発するサインを見逃してしまうことにもつながってしまいます。

大切なのは、普段から子どもとしっかり向き合い、オープンな会話ができる関係性を育むことではないでしょうか。「〜しなさい」「〜してはダメ」と一方的に親の意見を伝えるのではなく、「なんでこれをしようと思ったの?」と子どもの考えを聴いてあげることですね。

親子で向き合う時間は、子どもにとって親の愛情を感じる時間でもあります。

我が家では夕食の時、子どもたち一人ひとりに「今日楽しかったことは?」と聞くようにしています。さらに「なんで楽しかったの?」と話を掘り下げていくことで、子どもたちが考えるきっかけづくりをしています。

こういった問いを立てることは、子どもの好奇心を掻き立てるためにも大切だと思います。親もわからないことはわからないと伝える。大人はなんでも知っているはずだ、親が教えるべきだではなくて、知らないことを知らないって伝えてあげることもやっぱり重要ではないでしょうか?

そして、子どもたちが「感情」を出せる「場」をつくることが重要です。大人は感情的に叱るのではなく、子どもたちが感情をどんどん出せる環境をつくってあげることで、親と子どもの対話が増え、お互いの考えを自由に話せる。そして、子どもにとって、よりよい居場所が増えていくのではないでしょうか。

「対話」を通して子どもと向き合い、意思を尊重する

Welluluを通じていろいろな方にお話を伺うなかで気づいたことが、大人になってウェルビーイングな生き方をされている方々は、小さい頃から両親にある程度“自由”に育ててもらったということです。

「〜しなさい」とあまり言わず、子ども自身がやりたいことを尊重することが大切……なのは僕も十分理解しているのですが、では、それは「子どもたちのやりたいことを自由にやらせる(甘やかす)」こととはどう違うのか?

ここでも大切なのは子どもとの「対話」ではないかと思うのです。

我が家でも、息子が自分でやりたいと言って始めたサッカーの練習をサボってしまうと、「自分で始めたんだから行きなさい!」と言っています。だけど、自分が子どもの頃そうだったように、時には学校や習い事をサボりたくなったり、なんか気分が乗らなかったことも当然あるでしょう。

そんな子どもを見ていると不安になる気持ちもわかります。けれど「本当は何をしたいの?」「サッカー、辞めたい?」と問いかけることで、子どもは自分自身で考え始めます。自分で気づいて、自分で動き出すというきっかけをつくってあげることこそが、親の役割なのかもしれません。(「そんな気持ちでやっているんだったら、もう辞めろや!」と言ってしまっているので、僕自身もできていません……)

とはいえ「子どもにはきちんとした大人になってもらいたい」「嫌なことからすぐに逃げ出す人にはなってほしくない」という親としての意見も、子育て真っ只中にいるひとりの父親としてとても理解できます。子どもに対する信頼や愛があるからこそ、期待しすぎてしまうということもあるでしょう。

しかし、子どもは私たち大人が思っている以上に大人の感情を読み取ります。子どもに対して過剰な期待をしたり、逆にがっかりしたりすると、子どもはそれをプレッシャーに感じるはずです。子どもが何かをするモチベーションが「お父さんが喜ぶから」「お母さんが褒めてくれるから」になってしまっては、それは子どもにとってウェルビーイングな状態とはいえないのだろう、と日々反省しています。

子どもの意思を尊重するためには、まずは「ひとりの人間」として向き合うことが大切なのかもしれません。そして、価値観の押し付けではなく、向き合い「対話」することです。

子どもたちの笑顔のために。まずは親が一歩踏み出す

子どもが主体性をもって生きていくためには、自分で考えて行動する習慣をつけさせることが大切だと思います。たとえば我が家では、サッカーを習っている息子によくこんな話をします。

「サッカーのパスの練習中、何も考えず言われるがままにパスを出し続けていた子と、試合のイメージをしつつ、頭を使いながらまわりのチームメイトの動きを見ながらパスを出していた子では、どっちが上手くなると思う?」

自分で考えて行動することが重要であることは分かっているけれども、なかなかできない。それを意識をもって行動することが大切であり、困難にぶつかった時、正解はわからずとも「自分で考えて行動する」と自然に、主体性を持って動けるようになるのだと思っています。

自分で考えることが習慣化されている人は、相手にも相手の考えがあり、それを尊重すべきだという考えが自然と身につきます。相手の立場に立って物事を考えようとする、利他の精神が生まれてくる。そんな人の周りには、自然と人が集まってくるでしょう。

子どものウェルビーイングのために、親や大人たちが子どもに直接伝えられることがあるとすれば、それは「希望を持つこと」だと思います。昨今、世の中は「自分が何をしてもどうせ変わらない」「社会が変わらない限り自分が何をしても意味がない」という空気を纏っています。

子どもたちにとっても、親や友だち、学校の先生、地域の大人たちとの関係の中で、どれだけ自分にとって「居心地の良い居場所」をつくることができるかというのがウェルビーイングにつながると思うのです。子どもたちはまだまだ経験が少ないため、間違いも失敗もたくさんします。そんななかでも「自分で考えて動くこと」ができれば、希望を持てる感じがしませんか?

子どもたちの笑顔のためには、まず親である僕たちの考えをアップデートし、より良い行動へと変えていくこと、つまり親自身がウェルビーイングな状態になることが大切なのかもしれませんね。

社会全体で子どものウェルビーイングを考える

子どものウェルビーイングについて考えるうえでは、学校や地域社会との関係も重要です。最近は子どもの不登校について考えたり、「そもそも学校は必要ないのでは?」といった意見が出てきたりしています。

僕が考える本来の「学校」の在り方は、子どもたちの隠された才能やその子たちが持っている個性を引き出す場所であってほしいということ。

しかし一方で学校の先生たちも、子どものことを一生懸命考えてくれているはず。親と子どもの関係性があるのと同じで、先生と子どもにはそこにしかない関係性がある。だからこそ、親は学校に期待しすぎないことが大切なのかもしれない、とも思うのです。

子どもにとってウェルビーイングな環境をつくっていくためには、親はもちろん、学校の先生や地域の大人たちの存在が欠かせません。周りにいる大人たちがウェルビーイングになり、大きな愛を持って子どもに接することができれば、自然と子どもたちもウェルビーイングになるはずですから。

そして、子どもたちに、良い面だけ見せるのではなく、自分の苦手なことや弱みなどもどんどんオープンにすることが、子どもたちも苦手だとか言える環境が生まれるかと思います。

ウェルビーイングについて日々あれこれ考えながら子育てに向き合っている僕自身も、子育ての正解を知っているわけではありません。なので、今後Welluluの読者のみなさまと「対話」をしながら、子どものウェルビーイングについて一緒に考えていきたいと思っています。

もし「子どもとの関係でこんな悩みがある」「こんな立場の人の話を聞いてみたい」など疑問や要望があれば、ご意見をください。子育て中の方はもちろん、学校の先生からのご連絡も大歓迎です。子どものウェルビーイングについて、一緒に考えていきましょう!

子どもたちがウェルビーイングになっていくために、僕ができることからはじめたいと思います。ご意見やご相談はこちらまでご意見をください。
bettercobeing@hakuhodo.co.jp

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